池波正太郎をめざして

明日は明日の風が吹く

今の心境にあわせてブログ名を変更しました。どうぞよろしく。肩の力をさらに抜いてやります。

ははん、「互助会の 正体見たり 枯れ尾花」

 今日はブログを書く気分になれないまさりんです。

 いやね、内容がね。先に書いてくと、中身はタイトルと逆の内容です。「互助会の 正体見たり」と書いたところで、「枯れ尾花」のフレーズが浮かんでしまったんです。語呂が良いんですよね。もとは何だっけ。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」だっけ。幽霊の正体を突き止めたと思ったら、それはただの枯れ草だった、的な話だったと思います。それでは本編へ。

 

 二日前の夜だったと思う。ゼロ助さんのブログで「どうしても言いたいこと」というタイトルで、スターを付けている不気味な人々について述べられていた。要するに「お前読んでるのか、読んで付けてるんだよな」ということがおっしゃりたいらしかった。

 正直言うと、「またか」というのが初見の感想だった。以下、そのゼロスケさんの記事とは関係がないので、リンク等々は貼らない。きっかけだったというだけだ。

 

 いつのころからか、「はてな互助会」という集団がいて、ブックマークやら、融通し合っているらしい、というのがそこここで記事に上がっていた。それが不愉快だというのが、論旨であった。私の分からない所で行われている空中戦だというのが正直なところだった。ゼロスケさんの記事を読んでいて、結局この話の根幹が分からないと、話が理解できないと思った。

 しかし、こういう展開になると身構えてしまう。それは中学生の頃の出来事に遠因がある。

 

 中学二年生のころ、クラスでいじめがあった。数学のもう引退間近な教師が特定の生徒を依怙贔屓している。それが許せないというのがもとで、なぜか依怙贔屓された生徒がいじめの対象になった。いいかい、その生徒は私の印象なら依怙贔屓されたどころか、数学を一生懸命に勉強して、先生に指されたから一生懸命に答えただけなんだよ。なのに、標的になってしまった。その数学の先生はおばあちゃんで、すごく恐かった。グーニーズに出てきたおばあちゃんに似ていた。

 

 そのいじめの首謀者とは比較的仲がよかった。そして、いじめられた男子生徒は卒業まで意固地に他の生徒と口を聞かなくなった。理科の実験でも、独りで実験を行っていた。私は理解できず、「オレが組もうか」とか言いながら、理科の実験などで班に加わろうとした。ちなみに、元々は理科の実験班もその首謀者たちと同じ班だった。つまり、こういういじめが発生していて、まさか自分のすぐ隣の人間がやっていとは思わなかったのだ。孤立していることを心配して、反射神経的に動いていたのだが、いじめを受けていた生徒からすれば、不可思議な行動だっただろう。うかつだった。担任の教師は理科の教師で、かなり恐い先生だったのだが、その先生がいじめを受けている生徒が一人で実験しているのを許していることにおかしいと感じなかった。冷静に観察して気付くべきだった。今でもその生徒を傷つけたと、自らの大きな汚点だと思っている。

 その生徒は同じ高校に進学したのだが、打って変わって部活で多くの友人を獲得し、楽しそうにしていた。私は距離を取っていたが、良かったな、と独り目を細めていた。じじいみたいだ。

 さて、私はこの経験から学んだことがある。それは、「親友とはいえ、弱みの一つでも握っていて、いつでも破滅させる用意はしておかなければならない」ということだ。嘘です。本当は「無目的な集団とは距離を置くべし」ということだ。クラスというのは、特に私は田舎の普通の公立中学なので、勉強をやりたいと思っている生徒ばかりでない。こういう集団では、「いかに異性にもてるか」「いじめを主導するか」が人間の評価基準になる。幸福なことに、私のクラスでは、文化水準がある種の基準になっていて、音楽をどれだけ聞いているかとか、みなが読んでいる漫画を読んでいるか、テレビのバラエティをどれだけ見ているか、などが基準になっていた。不思議だが映画はなかった。娯楽が多様化した現代の若者だと、クラスに共通する文化的尺度というのはないのかね。いや、あると信じたいが。派閥ごとに分かれているような気もする。ただ、その文化的基準でもいじめが可能である。だから、無目的に群れている集団には近寄らないのが一番だ。

