今日の十分日記

今日の十分日記

原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

「第九回短編小説の集い」感想集

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 まさりんです。

 

 いつものように、「第九回 短編小説の集い」の感想を書きたいと思います。今回はすごく遅くなってしまって申し訳ありません。ゼロスケサン、今回もよろしくお願いします。

 

 

novelcluster.hatenablog.jp

 

kannno-itsuki.hatenablog.com

 

「雨宿り」

  さすがにうまいなあ。今回は、前段というより、これできちんと完結しています。

 書くのも野暮ですが。「砧」という謡が作中に出てきます。能の演目です。「砧」は同じく、男を待つ妻の話で、妻は砧を打って待っているのですが、待ちくたびれて死んでしまいます。砧とは衣板のことで、木の道具で服をうって柔らかくする作業です。というより、男が心変わりしたのだと、誤解して死ぬのです。実は、芦屋に住んでいる男は訴訟のために、都にいっているのです。今も裁判はとても時間がかかる作業ですが、このころも同じです。もっといってしまえば、袖の下次第で、長くなったり短くなったり、有利不利も決定します。

 菅野さんの話では、まった挙句に成就しそうな恋です。しかも、男と女は逆かもしれません。男は勘違いしなくてよかったです。

 それにしても男って、どうして女を失ってから、はっと自分の気持ちに気づくんでしょうかね。結構、これは男あるあるかもしれない。漱石を読んでいるので、本当にそう思います。

 

 

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「私の代わりに空が泣く」

 プロットが破綻している、か。確かに男がスマトラから帰ってきたあたりから、記憶違いの過去を聞かされている感覚がありますよね。「あれ、そうだっけ?」って、確認したくなるような。でも現実はそんなものかもしれませんよ。急転直下で状況が変化するということはよくある話です。逆にそこが面白いなあ、と思いました。綺麗な展開で書きすぎてしまうと、なにも頭の中に残りませんから。

 語り口も独特で面白いですよね。

 やっぱり、ああいう出来事をともに乗りこえた人間というのは、一体感が出るんでしょうね。はっきり、感情を出したとしても、もしかすると男はその相手に流れてしまったかもしれません。大体、世界中を旅しているような男が、一人の女の所に留まっているというのもないのですかね。まったく、男って奴は。

 

 

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「Over the Rain」

 確かに長短編です。カイトパーティの構成員が面白いですよね。弓で後ろから打って、魔法で支援、剣と斧でとどめ、ここまででも役割分担ができています。それに加え、鎮魂まで加わっているところが良い。しかも宗教的な人間ではなくて、踊りで鎮魂するというのが、RPGではありがちなんですかね、でも改めて考えてみると面白いと思いました。

 パーティが必然性の下に集められているということは、「鎮魂」の役割を担っている人は(いやな言い方ですが)補充されたのでしょうか。それだけが気になります。

 

 

literary-ace.hatenablog.jp

 

「天気予報」

 ワールドウェザー社という名前から、始め本当に天気予報をしている会社を想像してしまいました。実際は予報どころか、予報に従って、天気を操作する会社だったんですね。この会社はもともと国の管轄だったわけです。どのような基準でその日の天気を決めてきたんですかね。それが気になります。途中「天気を自然に任せた方がいい」という話が出てくるのですから、自然ではない状態で国が管理してきたわけです。この文字数ではムリでしょうが、その辺りを細かく書いてある作品を読んでみたいと思いました。

 自分が子どもだったら、どういう風にお願いしたかを考えてみました。家族旅行の晴れか、田植えの曇り(晴れは暑すぎて地獄)、遠足は徒歩遠足が嫌だったので逆に雨、を願うでしょうか。バス遠足は雨でも行きますから。あとは意外と雨も好きだったので、それほど苦になりません。近くの用水路が増水してわくわくするし。なんてことを考えていました。

 

 

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「あの瞬間を胸に」

 うん。中学生くらいの感じが良く出ている、というか、どこまでかわからないですけど、実話に近いんですね。

 「一瞬冷たいと感じる水は、すぐに体温と同化してぬるい膜のように体を包み込んでいく。塩素のにおいがすきだ。水に触れる感じがすきだ。淳、わたしは淳がすき。」

 という感じが良いですよね。好きなものに囲まれて、その延長線上にいる淳のことも同じように好きなんだ、と確認する。なんか、このくらいの方が、色々なものが好きになれて、幸せだったんだろうね。

