池波正太郎をめざして

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明日は明日の風が吹く

今の心境にあわせてブログ名を変更しました。どうぞよろしく。肩の力をさらに抜いてやります。

林真理子氏週刊文春におけるエッセイの現代文の授業的考察

 今週はなにかと忙しいまさりんです。

 

 今回は「短編小説の集い感想集 2」の予定を変更して、「林真理子氏エッセイについて」書こうと思います。

 はてなブックマークで今回のエッセイについて話題になりました。私もブックマーク(空白)をしておいたのですが、ツイッターでこのエッセイについてのコメントを求められました。

 

 とはいうものの、このエッセイをこの時点で読んでおりませんでした。書店でこれを買い求め、読みました。

 

1,エッセイの読み方

 このエッセイは読むのにコツがいるのだと思う。というのは、林氏の立場、視線というのがはっきりしていて、自分と同じであると考えてしまうと誤読をしてしまう。それは「彼女は終始子ども(この場合被害者の中一生徒)の立場を貫いている」ということだ。多くネットに見られる反論は、「シングルマザー」という立場からなされている場合が多く、これでは噛み合わないのだ。

 少々引用する。

 ふつうの親だったら、子どもがこんな顔にされていたら警察に届けるはずだ。子どもが「転んだ」とごまかしたとしても、絶対に真相を探ろうとする・・・・・・などと怒っていたら、夫に、

 「そういうことを言うものではない」

 とたしなめられた。

 「いちばんつらいのはお母さんなんだから」

 そんなこと百も承知であるが、お母さんがもっとしっかりしていたら、みすみす少年は死ぬことはなかったはず。

 

 

 特に太字のところに注目して欲しい。夫はお母さんの立場に立っていることは明白であるが、自分は「そんなこと百も承知であるが」と前置きして、私(林氏)は「母親目線」の夫とは違う視点であると宣言している。ここでは明白に「子ども視線」である、ということだ。一番の被害者である、子どもに寄り添って物事を考えますということである。

 これを読み違えてしまって、大人の立場(お母さんに寄り添って)文章を読んでしまうと、ものすごい暴言を吐いているように読めてしまう。

 もう一つは、これが林真理子氏だと思って読むから、つまり大人が書いた文章だと思って読むから、暴言だと思うのだ。これが、中学生女子の書いた文章だと思うと、さほど酷いことは書いていない。彼女は子どもに寄り添い、子どもの立場で物を言っているのだと私は考える。

 

2,「女でいたい」という言葉

 少々、引用しよう。

 

 しかし、そんな昔のことを言っても仕方が無い。この貧困の中にいる子どもたちをいったいどうしたらいいんだろう。私はやはりお母さんにちゃんとしてもらわなければと心から

思う。

 

 

 表現が「子どもたち」という表現に変化している。ここからは一般論を書いているのだと思う。もちろん、終始一貫して「子どもの立場」は貫いている。

 また、一番問題とされていた、「そう、雑誌を読む習慣を持つ人というのは、恵まれた層の人たちだということを私は実感しているのだ。」という記述もさして問題はない。一般論だとしなくても、「子ども五人を抱えたシングルマザー」が雑誌を、しかも週刊誌を読まないだろう。今回久しぶりに週刊文春を買ってわかったが、四〇〇円もするのである。生活がカツカツであれば、これを節約することを考えるだろう。四〇〇円あれば、日高屋ならば中華そばが食べられ、コンビニならおにぎり二つは買える。パンでも二つ買える。ミスドーだったら、ドーナッツ三つ(安売りしてれば)、丸亀製麺ならうどん一杯食べられる。電車代なら、東京――新宿を往復できる。

 これだけの金額を生活が苦しいのに、雑誌に割かないだろう。ちなみに、物価が上がるということは、弱者への負担増が直撃するということだ。たぶん、景気回復しても弱者の賃金はそれほど増加しないだろう。もちろん、知性とは別問題だ。

 

 とにかく、それほど暴論は吐いていない。これを暴論とするのは結構悪意があると考える。とうより、我田引水であろう。本来はいちいち検証すればいいのだが、発売中の雑誌なので最低限の引用にしたいので、実際にお買いになって読んでほしい。

 

3,私見

 ただし、林氏の意見を許容はできない。もしかすると、この文章は同じ中学一年生の立場に立って書いているのかもしれない。家庭にいずに外に居場所を求めている以上、この中学生も家庭に居づらいと思っていたと思われる。

 学生は恋愛をする必要はない。微妙な表現であるが、「必要はない」のだ。これが学生なのに「恋愛をする必要がある」ならば、モテない人間は大変である。勉強にならない。時間も労力も費用も、そちらが中心になってしまうだろう。モテる人間は恋愛活動に勤しみすぎて学業が疎かになるだろう。現にそういう人間をよく見聞きする。それだけ、「学習(もしくはスポーツ)に集中できる」というのは恵まれた状態なのだ。頭や身体が柔軟な内に基礎的な学習をしないと、大人になってからではできないということだ。

 ただ、「社会人になってからは、仕事と同時進行で、恋愛と結婚、家庭経営をしなければならなくなる」という事実を子どもでも知っておいた方が良いと思うのだ。しかも、男女の仲というのはどんな状況にあっても、「発生してしまう」ものなのだ。ほとんど、人間の業と言っても良い。

「しょうがないじゃない、好きになっちゃったんだから」

 だから、女なんて「捨てる」とか「捨てない」ではなくて、「捨てられない」ものなのだ。これは男とて同様である。この意味ではまいかさん(@maikachanp)に近い意見だ。もっとも、不倫などを礼賛しようというのではない。ただ、不倫をしなかった男と女というのも、そういう相手にであわなかったというだけだったり、たまたま出会っても抑えられたというだけに過ぎない。そう考えた方が、理不尽な世の中、楽に生きられると思う。

 

 もちろん結果を考えれば、「仕方が無い」とも言ってられないのであるが、どうにも責めきれない、読んでいるとやるせない思いに囚われるのが今回の事件である。ただ、どう考えても、被害者や被害者家族に責めを負わせるのは酷だと思うのである。

 

 そして林氏の中学生的な視点も、そう言ってもらえると楽になる中学生がいるのかもしれないという点では、とても意義のある文章であると思う。同じようなシチュエーションにある中学生は、「君は間違っていない」と言われれば楽になると思うなあ。