 高校ではこの是を守って、クラスとはできるだけ最小限の関わりにした。いじめられた彼が友人を作っていたのとは対照的に、私は中学時代の、あの首謀者以外の友人とよくあそんでいた。受験勉強が本格的になる高三になると、クラスは共有する目的を持ち、集団の姿も美しくなった。そのときになって友人ができた。不思議なものである。

 

 東北の震災のときに、「男は集団で動かない」ということを問題としてあげていたが、東北の男性はこういうことを本能的に知っていたからじゃないのだろうか。最低限が良いと、そう考えていたのかもしれない。

 

 大人になっても、自分の分からない所で問題が発生しているときは警戒してしまうのだ。極力関わり合いになりたくない。が、話題に自分が巻き込まれていないかどうかはチェックする必要がある。

 わからないことがあれば、グーグルに聞け! でお馴染みのグーグルに「はてな 互助会」で検索をかけた。これが元の記事だろうというのが出てきた。ここまでブックマークやらを使用していないが、それはこの記事に問題がある。その記事では完全匿名野郎が正義面して、他人を名指しで攻撃していたからだ。ゼロスケ氏などが互助会について言及するのはかまわない。文句があればゼロスケ氏のブログに行って言えば良いからだ。どうしても、この完全匿名野郎が名指しで文句を言う文化が理解できない。言われた方は泣き寝入りである。

 その完全匿名野郎の日記のコメントを読み、コメントをザッと読んで、再び検索。ここでも「互助会の正体」は掴めなかった。「同期会」というグループは互助会なの? グループの中にある、「同期グループ」というのも互助会に含められる可能性があるらしいので、一応退会した。公式にやっているものでもだめなのね。

 そのしっぽらしいものは、案外すぐ見つかった。このHPからブログに行って、名前を登録すると、本当に「互助会」に参加できるらしいのだ。こちらには参加していない。これに誰が参加しているのか、それをつらつらと読んでいると、知っているブログもいくつかあった。もちろん、名指しはしない。そういう行為をするのがムカつくのと同時に、どうでもいいからだ。正直言うと便利だなと思ってしまった。これだけボコボコに言われるのにやることはしないが。

 ただ、これは大きな声で言いたくはないが、じじばばの若者つぶしに見えなくもないな。大阪都構想をつぶした勢力みたいな。まあ、あれはネーミングセンスの無さが原因だと思うけどね。ただ、裏切り者は、以外に仲間内にいるもんだよ。あと、これを読んでくれているであろう、名指しで叩かれていた人、気にしなくて良いよ。なんかじじい・ばばあが若手を潰すのは日本人の性らしいから。

 インターネットなどの新技術は、人々に多く利用されなければ意味が無い。もしも、インターネットが商売に結びつかなければ、もう下火になってなくなっていたかもしれない。好事家しか利用しなければ、大手資本がプロバイダなどやらないだろう。携帯電話からスマホという流れもなかったかもしれない。回線が補強され、ADSLだの光りファイバーが使われることも、個人がこのような技術の恩恵を受けることもない。要するにビジネスに利用され、金が動くようになるというのは重要なことだ。「必要」が需要を生んでいるのだ。

 その方向に動いていくのは自然なことだ。じゃなければ、「稼ぎたくない」と威張っている人々もインターネットはコストが高くてやれないだろう。ミニマルもクソもない。Youtubeもない。結局ブログがなんで生き残ったかと言えば、最終的にそれで稼ぐという方向に繋がっているからだ。2chも九〇年代に爆発的にインターネットに参加する人々が増加した恩恵で成立している。それに古くからやっている人々の基準がいつまでも主流で正当だとは限らない、というのは経験してきたことだろう。古くからやってんだから。新しいことが始まるのは良いことだ。知恵もドンドン使いたまえ。まあ、互助会の人々が新しい人々かはわからないけど。

 まあ、いつも通りやっていきます。スターは読んだ印につけていいと公式が言ってたと思うから、いつも通り。付けた以上、軽くとも読んでっから。以上!! イライラする。これ調べんのに、夜中二時までかかった。時間返せ。くだらねえことで揉めんな。

 

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↑これもだめなんだっけ。ああ、めんどくせ。つうか、ブログやるときに、「やっとけ」って推奨していたぞ。