池波正太郎をめざして

明日は明日の風が吹く

今の心境にあわせてブログ名を変更しました。どうぞよろしく。肩の力をさらに抜いてやります。

沖縄そばと、映画「バードマン」に見る自意識。

 

 風邪が治ったまさりんです。

 どうも風邪なのか、アレルギー性鼻炎なのかもしれませんね。いまは鼻づまりは解消されています。昨日まで十分な睡眠をとることができなかったので、そのせいで不調だったのかも。部屋のなかにいると鼻がつまり、外に出ると回復する。それも結構劇的に。空気が汚いか。アマゾンでほしいものをリストしておくと、ほしいものを買ってもらえるという都市伝説を聞いたことがあるけれども、あれは女性限定の話ですよね。

 

 今日の夕飯は沖縄そばだった。

 ひょんなことから、湯島に行った。湯島に行ったなら参拝せねばと、天神様へ行った。まだ一二月序盤だというのに、結構人がいた。受験生のようだった。それに盛んにお祓いをすすめていた。今日はそういう日かな、と不思議に思いながら参拝を済ませた。こういう都心のしかも初詣で人が集まる神社は、地方の人とはずれたタイミングでことが動いている。初詣も、一月一日が一番混むのであるが、たぶん地元の人は三日以降に参拝している。それくらいが人混みが解消されていてよい。

 天神様から御徒町まで歩いて、そこから有楽町まで山手線へ移動。沖縄ショップで、沖縄そばとあしテビチ、ミミガーを買った。トッピングはソーキ、シーサーかまぼこ、ネギだった。ふと不思議に思ったのだが、沖縄の人は何をトッピングしているのだろうと不思議に思った。

 食べログを見て調べてみると、高江洲そばというところに、「ゆし豆腐そば」や「中味そば」というメニューがある。このみせなかなか有名な店なようだ。中味というのは、豚の内臓だ。ちょっとこの中味そばに惹かれる。ゆし豆腐そばは、二日酔いにもよいらしい。

okinawasoba.ti-da.net

 下のブログでは沖縄そばと沖縄の人々の関わりがよくわかる。中味そばはちょっと挑戦してみよう。

 

www.tabirai.net

 帰ってきてから、急いで「バードマン」という映画を見た。

 バードマンとは主人公のリーガン・トムソンをスターに押し上げた、昔の映画のヒーローである。この映画のテーマを監督であるアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥという一見何人か分からない名前の監督はこう語る。「この映画はegoがテーマだ」。今日がTSUTAYAの期限の日で急いで返してしまったので、今となったら、この「ego」が、直訳なのか、翻訳者の間違ったアドリブなのかは分からない。でも、これが直訳ならば、以外と見ていた私の印象と合致していたようだ。

 この「ego」は日本語のエゴだと、「自分勝手」というイメージが先行する単語だが、本来はそうではないらしい。オクスフォードの英英辞書(ネット上の)では「your sense of your own value and importance」、つまり直訳すれば「あなた自身の価値と重要なことへの意識」ということになる。日本語で言うと、「自意識」に近い使い方を英語ではするようだ。

 この映画は自意識がテーマだと見ていて思った。それぞれ主要キャラクターについて紹介する。

 

◇リーガン・トムソン 演者:マイケル・キートン

 昔「バードマン」というヒーローものの映画で有名になった役者。以前は数十億円を稼ぎ出したが、その後ヒット作に恵まれず、家庭も不和になり、六〇代を迎えていた。レイモンド・カーヴァーの「愛について語るとき我々の語ること」という短編を演劇脚本にしたてて、それをブロードウェーで上演し、B級役者から脱皮して、アーティストになろうとしている。本作品は、この舞台の二回のプレ公演と公演初日の舞台裏を描いたものだ。

 この公演に出演しているローラと付き合っている。プレ公演のときに、「生理がこない」と告げられ、本公演初日前に「生理が来た」と告げられている。

 

◇ローラ・オーバーン 演者:アンドレア・アイズボロー

 主人公トムソンと付き合っている。彼に妊娠したと告げたが、その後撤回する。だが、本当は彼女自身、バイセクシャルであるということを匂わせるシーンがある。

 