 「夫婦」とか同じクラスの生徒がからかうときって、女子から始まって、男子に伝染するでしょ。で、大体合ってるんですよね。アレって不思議だよね。

中学のころのクラスの感じとかを思い出しました。

 

 

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「雨がざんざか降っている」

 たぶんあすかにとって人と関わるということ(肌を合わせることも含めて)は、社会的なことではなくて、個人的なことなんだ、ということがよく分かります。

 先輩と逢瀬を重ねなかったのは、先輩がブサイクでも、生理的にイヤなのでもなく、「馬鹿」だから。先輩と関わっても、なにも自分が投影されない、先輩はそういう存在だと、キスをしたら気づいちゃった。なんか、こと異性になると瞬間的に冷めてしまう事ってあるのかもしれませんね。

 これまで、めえちゃんや村井、拓也とそれぞれの関わりにきちんと意味があるということが、この作品を読んだら見えました。いっちゃん好きなのはめえちゃんかね。

 少しずつ展開させているということも今回でよくわかりました。「絶対的片思い」は辛いなあ。

 

 

donutno.hatenablog.com

 

「此岸」

 格差による抗争は根が深くていけません。父親がDVで母子家庭なので、二つの陣営のうち、裕福でない方でしょうか。(もちろん母子家庭でも恵まれている家庭があることは重々承知しています)

 大体中学くらいになると、貧富も親の事情だと分別がついてくるのですが。それに「バカと言った方がバカ」ですしね。佐竹は我慢できませんでしたが。

 「牧野正の正しい生き方」シリーズ。思春期の子どもにとって親の再婚は大問題でしょう。気に入らないこともあるけれど、ぐっと呑み込んで、動くことは確かに「正しい」。ここからグレにグレるパターンもあります。

 今は彼がストレスで心身に以上を来さないことを祈るばかりです。心と身体は完全に一つじゃないですから。頭で分かっていても、身体が拒否することもよくあります。

――何心配しているんだろう、おれ。

 私の文体も調べてみよう。

 

 

xkxaxkx.hatenablog.com

 

「雨男」

 いやあ、完璧な本末転倒。

 ただ、人間が夢中になるということはこういうことかもしれません。司馬遼太郎の短篇に「木曜島の夜会」という作品があります。維新後年貢で米を納めるやり方から金納になります。しかし、農村に現金収入などありません。困った奈良の農村の人々は現金を求め、木曜島へ赴きます。島の周りの海では高級ボタンの材料になる白蝶貝がという二枚貝が抱負にありました。真珠もあったらしいです。世界中から多くの人々がやってきたようです。奈良の山奥の農民がオーストラリアの海で貝を獲るのも面白いのですが、やがて現金よりも数を取ることに夢中になるのです。他国の水夫が驚嘆するほどの長い時間潜水し、貝を獲ったようです。日本人の仕事は、万事こんな調子です。損得を越えたところで、夢中になってしまうのです。(※読み直していないで書いているので、細かいところで間違いがあるかもしれません)

 晴男の話を読んでいて、この話を思い出しました。たぶんもう、雨から逃げることより、雨を追い越すことに夢中になっているわけです。

 いやいや日本人ですね。合理性だけでは人間幸福になれないし、その向こうにお宝があるのです。

 

 

sakuramizuki20.hatenablog.com

 

「なんとかの嫁入り」

 いま漱石を読んでいるのです。大体、こういう場合、異性を選択すると不幸になるんですよね。だから、みやこの選択はまったくの間違いではない、というと残酷でしょうか。好きな人と添うのが一番というのもあるよね。物質的に恵まれなくても、精神的に充足すると我慢できちゃうし。でも、男の最後の決意は、ものすごくみやこやみやこの家族に迷惑をかけるという決意はできているのかね。「それから」と「門」を読んでいるから、止めたくなってしまう。

