今日の十分日記

今日の十分日記

原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

自作を振り返ります。第十一回短編小説の集い「九月一日」です。

 ツイッターを新設したまさりんです。

 大丈夫だと思いますが、何かに影響されて新しいアカウントにしたわけではないですよ。なんかすっきりしたかったのです。それだけです。

 さて今回は今回の作品をふり返ってみます。

 

 

masarin-m.hatenablog.com

 今回の作品は、絶望的な問いからスタートしました。

 「第三者は自殺をしたがっている若者を救うことができるか」

 この問いに対しての答えをずっと考え続けました。きっかけはみなさんの類推通り、「図書館においでよ」というツイートでした。九月一日スレスレに出たツイートだったので、直前になって大幅に内容を変更しました。もともとは「~祭り」ってあるでしょ。「お祭り騒ぎ」的な。あれをイメージしたものを用意していました。「鬼来迎」も使うつもりはなかったです。

 構成は始めに“絶望的な問い”を軸に、図書館の描写を密にし、その近くで行なわれる、一般的な地域のお祭りに行く、というもので締めようと思っていました。本当に地域の人が手作りでやるようなお祭りを考えていました。

 でも、ああいった地域のお祭りって、地域のために存在するのであって得てして排他的だったりするでしょう。カップルもあの祭りの場で出会うというより、もともと知り合いだった男女があの場でつきあう(親睦を深める)ようになる。シンイチのように地域や社会とのつながりを断絶しようと思っている人間にとっては苦痛でしかなかろう、と気づき、却下しました。

 つまりはメインテーマである「祭り」とどうするかという問題が出来してしまいました。いくら寛容なゼロスケさんとはいえ、そこまでは許容しないだろう。さてどうするか。

 次に考えたのは「~祭り」を復活させようという案。復讐祭り。またスプラッターな描写を書かねばならんのか、とちょっと憂鬱になりました。しかし、シンイチが仮にキレちゃってそこまでやるにしても、もう一段きっかけが必要です。もっと追い詰められなきゃなりません。それをやるには例の三人を消して、シンイチのみを主人公にしなければなりません。すりゃいいんですけど、今回はそれは避けました。それにそこまで追い詰められた場合、シンイチは自死を選ぶでしょう。そういう人物を想定していました。ということで、「~祭り」もボツ。

 どうするか逡巡しているときに思いついたのが、「鬼来迎」でした。

 千葉の中央博物館で「妖怪展」を見に行ったときに展示されていたことで知りました。

masarin-m.hatenablog.com

 仏教の法話になっていること、地域の人々が演者になっていること、文化財として保護されていることなど、千葉県に生まれ育ちながら、知らないことばかりでした。博物館では祭りの映像が流れていました。これもなんとも素朴でよい。

そんな光景が思い浮かびこれを思いつきました。

 祭りの軸が決まり、実際書き始めました。「ボク」に月並みな言葉を並べさせたのは、一般的な大人のメッセージはこの場合届かないだろう、と始めにそれを潰しました。大体疑心暗鬼になっている人間に届く言葉って難しいです。「生きてりゃいいことある」と言っても、「じゃあなにか良いことあったんですか」と問い返されれば、「ボク」は答えに窮するだろう、「努力が足りない」は無慈悲すぎる。シホの「ないよ」というのが本音でしょう。

 ここで、どうして「ない」のか、その理由を考えました。どうすれば「ある」になるのか。それは「死」以外で、具体的に決断すれば、「ある」になります。「勉強する」と決断すれば、「じゃあ勉強を見てやろう」ということになります。また、あの三人にそれができなくても、それができる人間を探せます。他の方法で見返すことだってできます。絵が得意なら絵で、音楽でも文章でもスポーツでも、なんでもよいのです。

 他人にはお手伝いまでしかできません。逆に言えば、希望を持ってくれれば、お手伝いはできます。希望を持つためには、事故の状況を客観視しなければなりません。状況の渦中に飛び込むのではなく。また他者の力が必要です。他者は言葉を引き出すのです。そんなメッセージをこめたかったのです。(書き過ぎだな)。同時にシンイチのような状況にならないために、ということも書きました。「外部に世界をもつ」という文言は、その意味です。その場を相対化してしまうことが大事だと個人的には思っています。

 その相対化が困難な場合として、私立中高一貫の特別クラスという状況、経済的自由の少ない母子家庭という設定を用意しました。

 教師って好きなんですよね、選別と少人数化が。勘違いしない方がいいのは、「少人数制」は、「手厚い指導」が目的ではなく、「容易な管理・監視」です。しかも、教師も「容易な管理・監視」を受けているわけです。少人数の場合、結果が出なかったら、もしくは問題行動が起こったら、その教師のせいです。

 

 そんなこんなを考えながら書いていったら、一回目ですでに原稿用紙16枚くらいになってしまいました。規定は五〇〇〇字、原稿用紙一二枚程度を削らなければなりません。まずは図書館の部分を大幅にカットしました。完成稿ではあらすじみたいに冒頭で設定を簡略化して説明しました。この段階で「あんまり良い出来じゃないな」と感じました。その点を直しました。

 シンイチの設定を説明する部分を、会話から地の文に変えました。シンイチのやるせない状況がどうやったら伝わるのか、と考えたらこれが良いと思いました。

 そして祭りの部分。「鬼来迎」は本当は七幕あるのだそうです。ここで使ったのは四幕のものです。もちろんこれは「シンイチにも救いはくるよ」というメッセージと取れなくもない。このあたりからのテーマは「嘘はつけない」になったと思います。もしも、これを同じような苦しい状況にある人が読んでいたら(可能性は低いが)、また昔苦しい状況にあった人が読んだら、と想定するとあまり無責任に嘘はつけないと思いました。

 最後のシンイチとケンジの会話は何回か作り直したと思います。これでよいかどうかは、読んだ皆さんの判断に委ねます。

 

 書き終わって、ちょっと消化不良になってしまった感じです。シンイチについては、また出すかもなあ。

 

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