今日の十分日記

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原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

楽しんだんだからいいじゃない。江戸時代の風俗産業について。

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 こんにちはまさりんです。徐々に暖かくなってきました。いかがお過ごしですか。「短編小説の集い」の出品作品を考え続けています。まあ、まだ締め切りには日があるので焦ってはいませんが。

 

 

 今日は、隆慶一郎作の「吉原御免状」を紹介する。本作品は隆慶一郎のデビュー作品である。隆慶一郎は長年テレビドラマの脚本を書いていた人物だ。そして八九年に没しているのだが、デビューは八四年、かなり晩年になってから小説を書きはじめた。メインストリームにある英雄を扱うのではなく、漂泊の民など、ともすると歴史に埋没してしまう人々を主人公に歴史を紡いでいく。今作品もそうだ。

 本作の主人公は松永誠一郎。宮本武蔵の晩年に弟子だった男だ。武蔵から、二十五歳になるまで修行を積んでいた山を出るな。二十五歳になってからは江戸の吉原に庄司甚右衛門を尋ねよ、という遺言と庄司甚右衛門宛ての手紙を残して死ぬ。言いつけを守り、誠一郎は二十六になってから、肥後の山を出て、吉原へ向かう。誠一郎は武蔵の弟子であるだけあって、「超」のつく剣術の上手だ。

 吉原に着いた誠一郎は幻斎という老人と出会う。目当ての庄司甚右衛門は死んだと告げられるのであるが、その子孫に厄介になる。幻斎に引き回され、誠一郎は吉原について、また自分の生い立ちについて徐々に知っていく。山に籠もっていたから、誠一郎は女の経験がない。その相手を務めるのが、太夫の高尾である。太夫と逢うというのは儀礼めいた手続きがいくつもある。それを経ないと、高尾と昵懇にはなれない。要するに、売春婦ではあるのだが、太夫というのは相手を選べるのである。

 様々な出会いと川柳から当時の吉原の風俗が丹念に描かれていく。

 

 そうそう、性風俗や水商売を経た人間が、人間を語るのが、どうして偉いのかという記事があった。

 

delete-all.hatenablog.com

 

  なんとなく、この江戸時代の吉原の風習の影響が一つ影響しているのかなと思う。あと、やはり売春婦というのは歴史上最古の職業であるらしい。きれいなオフィスでぬくぬくと会社員をやっているよりはキツい環境であることはまちがいない。その現場で一番身体を張っている仕事である。ある種の迫力が出てしまうのは確かだろう。

  そのようにカリスマとして君臨するのは、銀座や新宿で人気NO.1のキャバクラ嬢やホスト、そしてAV女優だろう。本当に自分の身体を看板とし、競り勝った人間はやはりそれだけすごいと思われる。(私がどう思うかは別だ)

  そんな世界はお客にとっては、建前じゃなく、本音をさらけ出していいという感じがある。この太夫の高尾と違い、たとえばソープ嬢なら相当な客でも受け容れると聞く。そうすれば、人間胸襟を開くだろう。それを体験したという場数が尋常じゃない。それらのことからある種のカリスマ性を得るのだと思う。確かに会社員でも優秀な人間は、人間の本能を見透かせるが、大抵の人間にそれを期待するのは酷だろう。まあ、キャバクラかなんかではしゃいだ姿をブログに載せられて照れるのも分かるけどね。

 

  話を元に戻す。

  この誠一郎、故あって柳生一族に付け狙われたりする。いわゆる「裏柳生」だ。それを阻止するために、「表柳生」の総帥に、柳生の剣術の極意を教わる。そんな危機を乗り切ったりするうちに、幻斎に導かれ吉原の秘密に近づくことになる。

  隆慶一郎は結構荒唐無稽なストーリー展開が多い。この話でも誠一郎は天皇の落し胤だという設定である。このことがストーリーを作っていくのである。「そんなこと本当にあるのか」と思っても、「そういうこともあるだろう」と乗っかると実に面白いのだ。現代人にとって一番の贅沢は「暇な時間を持つ」ことだろう。だから、暇つぶしというのはナンセンスなのかもしれない。でも、寝る前の三十分を読書に費やしているという人には、おすすめしたい本だ。

 

吉原御免状 (新潮文庫)

吉原御免状 (新潮文庫)

 

 

 

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