池波正太郎をめざして

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明日は明日の風が吹く

今の心境にあわせてブログ名を変更しました。どうぞよろしく。肩の力をさらに抜いてやります。

「かぐや姫の物語」私的感想。こういう風にも見ることができますよね。

 シュガーベイブのCDを買ってきたまさりんです。

 山下達郎のインタビュー面白かったですね。どんな世界でも二通りの人間がいて、それは「感覚的なヒト」と「分析的なヒト」です。特にスポーツでは前者がたくさん居ると思います。言わずと知れた長嶋茂雄とか、意外なのは澤穂希選手なんかも感覚的ですよね。以前「自分は指導者にはなれない。自分の感覚を伝えられないからだ」と言っていたのを聞いて、「へぇ」と思いました。

 この続きはいずれやりましょう。今回は違う話題です。

 

 

 またもや、HDDに録りだめてあった映画シリーズです。

 ジブリの「かぐや姫の物語」をみました。監督は高畑勲です。主人公のかぐや姫朝倉あき、翁は地井武男、媼は宮本信子です。

 ジブリは声優さんをあまり使わないことで有名です。なんででしょうね。一つ考えられるのは、アニメの声優さんは演技のしかたが画一化しているからかな、なんて思います。まあ、ジブリくらい(というには影響が大きいけれども)、普通の役者さんで良いと思います。ちなみに今作が地井武男さんの遺作になってしまったようです。

 かぐや姫朝倉あきさんの演技はとても上手だったと思います。

 

 ストーリーはほぼ「竹取物語」です。竹の根元から光るお姫様を持ち帰るお話。ちょっと違うのは、幼少期から成長過程を描いています。異常に早く成長する姫は、近所の子どもに「たけのこ」と名付けられます。出会った子どものなかに「捨丸」がいます。捨丸たちはいわゆる「山の民」で、季節が変わると移動していきます。

 そんな日々のなか、おじいさんは竹から金や絹の衣を見つけます。それを見て、おじいさんは「姫(たけのこ)は高貴に育てなければならない」と思い立ち、都へ移動します。そこで大人になり、名付けもしてもらいます。「かぐや姫」です。ところが「かぐや姫」は都の暮らしになじめません・・・・・・。ここからはあまり原作と代わり映えしません。

 が、ちょっと違う部分もあります。いろいろな殿方から求婚されるうちに「月に帰る」という意思表示をしてしまうのです。(それにしても帝の顎が長かった)そんなときに限って、故郷で「捨丸」兄ちゃんと再会します。そして、自分の気持ちに気づきます。「捨丸にいちゃんとなら・・・・・・」と告白。「おれもさ」と受け容れられます。ですが、どう見たって捨丸は妻子持ちです。捨丸すげえ。それとは関係なく、月からお迎えがやって来る気配を感じ、捨丸を捨て、都へ帰ります。

 ここからです。

 月の迎えがやってくるのですが、それが仏様にしか見えない。Wikipediaでもそんな注がありました。半信半疑ですが。

 ということは、仏様のいる世界へ行く、それは入滅を意味します。「死」です。かぐや姫死んじゃった。そう考えるといくつか腑に落ちなかったことがすっきりします。

 1,そんな不思議な子どもを二人はすんなり受け容れる。

 2,他人の子どもに接するとは思えない親密度。

 この二点への違和感がすごかったのです。

 もちろん、「竹取物語」はそういうお話です。でも、より実体化させると違和感が出てしまうのです。

 で、考えたのですが、たけのこ、かぐや姫は、おじいさん・おばあさんが若いころ死なせてしまった子どもなのではないか、と。そうすると、とくにかぐや姫の絶対的な味方に立つおばあさんの心情がすんなりと受け容れられます。仏様は二人の子供の成長する姿を、見せてくれたのではないかと思うのです。

 二人の子どもはいつ亡くなったのか、それは一番最後、赤ちゃんのころのたけのこが月に写ります。赤ちゃんのころ、病気かなにかで死んでしまった。だからかぐや姫は求愛を受け容れられない。かぐや姫の罪とは、「ふた親に会おうとしたこと」なのかもしれません。

 ふつう、こういう場合、おじいさんおばあさんの記憶を消去します。逆だというのも味噌です。二人がいくら願っても、極楽浄土からかぐや姫は戻せませんが、愛着が沸いてしまったかぐや姫の方からは戻れます。秩序の乱れをおそれて、「愛着の記憶」を消す必要があったのです。

 そう思って聞くと、エンディングも意味深ですよ。

 

 見ていて一番悲しかったのは、おじいさん、つまり父。父は「父になる」のです。元来子どもに愛着をもつのは、母親のように本能的に、というより理性的に持つらしいです。「本人のため」と言いつつも己の立身出世に娘を利用していた節があります。

 父親って悲しいなあ。

 

 なんちって。

 この話は「天人様=仏様」という家庭から妄想しました。そのまま天人様だということになれば仮定は崩れてしまいます。いろいろな見方ができるということです。ぜひ様々な角度から見てください。

 そうそう、絵に触れないわけにはいきません。なんというか鳥獣戯画のような、墨画なのですが、かぐや姫の心象風景でもあり、気持ちに連動して、色彩の度合いが変化します。やはり、映像美は関心が高いようです。このようなランキングがありました。

 

www.msn.com

 特に海外で評価が高かったようですね。

 先日の安彦氏のガンダム原画もそうだし、「かぐや姫の物語」もそう。もちろん鳥獣戯画もそうです。色がなくても、見る側が想像して、補完するように設計されているという意味で共通していると思いました。なんとなく、日本の「引き算の美」を堪能している昨今です。

 

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