今日の十分日記

今日の十分日記

原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

第八回 短編小説の集い 感想集

スポンサーリンク

 日曜日いかがお過ごしですか。まさりんです。

 

 

 今回もみなさんがお書きになった文章の感想を書きました。今まで、感想を書くときに挨拶を省略していました。今回は初出の方が多いようなので、挨拶をしています。これまでの方はあしからず。それでは行ってみましょう。

 

 六月七日

※今日は少なめです。

kannno-itsuki.hatenablog.com

 

 ゼロスケさん(主催者)がいつか指摘されてしましたが、菅野さんの作品は、世界観がしっかりと設計されているところです。加えるとその世界は決して閉じられておらず、他の広い世界一部だというかんじがします。それだけ奥行きがあるのです。

 今回もそうです。七朗のきっと凄絶であろう人生はそれだけでどんどん作品が造れそうだし、火縄を持つ確かに良い家柄の育ちを感じさせる姉弟。彼らがこうなるに至った物語にも興味がわきます。設定が戦国のようなので、家臣の下克上にあい、滅亡・逃散せざるを得なかった主家の子ども。それともそう思わせるほどに変装の上手い忍びの者。七朗の十字架の反応から二人ともキリシタンなのかも。

 想像を様々に展開させられてしまうのも菅野さんの文章です。今回、書かれている「風琴堂」も面白い。清々しい文も良いと思います。

 ところで、どうしても七朗の姿が火野正平になってしまうのは私だけ?

 

 

kagaris.hatenablog.com

 

 巴莉さんこんにちは、まさりんと申します。感想を書きます。意図と違う内容になっても悪く思わないでください。

 「愚行権」という言葉があるそうです。意味は文字通りです。たとえば身体に悪いと知りながらも飲酒・喫煙をしてしまうようなことです。人間なんだから、多少は愚行も許されるべきだということですね。達彦の選択は、他人からすれば愚行権の行使に見えるかもしれません。でもどういう人生を送るのが幸福なのかは人それぞれだし、達彦の人生ちょっとわかる気もします。

 否か出身の人間はみな、それぞれ思い入れのある故郷の風景が浮かんだのではないでしょうか。私は出身中学校の前の景色が浮かびました。田んぼがあり、それを囲む車一台しか通れない道をジョギングさせられました。

 そういう効果を生む「緑の犬」の使い方はとても秀逸だと思いました。また。一〇代後半から二〇代前半の虚虚無感を喚起するところも良いです。「身の丈に合った選択」をする若者も今時ですよね。でもどうしてスポーツ選手だけは上野世界へ挑み続ける意欲を持てるんだろう。隔離されてるから?

 

 

sakuramizuki20.hatenablog.com

 

 水城さんこんにちは、感想を書きます。ぶしつけながらよろしくお願いします。

 私ってたぶん皮肉れものなんだな、と思ってしまいました。男女を逆にするとちゅうがくじだいのかわいいと思っていた女の子に「女子に人気があったんだよ」と言われるわけでしょ。「そんときに言えよ」と返すだろうなあ。「彼女いる?」には「いない」の連呼。だってチャンスだもん。それとも男だからかな。イヤね。男って。

 たぶん数分間やりとりのなかに、女性の心理変化が繊細に描かれていて、それでいて完結している上に、この後を想像させる文章だと思いました。私のように自分だったらどうするのかというのを読みながら考えるのも楽しいです。若葉さんはLINEに登録するのか。今までの自分というものをちょっぴり否定的に感じている。けれど買われるきっかけを待っているわけです。「ええい、ままよ」と一歩踏み出すと思います。そして待っているのは、「輝かしい未来」かもしれませんね。

 

六月一〇日 

※一日空けてしまいました。すいません。

isseihaduki.hatenablog.com

 はじめまして、まさりんと申します。感想を書かせていただきます。

 緑色の瞳を持つアンジェラと彼女を守護するニコラスのお話。アンジェラに対するニコラスの感情が計りかねます。が、アンジェラは主人として、ニコラスの忠誠心に対して謝意を表しているものの、純粋に異性に対する好意はどうも持っていないように感じます。ニコラスへの好意があれば、「自由に恋愛がしたい」とは言わないでしょうから。

 この(ニコラスが好意を持っていたとして)絶妙な気持ちのズレが、物語を盛り上げてゆくのでしょうね。

 シンプルな文章ですが、じっくりと人物たちの心理を追ってゆくと、実に複雑な状況が浮かび上がってきます。「すべての男は消耗品である」という村上龍の本のタイトルが浮かんでしまいました。切ないなあ、こういう忠誠って。男同士でも、忠誠と恋慕は紙一重だものなぁ。

sampo.hatenablog.com

 前半は色をテーマにした話でした。このまま話が続くのかなと思いきや。突然ミステリーのような展開、結末。きっとソラが本質を抜いていった結果ですね。

 パパの本質は仕事でなく、パパとしての役目であり、それが抜けると出て行ってしまう。逆算すると、パパは本来理想的なパパだったのだろうと予想できます。メグにしてもパパにしても、どうしてソラはにらんでしまったのか。注釈を読んでもそれらしい記述もありません。

