今日の十分日記

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原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

生きにくいと感じる人へ。前田慶次に見る、物語と人生。その2

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 ベストヒットUSA南佳孝が出ていてビックリしたまさりんです。

 

 

 2015年から有名なゲストが出てくるのは良いけど、ゲストの曲くらい書けてあげればと思う。ユーミンやゼブラとか出ていてその都度ビックリしている。音楽の、特に洋楽の総合的な番組が今はラジオくらいしかないので、この番組は良いと思います。最近は見ていないけど、twitterの公式アカウントが、「リアルタイムに見ろ」と半ば脅迫的に宣伝しているのはいただけないが。

 

 さて、前回前田慶次の紹介として、「一夢庵風流記」と「花の慶次」について書いた。もっとも前田慶次に関してはあの通りの人柄かどうかは分からないらしい。人柄を考えるに、「前田慶次道中日記」という作品が一番参考になるらしい。とにかく風流人であった。ただのいくさバカではない。京都では里村紹巴とも親交があり、連歌の会にも招待されていたそうだ。

 「

 

前田慶次と歩く戦国の旅 (歴史新書y)

前田慶次と歩く戦国の旅 (歴史新書y)

 

 

」でも、京都から米沢に向かう途中、古典和歌の名所では、過去を回想し、歌を詠んだりした。例えば、逢坂の関では・・・。

 

 逢坂の関は、古代の街道の関所が置かれた所であり、不破、鈴鹿と並んで三関と呼ばれていた。代表的な歌枕の地である。逢坂の関を詠んだ歌は数多いが、もっとも有名な者は平安前期の歌人蝉丸の「これやこのゆくもかえるもわかれては知るも知らぬも逢坂の関」であろう。慶次の時代、もちろん関所はない。

 ここは京都と東国を結ぶ交通の要衝で、東海道東山道北陸道の結節点でもあった。現在は国道一号線沿いに「逢坂山関跡」の碑が経っている。逢坂山のことをいにしえの関所にちなんで関山とも称した。

 関山を越える時、慶次は次のような歌を詠んだ。

 

  誰ひとり浮世の旅をのがるべき のぼれば下る逢坂の関

(引用:「前田慶次と歩く戦国の旅~『前田慶次道中日記』を辿る」

 

 

 というように、歌枕の地や景勝地で歌を詠んだりする。和歌だけでなく、漢詩も詠む。

 

向東去北行路難  東に向かい北へ去る旅路のつらさ

遙隔古郷涙不乾  故郷は遠く隔たり涙も乾く間がない

我夢朋友高枕上  懐かしい友が夢枕に立つのをみた

破窓一宿短衣寒  粗末な宿と短い衣の肌寒さが寂しさをつのらせる

 (引用:前掲書)

 

 

 私自身に漢詩の素養はないのでわからないが、シンプルで良いと思う。

 

 旅というのは憂鬱なものであったらしい。それはそうだ。今は交通の便はよいので、「移動」というのを考えなくてもいい。しかし、この時代は馬や徒歩での移動だ。当然、退庁を崩すものも出てくるだろう。

 実際に慶次の旅でも、京都からついてきた従者と別れている。

 

 慶次の一行には、朝鮮人父子三人が加わっていた。父と息子二人である。父親の名は分からないが、二人の息子については、『道中日記』に楚慶、寉人という名が記されている。彼らは「予(慶次)がめしつかふ高麗人」であるという。ちなみに、慶次一行の中で名前がわかっているのはこの二名だけである。

 琵琶湖を舟で移動した慶次一行は米原に上陸し、美濃へ入った。ここで高麗人の従者が病にたおれた。馬にも乗れない様子だったため、慶次は病人を同行させるのをあきらめ、菩提山の城主に書状を添えて彼を預かってもらうことにした。慶次は、白居易の詩の一節を書きつけている。

 

 慈烏失其母 唖々吐哀音(慈烏その母を失い、アアと哀音を吐く)

 

 

 菩提山と聞いて、ピンと来た人は歴史に詳しい人なのだろうか。この菩提山の城主は竹中半兵衛の息子、丹後守重門である。                           

 この朝鮮人の従者というのは、漫画や小説に登場しない人物であろうか。

 

 様々な継承を巡りながら、やがて米沢に着く。晩年は病に苦しんだのかもしれない。本書では前田慶次の文化人としての側面がよく現われている。是非読まれたい。

 

 

 

 自分が青年期に影響を受けた人物は多々存在するが、前田慶次の特徴は、今で言う(最近聞かないが)リア充な人物ではないということだ。リア充というのは、社会の上位層のことを指すのだと思う。加賀国から出奔してしまった彼は、武士といっても浪人の身である。現代のヤンキーですら、二十歳越えてもやっていたらかなり恥ずかしい。しかも、多くのものは古典や教養を身につけていない。もちろん、これは学校に行っていないとか、底辺校出身いう意味ではない。教養というのは結局人との触れあいで身につく。学校という場の問題ではない。

 家庭も含めて、組織を持つということに絶望的な気分な人はこういう生き方をしてもいい・・・・・・、などと無責任なことはいえないが、少なくとも励ましにはなるだろう。また企業組織のなかでも自分の芯というのを持っていれば、案外、暮らしやすいのかもしれない。