 また相手がいやな奴というのもね。せめて優しい人ならいいのだけれど、たぶん気にしていると知っていて、ああいうこと言うんでしょう。やだねえ。相手も相手で、あまり望んでいないのかな。

 描写にムリがなく、状景が頭に浮かびます。シンプルで上手いですね。

 

 

chihiron-novel.hatenablog.com

 

「雨女のち晴女」

 私も実は小学校から高校まで、すべての式典は雨だった気がします。ただ、みんなが参加する行事での雨なので、言ってしまえば、学年全体が「雨学年」なんですよね。そういう正論も、いじめの前ではかき消される。その心理描写や情景描写が効果的に書かれていて、とても伝わると思います。

 時代劇も、いじめられていて、助けてくれるヒーローを待っているんだけど、そういう人も現われない。絶望的な状況ですよね。このあといじめが解決したのかは書かれていない。解決して欲しいとは思うけど、たぶん状況は変わらないという気がします。残酷でしょうか。

 なんか岩手の事件の話をテレビで見ながら書いているからでしょうか。悲観的になってしまいます。自分が正義だと思う根拠が、いじめている側にあると本当に、手加減なしで叩くからね。岩手の場合、理由はよく分からないのか。

 

七月十四日 感想

 

 

kyoukonogokoro.hatenablog.com

 

「これが、私の歩く道」

 誰しも、ついつい行きたくなる場所ってありますよね。はっきりと書いていないけれども、この小旅行? 冒険? のきっかけとなる話は書かれていません。私はないのかもしれない、と思います。後半に「これから始まる仕事への不安」という表現が何回か出てきます。それに前半には、「周りの大人はもっと大切なことがあると言う。」という表現が出てきます。推測するに就職活動が終わった直後か、若者が転職をした直後か。これから始まる新しい生活を不安に思っている若者が、不意に来たくなって浅草に来たのでしょう。

 ちなみに。スカイツリーを目印に歩くというのは無謀かもしれません。どこから見ても同じ所に見えるので、圧迫感があるだけで、細かい目印にはならないんですよね。そこら中にある地図を目印に歩いた方が安全です。どうでもいいですね。

 好きな場所に行くと、他人からすれば大したことをしていなくても、心情的にはすっきりするんですよね。非常に分かる心情です。疲れたら、また浅草に行けば良いのです。若者にありがちですが、あまり自分のスタンスを決めすぎずに、同時に譲れないところを守りつつ、生きていけるといいですね。

 

 

yutoma233.hatenablog.com

 

「雨雪と賢者」

 天候を支配するというのは、特に近代になってからの人類の夢の一つだと思います。近代以前は諦めていました。神頼みですね。それをアメリカの人が、人格として捕獲することに成功。それから、便利なのか厄介なのか、分からない世界になっていきます。なぜか、ここまで書いていて、「うしおととら」が頭に浮かびました。とらみたいなものですよね。使い方次第で毒にも薬にもなりますから。技術とは得てしてそういうものですよね。初の捕獲士は福井敏雄さんがよかったな。

 


関西テレビ お天気おじさん 福井敏雄さんの天気予報(1) - YouTube


お天気仕事人、福井敏雄 - YouTube


お天気の福井さん など - YouTube

 さて、ここまで書いて逡巡しています。エロ的な内容に踏み込むかどうか。いや、「ピンクのおの」さんではなくて、「みどりのおの」さんほど、エロの扱いがポップにならないからです。グロがついてきちゃうんですよね。だから、踏み込まないようにします。

 最後に等圧線うんぬんって言い訳がありますが、はっきり書いてありますよ、胸って。ここから始まるんですね数日にわたる胸ブームが。ニナも、月の輪も変体させるには、同じ行為が必要なんでしょうか。月の輪を捕まえた捕獲士は男だったのでしょうか。「士」だから、男か? ううむ、トランスフォームの作業は見たくない。

 じゃあ、そのうち「捕獲女子」が登場するわけですね。こりゃ続篇書けそうですね。是非、千葉県の「ピーナッツ」の話を書いて欲しいなあ。

 

 

harubonbon.hatenablog.com

 

