今日の十分日記

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原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

オウム真理教の一連の事件はなぜ起こったのか、から見る日本の組織。

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アフターダーク

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 以前、オウム真理教と神戸の震災についての記事を書いた。あれから二〇年経過したということで、特に震災については罹災された方々がいまどんな生活をしているのかという特集が組まれた。クローズアップ現代で、二重ローンの問題を見た。経済的に大変であると同時に、欠落感が大きく、幸福感が震災前の半分だという方が多かった。

 同じ年の三月に起こったのが地下鉄サリン事件だった。(前回の記事では日付が間違っていたかもしれない)今回の事件では、地下鉄サリン事件がどうして起こったのかという検証番組であった。特にインタビューに応じた上祐氏の視点が中心になった再現VTRで表現されていた。

 

 よくご存じとは思うが、オウムの始まりはヨガサークルだ。もともと精神世界に傾倒していた大学院生の上祐は、雑誌に取り上げられていた麻原に興味を持ち、サークルに参加する。麻原はある種の超能力者としてあがめられていた。上祐など信者たちは麻原に導かれ、神秘体験をする。これがますますのめり込むきっかけとなる。分かっているとは思うが、このような神秘体験とは自己暗示で見たり聞こえたりすることが、ままあるのだそうだ。

 ある日、麻原は「1999年から2003年の間に核戦争が起こる」という主旨の予言をする。それを止めるためには、自分たちの教えを宗教化させて、人々に広める必要がある。そう麻原はメンバーに告げ、オウム真理教を立ち上げる。オウム真理教の幹部メンバーになった者たちは、立ち上げのメンバーが中心である。

 信者たちは出家して修行する。これがトラブルになる。上祐も母親と二人暮らしであったが、制止を振り切って出家する。カルト教団ではないか、という認識は八〇年代からあって、それを強力に推進するのが坂本弁護士であった。

 修行にいそしむ日々のなか、事故が起こる。ある信者が修行中に引きつけかてんかんの発作のようなものを起こし、暴れてしまう。信者が麻原に相談すると、風呂場で水をかけて落ち着かせろ、という命令を受ける。水をかけても落ち着かなかったため、信者たちは風呂桶に顔をつける。その信者は死んでしまう。このことが大きなきっかけに暴走を始める。

 要するにこのことを内々に処理するのであるが、その罪の意識と負の連帯(裏切れば殺されるのではないか)によって一連の事件を起こす。しかも、それを肯定する宗教的理論が、麻原によって提示され、罪の意識が減る。私は宗教の専門家ではないが、たぶん間違った理屈なのだろう。

 

 これも日本の組織では起こりがちな減少だ。結局は負の連帯ではなく、正の連帯が築ければ事態は解決したのだ。正の連帯とはこの場合、事故を申告し、罪を被るということを目的とし、目的遂行の障壁となるものを排除していくということだ。信者たちが結託して麻原を結託するなり、排除する方向へ行けば良かった。

 なぜそうならなかったか。それは閉鎖的な空間で起こったことだからだ。証拠に、麻原は間違っていると、脱会を決断した信者を彼らは殺している。それに加えて、罪を被ることへの恐怖も存在していたのだろう。結局麻原の言うことに従った方が精神的に楽なのである。それに組織の防衛という、理屈を麻原が与えてくれる。自分だけが裏切り殺されるよりは、従って生きた方が良い。集団心理とはそういうものだ。

 ただ、外部との接点があれば話は別だ。自分たちのやっていることの異常性と相対せねばならなくなるからだ。このようなことは閉鎖的な空間であれば、どこでも起こりうる現象だ。学校・企業・病院・刑務所、なんでもいい。

 悪いことと分かっていて、学校でいじめがあるというのもこういう理屈なのだろう。企業における粉飾などの不正を上司の命令で行ったというのも、昔はよく聞いた。終身雇用の弊害だろう。

 であるのだが、例えば学校なら「特別進学クラス」などと銘打って、隔離する方向に向かい、企業なら妙な連帯感を得るために、飲み会などを行ったりする。社会人など、外部にどれだけ人脈を持っているかの方が大切なのだから、内輪で飲み会する時間があるのなら、外部の人間と接触する時間を作った方が良いと思うのだが。もちろん、刑務所はしょうがないけどね。