池波正太郎をめざして

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明日は明日の風が吹く

今の心境にあわせてブログ名を変更しました。どうぞよろしく。肩の力をさらに抜いてやります。

「機動戦士ガンダムUC」と大人たちの欺瞞

 「短編小説の集い」に出品する小説を鋭意制作中のまさりんです。

 我が家はケーブルテレビに加入している

 そのわりには多チャンネルの恩恵に与っていない様に思う。なぜなら、予約録画に煩雑な手続きが要るからだ。加入し始めは予約録画をして見ていたが、いつしかヒマなときのザッピングをするくらいで、番組表をチェックして予約してまでは見なくなっていた。

 

 だが、今週の土曜から「ガンダム the origin1」が公開されるので、アニマックスあたりでなんかしらの動きがあるだろうと思って、網を張っていた。案の定先週、ガンダムUCの一気放送と逆襲のシャアが放送されていた。

 

 

 元々アニメはそれほど好きではない。マンガもそうだ。蒼天航路を最後に、とんと読んでいない。髪を切りにいったときにも、マンガを置いていないので、結局読むタイミングがない。アニメも好んでみるのはガンダムくらいだ。しかも、いわゆる“ファースト”、“Z”、“逆襲のシャア”という本線のガンダムくらいしか見ない。サイドストーリーの08小隊とかはほとんど見ていない。富野監督作品も、ターンAとか今やっているやつとかは見ていない。たぶんかなりの偏食ファンだろう。本線の作品の世界観や空気感が好きなのだろう。

 あの感じを何といえばよいか。設定などがよく作り込まれているのはもちろんだが、人物たちの作っている空気が何ともいえない。エンジニアというか、昔、戦国時代の武士的というか、職人さんとかが持つシンプルさが基調となっているのである。

 たとえば、よくアムロの葛藤が・・・・・・、とか言われるが、コクピットに座れば彼は別人となり、悩みを忘却してしまったかのように、敵を殺す。「マチルダさ~ん」とか叫び、見方のウェイブ(女性兵士)の氏を悼むわりには、敵にも同じように婚約者が要るのではないかという想像はせずに、ザクの頭を蹴り上げるのである。

 もちろんそうでなければ戦争などできないのであるが。それがなんとも理系的というか、職人的であるというか。「風立ちぬ」的な世界である。(ああ、アニメはジブリはさすがに見る。『紅の豚』が好き)あの映画が理解できない人は、ガンダムも本質的には理解できないであろう。

 

 さて、今回見たのはそのガンダムのシリーズで、本線と説明した三作品の後の世界を描いている。ガンダムの世界を貫くのは宇宙コロニーに住むスペースノイドと、地球に住み続けるアースノイドの対立祖言う設定だ。スペースノイドの国家(?)は「ジオン共和国」で、ジオンも含めて地球と宇宙を統べているのは「地球連邦軍」だ。人口が増加しすぎたので、地球から移民という形でコロニーに移住させられた。

 いわゆるファーストガンダムで、ジオンと連邦は協定を結び、ジオンは自治権を手に入れている。UCではその自治権の返還期限が四年後に迫っている。自治権の拡大を目論むネオジオンは、ビスト財団が所有する宇宙世紀開始時に生じた機密である「ラプラスの箱」を狙っている。ビスト財団とはその秘密を盾に連邦政府を脅し、せしめた金で当時新興企業であったアナハイムエレクトロニクスを、大企業へと成長させる。

 そのアナハイムの工業専門学校に通うバナージ・リンクスは、コロニーでロボットを使ったアルバイトをしていた。ある日、空から降ってきた美少女をロボットで受け止めたことから、何かがズレているように感じていた人生が転がり始める。この美少女がミネバ・ザビ。ジオンの忘れ形見である。(ジオンは一年戦争時、独裁していたザビ家の主要人物を全て失っていた)

 なぜかミネバを守ろうとしていると、バナージはユニコーンガンダムに乗ることになってしまった。ユニコーンは「箱の鍵」である。ユニコーンが、「NT-D(ニュータイプデストロイ)」というモードを発動させると、その都度、宇宙中のとある地点の座標が出される。

 始めは宇宙ドッグ? 的な首相官邸。次に連邦政府中枢であるダッカ。そして最後にメガラニカ。移動先で、あるいは事件に巻き込まれて、バナージは多くの人の死と遭遇し、成長していく。

 

 とかなり割愛しながら概要を書いた。興味のある人は是非見てほしい。

 ネット上での賛否は割れるのだろうか。私は80~90点という、結構高評価だ。理由を挙げる。

 一つは絵のカッコ良さだ。UC2でフルフロンタルというネオジオンの総帥の乗るシナンジュというモビルスーツが出る。デザイン的にはそんなに好きではない。が、岩礁のなかを後続機の三倍で飛んでくる場面はかっこよかった。全体的にモビルスーツのシーンが良いのだ。全部をセルで制作していると聞いた。その影響だろうか。

 なんとなく私のようなガンダム好きに向けた作品であった気がした。妙にアニメ・アニメしたものでもなかった。今のアニメを意識したら、全員美少女になってしまうのか。禿頭のおっさんが艦長ということもないだろう。モテキャラのはずのリディ少尉がミネバに拒否されたから自暴自棄にもならない気がする。偏見だよね。

なぜなら、この作品は人物本位(人物の設定に合わせて物語が組まれる)ではなく、物語本位(物語に応じて人物が配置される)で作られた作品だからかもしれない。

 

 ただ後半にくるとついていけなくなる部分があった。それは「次世代に判断を委ねよう」という感覚だ。これには「若い人達の方が正しく物事を判断する」という感覚が物語のなかの人物に共有されているという前提がないと出せない。もちろん、我々視聴者にもこの感覚がないと成立しない。福井晴敏氏の作品にはまま見られる考え方である。未熟者の方が正しく判断できるのか、私には分からない。

 これは日本人特有の感覚であるらしい。古くは古事記にもある話で、引いてはこれがロリコンに繋がっていくのだろう。若いということで少々評価が上昇する。日本は和の国である。和というのは日本の宗教観と関わって成立したもので、重視していると、途方もないしがらみに見舞われる。オウム真理教の事件でもそうだが、しがらみ(閉鎖性)のなかで物事を判断すると集団の論理に左右されてしまう。たまにそうでない人間が登場する。わかりやすい代表格が織田信長だろう。わかりにくいが、源義経もそうである。もっとも、義経は戦限定である。彼は奇抜な戦術で兵士を翻弄した。現代では・・・・・・、思いつかない。

いましがらみのなかにある大人には織田信長になる可能性は低いが、若者はしがらみがないのであるから、織田信長になる可能性が高い。もしくは、和のしがらみを再構築できる可能性がある、と思ってしまうのだろう。なんとも情けない大人たちである。これを見ている十代二十代の若者も、気づいているだろう。すでにしがらみのなかに自分たちが存在していることを。それに信長や義経になるということは、年齢などすべてを超越する行為であって、それはただ若いということでは接続不可能だということを。和のしがらみを断つということも、それは外部の圧力でしか為し得ないということを。

ただ、それを言い続けることが大切だということか、とおじさんは溜め息をつくのである。