「いつか、雨の降る公園で」

緑の葉が雨に濡れると美しくなるというのはよく分かります。生命力が増すというか、鮮やかになるんですよね。実際は雨水を根っこが吸い上げながらも、葉っぱ自体は雨を弾いている。表面の汚れを落とす効果もあるのかもしれませんね。はっきり見えるんです。葉の緑が。

一方で飛んだ女の人はなぜ美しいのか。悲壮感が増すからか。もともと美しい女性だからというのもあるでしょう。濡れそぼった白いワンピース。落ちた後に車が轢いたのか、腕と足が散らばっているのですが、それでも美しく感じる。どうしてか。完璧であった記憶があったから、どうなっても美しいと感じるのだと思います。

そして、絵里は(名前にもヒントが?)晴れ男である照雄と付き合います。ある日の晴れた日のデート中、些細なことで喧嘩します。逃げるように立ち去る絵里。公園に着くと雨が降ってきます。このとき、「もう駄目なんだろうな」と些細な喧嘩であるのに、考えてしまうところが絵里らしい。完璧が好きなんでしょうね。そんな二人に雨が加わったときに、関係が完璧になる。皮肉ですね。雨のデートはドライブがいいよね。植物と白いワンピースの女性の挿話が非常に効果的だと思いました。

 

 

fnoithunder.hatenablog.com

 

「カットスリック」

 普段は気炎を吐いているふのいさんの作品です。普段記事を読んでいる内容の論旨と同じく、繊細な文章の運び。文章というのは嘘をつけないものです。きっと行き届いた人なのだと思います。

 昔、その年の全部ではないですが、F1を見るのが好きでした。見たのはセナが死ぬまででしょうか。シューマッハのころにはあまり見なくなりました。あのときも、雨のレースのときは、どのタイヤを使うのかが一つの勝負になっていました。あえて、通常のタイヤを使うチームがありました。その作戦が当ったり、外れたり。

 新堂が最後事故に逢う場面の描写がすごかった。

 二位まで競り上がっただけで、新堂の技術が高いことが分かります。相当のハプニングがなければ、モーターレースの上位というのは常連が占めますからね。子持ちでレースクイーンをやっている奥様がステキですね。

 

 

bambi-eco1020.hatenablog.com

 

「探検隊は今日も行く」

えこさんらしい、瑞々しい文章です。しかも、子ども自身が自分たちを描いたというよりも、お母さんとか先生とか、外部の大人が子どもの可愛らしさを描いたという感じがします。やはりお子さんを持つえこさんらしいなあ、と感じました。お子たちを可愛いと思っている視点を感じるのです。

大人からすれば、近所の廃屋に行ったというだけなんですけど、子どものころってその程度でも大冒険なんですよ。実は、第何回だったか、秘密の場所にある桜の話を書いたとき、挿話をまるまるカットしたんです。その挿話とは自分が子どものころに、探検隊と同じく冒険をしたという話でした。それを思い出しました。

探検隊ではなく、ドラクエⅡとかⅢとかの影響で、自分たちを「パーティ」と呼んでいました。いろんな場所に名前を付けたりして、山を巡りました。すげえ遠くに来たぜ、と思って冷静に見回すと、入った場所のすぐ近くだったりして。時間だけは数時間経過しました。靴は、水じゃなく、靴底についた腐葉土やらで重くなりました。それをアスファルトに叩き付けながら帰りました。

そんな思い出に耽りながら、ニヤニヤしてしまいました。

 

 

hjsmh.hateblo.jp

 

「雨虫」

 パニックホラーになるまで書くのなら、もう少し紙数が要りますね。変な話ですが、この虫に感染すると、どうやって死んでいくのかちょっと興味を持ってしまいました。おそらく、呼吸で肺か何かに吸い込むのではなく、皮膚から入り込むわけですよね。雨に触れなければいいんですから。毛穴から侵入した雨虫はどうするんだろう。そこから血管に入り込むことが可能かどうか。高濃度の放射能が皮膚に付くようなものかな。患者の見た目は酷いことになるんだろうな、と想像してしまいました。

 こんなときはさすがに経済が停滞しても、みな有給を取るんじゃなかろうかと想像しますが、実際にこんなことが起これば、粛々と会社に行くんだろうな、という気もします。

 ヒロシが聞いているのは本当に雨音なのか、大量の雨虫が降る音なのか。

 

