池波正太郎をめざして

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明日は明日の風が吹く

今の心境にあわせてブログ名を変更しました。どうぞよろしく。肩の力をさらに抜いてやります。

漱石の感想を書くに当って。

雑記 エッセイ

 疲労回復のまさりんです。

 病院から帰って、爆睡したので、疲労回復しました。すっきり。そのかわり、余計なことが一切できなかったので、ここに書く内容がない。では本題。

 

 

 漱石を本格的に読んだ初めての体験は、不完全ながらも良く覚えています。受験勉強を終えた年のサング夏でした。受験は自分にとってやり切ったという感覚を得ずに終わった経験でした。大学進学者が高卒生の五割になっている今と違う昔の話です。就職の際のふるい落としが昔より厳しくなった――若者は減っているのに――、昔と今では受験の仕方が変わってしまいました。今は浪人をする人間が珍しくなってしまったのですが、昔は一浪一留までの足踏みは許容されていました。大学を入学するときはそうでした。卒業するときには、厳しくなっていましたが。小生も浪人し、終了後心身ともに脱力状態になっていた時期、人生で一番最初にできた親友からすすめられたのが、村上龍の「愛と幻想のファシズム」、そして友人宅から永久貸借されたのが、「こころ」です。友人はゴーマニズム宣言に影響されたわけでもなく、その後にネット右翼にもなっていません。なのですが、「愛と幻想のファシズム」を友人に勧めてしまうところがパンクな感じでいいですよね。

もちろんその前から本はちょくちょく読んでいましたが、この二冊が小説をその後読み続けていくことへ多大な影響を与えたと言っていいでしょう。

その前に「永久貸借」と書いたのは、その親友が「もってっていいよ」と貸借ではなく譲渡の許可を出したのだと思って、「ありがとう」と持っていったことに理由があります。数ヶ月後、「おい『こころ』返せよ」と不意に電話してきました。私は「え、あれくれたんじゃないの」と返答しました。友人からは「そう思ってると思ったよ」と言われてしまいました。結局、「いいよ、いいよ、やるよ」ということになったのですが、私としては「『やる』っていうのは、『くれる』ということだな」と年を押さざるを得ませんでした。

 

 「愛と幻想のファシズム」の話は後日。「こころ」はもちろん教科書で読みました。遺書の部分だけですが。前編を受験や授業を離れて読むと、また違ったことを感じました。ひと言でいってしまえば非常に感動してしまったのです。

 それからはまるで宿命のように小説を読むようになりました。というものの、文学部の皆さんのように一人の作家をつきつめて全部読むというより、あっちゃこっちゃつまみ食いする感じで読むようになりました。

 

 都合、小説を一日一冊というペースで読む時間ができてしまうのです。その時期は漱石、三島、川端なども読みました。

 

 時は移って二〇一五年。

 「短編小説の集い」で鎌倉を訪れました。そこで円覚寺などを漱石が訪れたという碑文を読んで、不意に、そして無性に漱石が読みたくなりました。「確か、鎌倉が舞台なのは『門』だったな」と、「門」から再度読もうと決めました。

 しかし、私の欠点は読むのが遅いこと。加えて雑念があると読めないこと。先ほど「一日一冊」と書きましたが、その期間は実はほぼ読書しかしていませんでした。だから為し得たのであり、普通の読書スピードの人は一日二冊くらい読んでしまうかもしれません。東京拘置所にいたわけではありませんよ。私はホリエモンでも、佐藤優でもないのです。

 「門」を読もうと決めたとき、「東京百景」と「かくれさと苦界行」を同時に読んでいました。これを読み終えて、「門」を、と思って書架をあさるのですが、その本はありません。変わりに「三四郎」を読み始めました。

 すると昔読んだ内容であるはずなのに、まるで憶えていないのです。やはりこと小説に関しては、早く読もうとしても、私にはムリがあったということでしょう。あと、誰かに感想を話してしまうと、ある程度憶えているようです。不思議ですね。

 ただ逆に言えば、もう一度初心に返って漱石の作品を読めるとドキドキしてしまいます。

 さて、大変長くなりましたが、これから漱石の「三四郎」「それから」「門」の雑感を欠こうと思います。構成を決めないで書くとこういうことになるのだというのが、この長さの原因です。

 

 感想は後日(^_^;)