 おそらく転校する前の学校でも、今の学校と同じ事が発生していた。ついついにらんでしまって、他人の本質をうばってしまった。両親はソラにそのような能力があることに気付いています。そして状況が悪化すると、逃げるように居を移す。という生活をこの家族は送っていたのでしょう。

 そう考えると、ソラは可哀想な少年です。ところで、やっぱり近藤春菜を結婚しなきゃいけないから、ずっと主人公は黙っているのかなあ。

 

literary-ace.hatenablog.jp

 まず整理するとカエルくんは大学生なのね。そして、ニックネームが「カエルくん」。人間なのね。ここまで分かっていないと、「高校生かよ」というツッコミがピントこない。でも、顔がカエルの感じ、いわばケロヨンが頭に浮かんでしまいます。そうすると、あの間延びした性格もそのまま受け容れられるのです。

 それにしても、カエルくんよくバスケットボールを受け止められたね。そのおかげでガールフレンドもできたし。どうもケロヨン状のカエルくんには、「彼女」とか「ナオン」というのは似合わない。「ガールフレンド」という言葉が似合う気がします。

 でもそうすると、「ガールフレンド」の女の子の顔も赤いカエルが浮かんでしまいます。そうすると、周りの男子の顔もだんだんカエルになってきて、頭の中が「カエルの学校」になってしまって、『ケロロ軍曹』のような世界になっていきます。それがなんか面白くて良かったです。褒めてますからね。

 

neo-bunshoudokoro.hatenablog.com

 

 緑色の花というのはあるにはあるんですが、それは緑色の花であるのと対称的に赤や白の幹や葉ではないですよね。靫蔓は、葉の一部なんですね。でもチューリップでも緑の種類があったと思います。もちろん人語を話すことはありません。緑の花は人の心を癒すそうです。

 たぶん、花に色があるのは、花粉を運ぶ昆虫などに対するメッセージになっているんでしょうね。赤や白などの色とりどりの花の中央には花粉があるというメッセージ。緑の花が生き残りにくいのはそのせいでしょう。

 登場する人や花を整理すると調査員と本部というのは地球人、あと緑の花ですね。人語を話しているのはこれだけですよね。なぜこの種の調査を本部はしているのかがとても気になります。

 

tsubuyaki.hateblo.jp

 

 ちーさんが後書きで「いつかこの設定で長編書きたいかも」と書かれていましたが、ほんと長い物語の序章のような話です。続きはいろいろ考えられますよね。本当に長編をお書きになるときを考えて、想像して続きを書くのは止めておきます。

 プライベートガーデンの風景が幻想的であり、ここが一番ファンタジーですよね。月明かりをあびて、白の国の秘密と緑の国の秘密が露見するというのもファンタジーです。お互いはお互いの秘密を知っている。この秘密ありきなので、この第二皇子と姫が結ばれることはないのかもしれない。しかし、物語としてはこの二人の人間関係が軸になっていく。おお、これは広がりとしては面白いなあ。

 王様の父親が寝ても二人が踊っている。これから相撲を取ったら鳥獣戯画ですが、それはないのでしょう。

 

mimimi20.hatenablog.com

 

 自分の能力の見極めというのは難しいですよね。上司の指示に不満を持っていると大抵ろくな事にならない。どんな物足りない上司でも、上司である以上、人材の見極めはしているわけで、佐保子はそれを理解できていなかった。三年というのは少々早いかもしれませんが、指導力を見られたわけですよね。上司としても扱いにくい佐保子に最後のチャンスだったのでしょう。逆に上司から見たら佐保子はそういう人物かもしれませんね。

 ここで「ダルビッシュ密偵説」を提唱したい。ダルビッシュは上司の密偵であり、上司はダルビッシュを使って、人間的な資質などを試していたのです。デートに誘われても毅然と撥ね付けるような倫理観、仕事に追われているのなら仕事を優先するプロフェッショナル、グミの甘さに勝ちうるタフさ。全てを試されていたのです。佐保子は全てにおいて負けてしまいました。

 冗談はさておき。ダルビッシュみたいな人っているよね。こういう人が出世する世の中です。コミュニケーションの勘違い(一方通行だよ)、リーダーシップの勘違い(強引なだけだろ)。イヤになりますよね。

masarin-m.hatenablog.com

 

 創作日誌を書きましたが、もう少し細かい話をゼロスケ部長風箇条書きで。

〇初め「緑」というタイトルを聞いて、頭が真っ白になった。

〇あまり、ひねった解釈はしないようにしようと、「緑、緑、緑・・・・・・」と頭の中で唱えつつ数日過ごした。鎌倉が浮かんだ。一番最初に浮かんだのは報国寺の竹林だった。

