今日の十分日記

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原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

第二十七回 短編小説の集い「アイアン・マン〜青春の終わり」振り返り

novelcluster.hatenablog.jp

ご推察の通り、今回は過去の体験を下地に書いている。

ただ、主観の主の人物の感じ方は、実際の筆者とは違うっている。

もともとは実際のその時の心情を書くつもりであった。だからか、どうしても書くのが苦痛でたまらなかった。描き出すまでの時間がいつにも増して締め切りギリギリになってしまった。 

 

「青春」を想定するというのは、案外難しい。青春の盛りを書こうとすれば、多くの人が月並みな青春を描いてしまうことになろう。

又吉直樹が「火花」で芥川賞受賞したときにその講評で村上龍が「案外青春を描くのは難しい」という趣旨の言葉を載せていた。青春劇というのは難しいものなのだ。

部活を懸命によることを書けば、どうしてもスポ根的なものになる。「どうせ、最後は負けて終わりだろ」といシラケが読み手に湧き起こる。

何事もなさず、ダラダラとした青春は書き手に非常に技術がないと、読み手は飽き、置いていかれてしまう。森見登美彦「四畳半神話大系」はこの辺のダラダラとした青春がモチーフである。高橋留美子「うる星やつら」もそうである。書いていて思ったが、時間に対する感覚がこの2冊は非常に似通っている・・・ように思えるのは勉強不足か。二作とも時間の観念がぐちゃぐちゃで、奇想天外である。

奇想天外を目指しても良いのだが、指数に限りがあり、凝ったことができないという問題と、「青春」というテーマの本道からあまりにも外れてしまう恐れがあると考えた。

 

もちろん「四畳半神話大系」も青春を描いてはいる。少々古い型ではあるが。話は簡単だ。四畳半の下宿を舞台に延々と同じ話がループするというものだ。この話の形は良くあるのだが、これの原形がどの作品なのかはよく知らない。このループの無限性が学生の日常を表現しているーーのだが、ちと古い。今の学生はそれほど暇ではない。

 

「青春」を中心に話を進めるのが困難だとすれば、どうしようか。そう考えて、「青春の終わり」をモチーフにすると決めた。
今回の入院生活の前に、アイドルで話を書こうと思っていた。アイドルの解散をモチーフにしようと。ただ書き切れる自信がなかった。「桜の季節」で挑戦しようか。

今回の作品は夜半に書いていた。ウォークマンにランダムで曲をかけるようにして、それを聞きながらである。文章を、特に書いているときは、他の言葉が邪魔になることが多い。だから、ラジオは好きであるが、このタイミングでは聞けなくなる。よく漫画家さんがラジオを聞きながら仕事をしていると聞くが、やはり話の筋を組み立てているときはラジオは聞けないのだろうか。
あの老女が立ち上がったところで、〝ドッドッドッ〟とブラック・サバス「アイアン・マン」のバスドラムがイヤホンに響いてきた
その瞬間、その後の展開が元の想定とは逆になった。

ああいう、日がな呆っとしている人々を毎日のように眺めていた。深夜に奇声を上げながら歩く人も。見ていると切なくなる。自分もいずれああなるんだろう、と。

何度も短編小説の集いに参加しているが、今回ほど苦痛な作品はなかった。
今後はnoteに移動してこの取り組みは続けられるが、参加するかは本当に迷っている。
迷惑にならなければ良いが。

note.mu

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