池波正太郎をめざして

読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

明日は明日の風が吹く

今の心境にあわせてブログ名を変更しました。どうぞよろしく。肩の力をさらに抜いてやります。

「自分の頭で考える」方がよいのか、「自分の頭で考えない」方が良いのか。両方だろうね。

雑記 エッセイ

 晩春というよりも、早くも初夏に突入して、季節の移り変わりにとまどっているまさりんです。ジョギングをしたら、ちょっとだけ熱中症になってしまったのか、体調が悪いです。

 

 

 今回は「ミチクサダイアリー」の「自分で考えるv.s.自分で考えるな」を読んだ感想を書こうと思う。本当は、テレビのお笑いについての話を「ミチクサダイアリー」で書かれていたので、そちらで書きたかったのだが、こちらを書いてしまおう。ただ、「ミチクサダイアリー」の記事を批判しよう(そもそも批判とは否定という意味を強く内包するのが一般的だ)という意思はない。ただの感想である。そう私の意図は人気者にあやかり、便乗をしようというのである。

 

 この記事で引用している『「自分の頭で考えるなんてやめたほうがいい」と言う研究者の話』のまとめと、「自分で考えるv.s.自分で考えるな」についてのまとめを簡単にしなければならない。が、一応元の記事を読んでほしい。私のまとめが恣意的かどうか、そうやって判断してほしいのだ。

 

 

blog.tinect.jp

 

 元の記事

 よく若手の研究者などにありがちなのだが、「私はこう思った」と調べもしないでいう人間がいる。そういう研究は山ほどあるよ、と指摘しても自説に固執してしまう。「自分で考えよう」なら「自分がバカであることを認識しよう」の方がよい。重要なのは自分が何について知らないのかである。会社でも「まずマネろ」と指導する。マネができて、一人前。それから今までの知識を整理して新しいものを考える。それが正しいあり方だ。

 

 

michikusadiary.hateblo.jp

 

ミチクサダイアリーの反論

 批判しろと指導すべきだ。批判とは物事に見当を加えて、判定・評価を加えること。「先行研究」は絶対ではない。将来ひっくり返ることもあり得ることだ。昔、「先行研究」を並べるという恐ろしい卒論計画書を出した人がいた。自分で考えることのできない人というのは、「先行研究」を鵜呑みにしてしまうので、元の記事のいう「何を知らないのか」が認識できない。

 

 「知識がない状態で相手を批判することが『下手の考え休むに似たり』ではないか。それこそよく考えろ」という批判をしたがっているそこの御仁。しばし待たれよ。彼女が書いたことをフォローすると、批判的精神を持って意見を聞いたりすることも立派に「考える」ということなのだろう。

 この二つの記事には前提条件の違いがあるように思う。ゆっこさんは人とのコミュニケーションの効果を信じていて、元の研究者は他人とのコミュニケーションの効果を信じていないのだろうという風に思った。

 批判をしあう土壌というのは、そのようにして持ち合った情報がブラッシュアップされ、いずれ素晴らしいものに進化するだろう、という感覚を前提として持っている。

 若い研究者の行動を否定する態度はその逆である。若い研究者はゆっこさんと同じように思っているのかもしれない。それを馬鹿にしたように、「そんなのもう研究され尽くされてるよ」と呆れられるより、その先どうすればいいのかというアドバイスをもらいたいと思っているのかもしれない。師匠がほしいのだ。

 だが、著名な研究者は「そういうことは自分でやってくれ」と思っている、もしくはそんなやりとりは意味がない、と思っていると感じる。

 どちらが、研究者として理想的なのか、といえば、もしかすると著名な研究者かもしれない。最先端に行けば行くほど、ある程度形にしなければ相手に伝わらないだろうし、それから評価が始まるのだろう。つまり、煮詰まる前の議論など、ほとんど意味がない。実際の研究とは(特に自然科学は分かりやすいが)先行研究をかき分けかき分け、先に進んでいくのだろうが、煮詰まる前とは「先行研究が存在する時点では」、という意味だ。

 

 あとプチ情報だが、卒論など「先行研究」を並べるだけにしろ、と指示する教授が昔はいたよ。お前らが頭を使ったって、新しい成果に結びつくわけがないだろう。それなら先行研究をきちんと「研究」して、研究のコツを掴め、というのも実は一理あるらしい。

 

 さて、結局「自分で考えろ」が良いのか、「自分で考えるな」が良いのか、という元の質問に戻ろう。

 やらなければならないのは、「先行研究を学び、同時に自分がなすべきことを考える」という作業だ。要するに、「頭を使う作業」と「頭を使わない作業」というのは両方必要だ。そうでないと、「先行研究」を調査するだけで研究者人生は終わるだろう。何も生み出せずに終わる研究者は多い。「頭を使う作業」というのはオリジナリティを生み出そうという思考、「頭を使わない作業」とは他人のオリジナリティを学ぶ作業だと思えば良い。

ただ、普通の四大生がやったって、「先行研究」を批判などできないと思っててよい。「なんか良い」とか「なんか嫌」とか生理的な反応以上のことはできないだろう。批判というのは資質と資格が必要なのだ。資質を得ることは努力してもムダ。資格を得るには・・・・・・。だから研究者は勉強しろ、と言っているのだと思う。

 今回は研究などに限定して話したが、普通の企業では、「先輩のマネ」をし、同時に「いかに早く先輩を超えるか」ということと、「自分が勝負する土俵の選定」ということを考える必要がある。とは言うものの、先輩のマネだって頭を使わなければ出来ないと思うけどね。

 

 最後に著名な研究者がなぜこのような考えを述べたのかに着目したい。この元の記事の筆者の言うことを信じれば、この研究者は著名なのだろう。なんかニヤニヤしてしまう。要するに常識に反することをわざわざ言うハッタリをやっているように感じるからだ。著名だから一流だとも限らない。著名なのにハッタリ勝負の三流の研究者か、逆に一流だが煮詰まっているかどちらかだろう。前者だったら哀しいな、と思ってニヤついてしまうのだ。

 

ブログランキング・にほんブログ村へ