〇ストーリーもなにも浮かんでいない状態で北鎌倉へ向かった。

鶴岡八幡宮で見た結婚式を中心にすることに決めた。本当にラッキーだった。

〇五千字なのでものすごく凝ったものはできない。とくに描写命とこの連作は決めているので、複雑なものはだめ。

〇一番書きたいことから書く。報国寺の竹林。あの竹林の感動を伝えたい。その竹林に辿り着くための話を入れると、文字数クラッシュ。

報国寺の竹林を純粋に伝えたいので、余計な設定は後回し。だからブーケの設定は後回し。

〇なのに、タイトルはブーケ。だって、そうしないと竹林でみんな先は読まないじゃん。

〇色はWEB辞典で引いた。ああいう色の名前が自然と出る人間になりたい。そうすれば、町を歩いただけで楽しいぞ。

〇ひさしぶりに人混みを書こうか。

結局長くなった。

 

hjsmh.hateblo.jp

 人間関係で人生が変わるってあるんだと思うんです。ただ、とくに好転しているときは、運を離さないように努力しなければなりません。それに「自分に運がある」なんて思ってはいけないです。なんて私に運があるわけではないです。どちらかといえばない方です。でも何かの聞きかじりです。結婚なんかで運が上がった人間とかっていますからね。そういう人は相手を大事にしてください。

 ヒロシは後者にちょっと不安があります。前者もかな。大体、人間運がずっと続くなんて思っていないものなので、いつのまにか運が落ちたと思って終わりかな。

 逆に人間関係で運が悪くなった場合は悲劇だよね。そういう話もいいなあ。書いてみようか。

 ちょっと運の使い方が悪いような気がしますね。やはり、この運の良さは長く続かないとヒロシは思っているのかな。

 

 

yutoma233.hatenablog.com

 

 後半の繰り返しの所を読んでいて、「お~」と感心してしまいました。「登れ」と叫び、斧を振るうという作業を繰り返しながら、きっと自分の弱い気持ちを切り倒そうとしているのだと。

 ただ、弱くないよね。「人間一人で生きているのだ」とか達観した顔で言うヤツって、結局独りでなんか生きてきたことないからだよね。今日某喫茶店で待ち合わせをしているとき、大きな声で独り言を言いながら店から出て行った老女がいました。ああいう人に、同じ事は言えないじゃない。逆に「寂しさに耐えかねているのだ」と思うよね。大和だってそんなに強くなくていいんだよ、と思いました。

 でも緑は空に帰りたいわけで、大切な人だから、その願いを叶えてあげなくてはならない。寂しいよね。

 菅野樹さんが長い物語の序章なら、小野さんはクライマックスを増幅させて書いたという感じがします。クライマックスの持って行きかたが、本をたくさん読んでいるんだな、と思うような、技術を駆使した書き方をしていて、すごいな、と思いました。

 

pululux.hatenablog.com

 

 いやオチがなくていいじゃないですか。もっと長く書けば、この完結した世界にオチを付けることも可能ですよね。簡単に言っちまえば、この完璧な世界に修復不可能なほどの誤作動を起こせば良いんですから。タマあたりにさせればいいんですよね。

 ただ、この完璧な世界を淡々と描写していくのも良いと思うのです。丹羽(庭?)博士の自己顕示欲や出世欲、金銭欲など人間の業以外の動機から始まった研究という設定は良いですよね。読まないで生半可な知識で書きますけど、「評価経済」とやらも、結局人間の業がなせるワザであり、我々はこれ以外を動機とする研究、行動をもっと評価するべきだと思います。「一銭にもならない」というのが今までは悪だったわけです。そうではなく、奇人をもっと大切にすべきですよね。

 ところで、NCSはもしかして「庭コントロールシステム」ですか。そう思ったとき、ちょっと笑ってしまいました。

 

kyoukonogokoro.hatenablog.com

 

「輪」という運命共同体。こういう場合、元からこの二人が何をするべきなのか決まっている場合が多いです。大抵、国や社会のために犠牲になる運命なのですが。人々は「輪」の力を使って、戦争を終わらせることができると考えています。しかし、「輪」の力が戦争を止めるためにある、というのが、通常のあり方です。つまり、戦争より前に「輪」の内容が規定されているのが普通です。

このずれが面白い。強大な力を有しているのだろうけれども、その力をどう利用するかは、二人にかかっている? のでしょう。世界を征服してしまってもかまわない。それでも戦争はなくなるのです。

二人はこの地から去りましたが、どこかで伴侶となっていることでしょう。

zeromoon0.hatenablog.jp

  異界の住人と出会うお話。古くからある話です。が、ゼロスケさんの話の面白いところは、境界の人が(たぶん)おっさんだということです。境界とは、人間界と異界の境界です。通常、この位置にいるのは子どもか美少女なんです。

ナウシカがそうですね。ETもそうです。子どもは異世界の住人と偏見なしに付き合えるからです。女性の場合、最終的に異世界への供物になるからです。

では、このおっさんは何を意味しているのか。普通に考えれば、「筆者の分身」か、「筆者の体験」です。私は、ゼロスケさんは、このような異界の人と出会う体験をしているのだと思います。つまり後者です。宇宙人と会いました? 宇宙人ではない? そのルポルタージュをお待ちしています。

 

 今回もなんとか感想を書き終えました。常連さんは個性がだいぶ固まってきましたね。新しく参加された方は、これから色というか味を出していくのだと思います。次回も頑張りましょう。もうすぐ第十回。

 

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