◇サム 演者:エマ・ストーン

 トムソンの娘。薬物依存症。このことに関して、父であるトムソンは罪の意識を持っていて、更正させようとしている。更正施設にいたことがある。この舞台ではトムソンの付き人のようなことをしている。見ると、母に罪の意識はない。養育も父がしている。

 

◇マイク・シャイナー  演者:エドワード・ノートン

 プレ公演間近の大事故で出演不可能になってしまった役者の代役としてやってきたハリウッドの有名俳優。ハリウッドにコンプレックスがある。かつての有名人であるトムソンに「ここではお前には誰の振り向かない」と言いながら、一般人から写真を撮らされるという屈辱に合う。インポテンツであり、レズリーの恋人。

 

◇レズリー・トルーマン 演者:ナオミ・ワッツ

 ブロードウェーに初挑戦し、抜擢してくれたトムソンに感謝している。代役が必要だというときに、恋人であるマイクを紹介する。

 

 さきにこの作品に対する評価を書いておく。ものすごく評価は高い。様々な映画祭で高評価されている。アカデミー賞でも監督賞・作品賞・撮影賞を取っている。

 この作品の最大の特徴がカット割りになっていないところだ。すべてがカメラの長回しになっていて、シームレスな作品だ。時間経過もはっきりとは分からない。演劇の舞台裏だということで、舞台のような時間経過を意識している。絵巻物みたいだと言えば、わかりやすいだろうか。だからか、ストーリーを説明するのが容易ではない。たぶん、全部書かないとストーリーを説明することができない。だから、私の考える特徴を書いておく。

 

登場人物全員が「ego」を強く持っている。普通の物語だと、一人の自意識が強く突出すれば、他の人間の自意識はひっこむのが普通だ。だが、この物語だと、全員が自意識を主張し続けている。誰もひっこまない。だからか、各人の抱えている問題も何も片付かないのである。部分的に片付いているように見えていても、それは逃避に過ぎない。

 たとえば、娘であるサムが「ネットも何も無視しているお父さんのことなんて、みんなすぐ忘れるし、意味がない。こんな舞台をやったって、見に来るのは金持ちの年寄りばっかり。帰りにはこんな舞台は誰も忘れている。それを受け入れるべきだ」ということを言って、結局自分の方へ眼を向けようとするのだが、父は「私にとっては大事なことだ」と言って耳を傾けようとしない。娘は(たぶん)父親が一番嫌うタイプとくっつく。逃避である。

 常に自意識がぶつかりあっている。それが現実的に見えるのが役者や音楽など芸能の世界だ。「Wの悲劇」もそうであった。一番目立つヤツが常に正義で、自意識をそこへぶち込んでいく。自意識がオリジナリティなのである。完全にその世界に陶酔しなければならないのだ。だが、ここまでではないが、現実世界もそういうものを含んでいる。

 トムソンはアーティストへと脱皮する重圧に常に苦しみ、そのせいか、昔やっていたバードマンの幻影という形で現れた「ego」につねにつきまとわれている。妄想がひどい。自分が超能力を使えると錯覚するような妄想に始終襲われている。それを振り払い、最後には意外な方法で、名声を獲得する。

 そうこの物語の人々の問題は、何一つ解決しない。誰も助けないし、助けられない。トムソンだけがかなり強引な方法で迷妄を払う? のだが、自分でなんとかするしかないのだ。ただ、現実もそういうもので、悩んでいても、誰かに悩みを打ち明けても、誰も解決しない。いやできないのだ。てめえでなんとかするしかない。「大変だよね」この言葉を、慰めと取るか慰みものと取るか、それはその人自身だ。

 中高年になれば、みなきっと自分のバードマンを抱えていて、それにどう対処するのか迷ってしまうものだ。そういう人は見てみたら良い。それでも世界は回るのだし、自分の子供であろうと、他人は他人。こちらの意図通りになんて動いてくれない。でもそれもよいではないか。そういう、ハードボイルドないたわり(いたぶり?)がこの作品にはあふれている。

 ちなみに、私がおもしろかったのは、劇中に高名なブロードウェーの批評家役のおばあさんが出てくるのだが、そのおばあさんとトムソンとのやりとりで、ブロードウェーも結局ハリウッドにコンプレックスを持っているのだと気づいたところだ。

PS:なんだか「解決しない」という映画を作りたくなるくらい、逼迫感があるのはよく分かる。

 

 

 

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