 七月一六日

 なんとか終わりそうです。遅くなってスイマセン。

kimaya.hatenablog.com

 

「私は家に帰りたい」

 この作品のなかの「家」もしくは「家に帰りたい」というのはどういう意味か。実家でも夫のいる場所でもない「家」。精神的な拠り所なのでしょうか。「家に帰りたい」も「落ちつきたい」というか、ここでは「逃げたい」に近い心情でしょう。

 なぜか、歌詞のテーマは逆なんですけど、Kimbraの「settle down」を思い出しました。

 


Kimbra - "Settle Down" - YouTube

 ストレートに読むと、「私と結婚しましょうよ」となるのですが、曲調と重なると、逆になっていく感じがします。描かれている結婚生活に嫌悪しているような。この奥さんも、それくらい自分に正直になれば良いのかもしれませんね。全部要らないのだと思うのです。彼氏も、旦那さんも。代弁すると、「あなたが来ちゃうから。私はここにいるの」という感じなのでしょうか。

 なんか旦那さんいい人そうなのにね。それでも、浮気を責められて離婚とかするときには、この奥さんは「私を退屈にさせたあなたが悪い」とか言うんだろうな。厄介ですね。なんとなくいい人をやりすぎるのかな、この奥さん。いろんな人にいい顔をしようと思うから、何処にも居場所が無くなっちゃう。説教書いてどうするんでしょう。

 嫌悪感と同時に教官もしてしまうという不思議な文章です。

 死にそうになった犬を抱えて走るところは印象的です。奥さん自身と重ね合わせてしまうのでしょうね。でももう間に合わないかもしれない。最後「この犬と一緒に家に帰りたい」というのはちょっと錯乱気味でしょうか。なんか書きはじめると、つらつらとどこまでも感想を書き続けそうなのでこれまでにします。

 

 

yama-aki1025.hatenablog.com

 

「名前のない怪物」

 いじめの相手に復讐したのか、しなかったのか、それははっきりとは書いていないけれども、たぶんしたのでしょう。本当に怪物を描こうと思ったら、もちろん書き手は怪物ではないので、誰かの目を通じて描くしかない。咲良というのはそういう位置の人物です。たぶん、一〇枚以上、数十枚使えれば、もっと怪物くんと咲良を関わらせるのでしょうね。彼を何と呼べば良いのか分からないので『怪物くん』としました。報復をしている以上、ただのいじめられっ子ではないですから。あしからず)

 「雨」という道具が、怪物くんの心情をよく表しています。なんだか、これからいじめをしてきた人間や教師も含めて、怪物くんに報復されていくような不気味さがあります。咲良が止めたら、報復が止まったのでしょうか。

 ガンガンいじめが行われている状況のなかで、「カラオケ行こう」と誘う感じが妙にリアルな感じがするのでしょうか。(よければ「雨は激しく」の感想も読んでください)

 

 

hayami-toyuki.hatenablog.com

 

「雨は激しく」

 はあ。「名前のない怪物」に続き、恐い話です。恐い話は苦手です。岩井志麻子の「ぼっけえきょうてえ」を読んで、二度と岩井志麻子の作品は読まないと誓ってしまうほどです。

 「名前のない怪物」もそうですが、他作に比べて感想が薄いのは、恐いからです。いい年して情けない話ですが。

 ただ読むだけならそうでもないのでしょう。でも感想を書くとなると、読んだ上に作品について考えなければならないのです。想像もします。そうすると恐くなります。

 はっきりいえば、二作品ともに、とても上手なのだと思います。特にこの「雨は激しく」は短い作品の理想形なのではないでしょうか。一場面を効果的に描くことで、恐怖を煽ります。きっと、その女性を安雄は・・・・・・。いや、目の前にいる男を安雄は、とも取れます。なぜ、男がびしょ濡れなのか。シャワーを浴びていたから。では目の前の男は誰なのか。どうして凶行に及んだのか。それと話しているというのはどういうことか。

イヤーーーーーーーーーーー。

 もう考えたくないのでこの辺で。謎が謎を呼んで、色々考えてしまい、とても恐いです。

 

 

kyoukonogokoro.hatenablog.com

 

