今日の十分日記

今日の十分日記

原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

なんだこの社労士、そして映画「セッション」を見た。師弟の微妙な心情の物語。

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 寝不足まさりんです。

 さまお元気でしょうか。年末、不用なものを捨てる作業をし始めているという方も多いと思います。すっきりしますよね。うちもそういう作業を始めましょうか。毎年大掃除のときに、風呂場掃除の担当なんですけど、必ずといっていいほど、風邪を引きます。今年はなんとか乗り切ろうと思っています。

 

 社労士という仕事は役に立たない。労働関係で困った場合、たとえば賃金の未払いなどがあった場合、直接労務事務所などの役所に行く。専門家に相談するのなら、弁護士に相談してしまうのだろう。

 社労士がとんでもないことを発言したらしい。残念ながらそのブログを見ることはできなかったので性格ではないかも知れないが。

 「すご腕社労士の首切りブログ」がその社労士のブログのタイトルである。タイトルから刺激的である。こういう悪目立ちしたいという気分が満々のブログタイトルや、炎上をさせる気満々の記事タイトルを出す場合、結局書く内容がないからそうなるのだと思う。さもしいね。

 問題の記事は「社員をうつ病に罹患させる方法」なるタイトルである。一二月一日から、従業員数五十人以上の企業は、「ストレスチェック」が義務化された。それをもとに、職場環境を適切な状況にするためである。これについて、この社労士は「労務管理に利用せよ」と述べたらしい。つまり、首切りの材料に使えということだ。そのほかにも、「敬語を使わない社員を追い込め」とか、「繁忙期に有給がとりにくいようにする」など、抜かしているらしい。

 読んでいてため息が出てしまうのだが、ここまで露骨でないにせよ、そういう使われ方をするのではないか、と勘ぐってしまっていた。だって、それで精神状態に問題があったら、「カウンセリングへいけ」となる。それだけ忙しい(社員が足りないだけだが)のだから、そんなものに行こうとすれば、すぐにばれる。あとは、想像通りの展開になる。結局、「あなたは精神的に問題がある」という刷り込みだけされて、放置しなければならなくなるのではないだろうか。

 みんなつらいよね。いっそ「ブラック企業の日」というのを作って、その日はみんなで渋谷だけでなく、各地に仮装して集まって、夜通し暴れていいことにしたらどうだろう。

 

 TSUTAYAで借りたブルーレイで「セッション」という映画を見た。ちょっと前にこの先生の指導方法が話題になった。かなりのスパルタだということだった。この映画、原題は「whiplash」という劇中で使われている曲のタイトルである。「whip」はムチ、「lash」はイメージ的に「ガンガン打つ」って感じでしょ。見ていて、すごい曲名だと思ったけど、もともと、そういうタイトルの映画なんですね。「whiplash」で「むち打ち」だそうです。

 アカデミー賞で作品賞にノミネート、j・k・シモンズが助演男優賞受賞、編集、録音など各種賞を受賞している。各地の映画祭でも高い評価を受けている。

 主人公はジャズ・ドラマーのアンドリュー・ニーマン(マイルズ・テラー)でシェイファー音楽学院の一年生である。ドラマに打ち込む日々だが、あまり同級生とは溶け込めていない。内気なのである。だが、その奥底には負けん気やプライドなどが潜んでいた。ある日、テレンス・フレッチャー(J・K・シモンズ)という学院一の指揮者に呼ばれて、彼の世界一のジャズ楽団に招かれる。そこでの指導はスパルタを通り越して、人権侵害、差別など、様々な罵詈雑言や暴力的な行為が飛び交うものだった。ときにはニーマンの同級生など他人を巻き込んで、煽り、追い込む。ニーマンは元々のプライドの高さを引き出される。フレッチャーの無理難題にも立ち向かい、殴りかかるほどになる。

 

 最後には、ニーマンは望み通りのすばらしいドラマーになり、天才的なドラムソロをカーネギーホールで披露して終わる。

 フレッチャーはそこそこいい歳なんだけど、身体はムキムキ。すごく怖い。刃向かうのは勇気がいる。楽団のすべての人間が彼に絶対服従を誓い、出て行けと言われれば、無言で言うことを聞いてしまうほどだ。その指導法のせいで、とある学生は深いうつ病にかかってしまう。

 ニーマンはフレッチャーの期待になんとしても応えようとする。好きな女性は切り捨て、父と過ごす時間も削り、手から血が出るほどドラムに打ち込む。

 

 若い頃はそれくらい自分を追い込まねばならない時期がある。一五歳くらいに人間の肉体的成長は終了する。そこからなんらかの能力を伸ばそうと思ったら、自分を徹底的に追い込む必要があるのである。だが、自分でそのように追い込むということはなかなかできない。そう考えると、このフレッチャーの追い込むという方針は正しいのであるが、やり方がすさまじすぎるのだ。そりゃ、うつ病になるものも出てくるだろう。直接のドラム指導でも、夜九時から、深夜二時まで延々ひとつのフレーズを、他のドラマー二人と競わせるように叩かせたりする。他の二人は咬ませ犬だ。

 どうしてそんなしごきにニーマンはついて行けるのかというと、それはフレッチャーが自分に過分の期待をしているということを知っていたからではないか、と個人的には思う。すったもんだあったあと、いったんニーマンはドラムをやめているのだが、フレッチャーと再会してもう一度叩いてほしいと打診されると、うれしそうに引き受ける。それに再会したときに、フレッチャーはピアノを弾いている。その演奏を聴きながら、ニーマンは心から感動して涙を流している。ニーマンはフレッチャーに掴みかかるのであるが、それが単なる憎しみではないという証拠なのだ。複雑な心情が二人の間には存在する。

 しごきに圧倒されるのであるが、二人の繊細な心情のやりとりを楽しんでほしい作品である。これで、単純に「体罰はいけない」みたいなことしか思えなかった人は、「もう一度、見ろこのカマヤロー」。「いいか、お前がこの映画が理解できないグズなのは、お前の父親が母親に見捨てられるくらいの馬鹿だからだ」。

PS:全部書いているようで、肝心なところを避けて書いた。良かったら見てみてね。

PS2再読すると誤字脱字の嵐。すいません。

 

セッション(字幕版)

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