今日の十分日記

今日の十分日記

原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

疲れているあなたへ。沢木耕太郎「246」

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 日曜日だからって惰眠をむさぼりすぎて、家人にイヤな顔をされているまさりんです。

 

 

 昨日眠れなかった。季節の移り変わり、とくに温度が上昇する、冬から春、春から夏にかけてこういうことがおおい。たぶん眠るのがもったいない気がしているのだけれども、かといってどこかに出かけるような行動力もなし。本をずっと読んでいるくらいである。

 

 今は、沢木耕太郎の「246」というエッセイ集? 日記集? を読んでいる。沢木耕太郎といえば、ノンフィクションの名手である。同時にエッセイもとても上手い。こういう人は学生の頃、作文が好きだったのだろうとおもっていたのだが、意外や意外、嫌いだったのだそうだ。中学生のころ、交換日記を担任の女性教師としていた。それがきっかけで作文が多少好きになったのだそうだ。

 ある日の日記に、こう書いた。

 

 5月9日(水)雨

 雨の日曜日というのはしっとりとしていて休日らしいが、平日の雨はいただけない。これで水キキンが解消したのかどうかはわからないが、5、6日分は助かるだろう。

 やけにねむい。

 昨日ねたのが12時15分、今日起きたのが7時15分、僕の体質からいって7時間睡眠ではたりないのだろう。

彼岸過迄』を読み終えた。おやじが僕くらいの時にそれを読んだら非常に面白かったというが、僕はさほどおもしろくなかった。年代の相違か、僕に文章の読解力がないのか。

 やけにねむい。

 どこかの三文小説に1回でも美しい気持ちを持たなかった日は、よい1日とはいえないなんとか書いてあったが、そこからいくと今日はさほど有意義な1日だったとは思えない。

 

 これを本当に中学生の頃に書いたのだとすれば、結構センスがあると思う。

 

 「君という青年について、発言も多いし、パッパッとやってしまう派手な外向的な性格、という見方と、人の反応を神経質に考えたりする面があるんだ、という見方があるようです。日記を読ませてもらって、その内省的な面を少しのぞいたような感じがします。もし気が向くなら、見せるためでない日記を続けてみたらいかがですか。自分をもっと確かめていける足がかりになると思うのですが」

 

 若い女性教師はこう書いてよこす。沢木氏は、これによって、断片的ではあるが、文章を書く楽しさを知る。自分の書いたものが理解されたり、反応があるということに感動する。が、この教師は父親の世話を続け夭折する。彼女との出会いが沢木氏を変えたのだろう。

 

 このように幼少期の思い出や、仕事の話。『深夜特急』や赤軍の裁判の傍聴、近藤紘一の死亡など多くの仕事をこなす。講演で海保の大学校に行った話、鉄ヒロシ、河野洋平、との交友、そして三歳になる娘との生活。

 日常を描いているのだが豊かである。というより、たぶんどんなに小さなコトでもいいから書き出していけば、このようになるのかもしれないと思う。時期的には86年ということで、バブル華やかなりし時期であるが、その気配があまりない。浮かれた話がないからだろう。どこぞの有名イタリアンに一人でぶらっと入ったということは書かれていないが、近所のラーメン屋の不味さに憤慨していたりする。庶民的なのである。

 ただ、今はこんなにゆったりと暮らせないのではないかと思う。普通のサラリーマンならば、今よりも雇用量が多く、ゆっくりできただろうし、なにより実はITが普及した負の側面で、ムダに忙しさが増している感じがする。三歳の娘にゆっくり寝物語をしてあげられる親(特に父親)っていないんだろうと思う。

 文章がとても上手なので、疲れずに読める。いずれ沢木耕太郎のエッセイ三部作「バーボンストリート」「チェーンスモーキング」「ポーカーフェイス」を扱おうと思うが、ちょっと読むのにいい作品だ。一読されたい。

 

246 (新潮文庫)

246 (新潮文庫)