「ナガレオチルモノ」

 あちらを立てれば、こちらが立たない。人の世ですな。

 実際天候というのは偏西風の位置によって決まると聞いたことがあります。その偏西風というのは北極上空にある大寒波のヘリを流れているのだそうで。この大寒波がグッと張り出すと、偏西風は南を吹く。そうすると異常気象が起こるのだそうです。当然、張り出した逆では、その分引っ込む。引っ込んだ側でも天気が動くのだそうです。(まちがっていたらごめんなさい)この話を聞いて、中学のころ習った天候がよく理解できました。どうでもいいですね。

 この巫女さんはそういう自然の循環のことをよく知っている人物なのでしょう。結局、天災の類いは我慢するしかないのでしょうね。東北の震災が起こったとき、これだけ火山が噴火したり、大きめの地震が頻発するということを誰が言ったでしょうか。最近、火山が活発になっているのは、あの震災が遠因だという話もあります。

 とにかく、二作書くというのはすごいことです。私は一作でバテバテです。

 

 

kalkwater.hatenablog.com

 

 「カムタナクニ奇譚」

 この「カムタナクニ」は土地の名前ですね。植物大全に「カムタナ」と冠されているから、「クニ」はそのまま「国」の意味でしょうか。この土地に生えている、「アマキタチ」を巡る冒険です。大きな木からこぼれ落ちるような雨だれが頭に浮かびます。とても綺麗な情景です。夏緑のエピソードを読んでいて、カエルの絵本を思い出したんだけど、タイトルが分かりません。

 葉月さんの「Over the rain」もそうですが、人々の群れというのは、こうやって各人(カエルも)役割分担ができているのが理想的なんですよね。何も言わずとも、自分の役割を理解していて、持ちものにしても過不足なく揃う。一番先に歩く人(カエル)も決まっている。なんだか、我々は均一に、平均的に、能力があるということだけが求められている気がします。企業がもしかするとムダに人員を集めているか、使いこなせていないのでしょうね。外国だともっと明確なチームらしいですよね。うちも営業に最近騙されたんですけど、きっとチームだという意識があると、変なことができないですもんね。ということをつらつら考えてしまいました。

 ちょっと特殊な「雨」の小説ですが、一体どうやって想像していったのでしょうか。色彩豊かで良かったと思います。

 

 

nogreenplace.hateblo.jp

 

 「優しい雨が降っていた」

  主催者様の作品。今回はちょっと練習に、がんがん解釈を加えさせてください。「そこまで考えてねえよ」というのを承知で書きます。怒らないでくださいね。

 おばあさんを家まで送っていくときに、「私」が半分傘を差し出す、つまり相合い傘になります。そのとき、おばあさんが「ありがとう、昔から国之は優しいねぇ」と言われドキリとします。本当は国之じゃないということを知っているのではないか、と。ちょっとわかりにくいけれど、傘を取り出さないのはわざとだったのではないか、おばあさんは「私」を誘ったのではないか、と思うのです。

 「私」の直感が当っていることは、ゆめこさんの話から分かります。おばあさんは「足以外悪くない」のです。(“私”は紛らわしいので)おれもそろそろ四〇の坂を越します。人生折り返しです。この先が順当ならの話ですが。いずれ、自分が幸福だったころを思い出しながら、若い者に語りかけるようになるのでしょう。若者からすればぞっとすることかもしれませんが、案外本人は幸せなんじゃないかと思うのです。だって、多幸感に包まれているのですから。

 五〇を越すと人間は自分の人生を否定されたくなくなる、と聞きます。今の経済情勢というか、雇用情勢というか、働き方では、先に進むために日々自分を否定し続けなければなりません。「勝ったことを忘れろ」が共通の合い言葉ですからね。

 この「私」という人間を、おれは変化し続けるという道をまだ捨てきれない人間のように感じるのです。仕事が原因で家庭が破綻したのですが。だからか、妻への贈り物に「赤紫の紫陽花」を選びます。この花言葉は「元気な女性」ですが、紫陽花自体の花言葉は「移り気」です。最近は「家族団らん」などがあるそうですが、裏でこういう意味があるというのが暗示のような気がしてなりません。