今日の十分日記

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原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

「デヴィッド・ボウイと私」作文2

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 まさりんです。

 前々回の記事を書いて少々むなしくなってしまった。作文の一回目のことである。こんなことやって何の意味があるのだろう、と。何回か訪れていろいろな記事を見た方は分かると思うけれども、一見さんからすれば、結局便乗してアマゾン商品を売り込みたいのだと思うだろうし。写真が使いたいだけなのだが。

 

 ボウイの死を知ったのが先週の月曜日。

 その日の夜から、火曜日、水曜日と三晩、なんとなくよく眠れなかった。

 木曜の夜はさすがに肉体的な限界が来たのか、夢も見ずに眠った。これで持ち直せばいいのだが。金曜の夜は謎の嘔吐。もちろん、私の場合、すべてがボウイの死のせいだともいいきれず、元来の身体の弱さかもしれない。

 

 さて、今回は「デヴィッド・ボウイと私」第二弾。

 一年の浪人生活を経て、大学に入った。一般的な大学生と同様に、バイトをはじめたこともあって、CDを買いまくった時期でもある。ロックも九十年代は豊作だった。ニルヴァーナ、グリーンデイなどが登場し、大いに盛り上がった。八〇年代に人気になった数々のバンドが一瞬で時代遅れになっていった。ボウイはそんななかでも新しい基軸のアルバムを出していく。

 そんな時代の寵児のCDとともに、ボウイのCDも多く買った。

 何から買ったんだろうか。たぶん、自分の節を曲げて、ボウイのシングルベストだったと思う。

 

シングルス・コレクション

シングルス・コレクション

 

  リアルタイムで聞いたことのない時代の作品が多すぎて、何から買ったらいいか分からなかったのである。このベストを梃子にいろいろなオリジナル作品を買うようになった。

 前回も紹介した、「アラジンセイン」、「ハンキードリー」、「地球を売った男」、「ダイアモンドドッグ」くらいまでが、いわゆる「グラムロック」時代の作品群をまずかったのだと思う。これらの作品は七〇年代に発売されたアルバムである。

 

アラジン・セイン

アラジン・セイン

 

 

 

 

 

世界を売った男

世界を売った男

 

 

 

Diamond Dogs

Diamond Dogs

 

 

 もともと、布袋寅泰を聞いていた。本人も言っているが、「ミック・ロンソン」というボウイのバックバンドのギタリストの影響を受けている。「ミック・ロンソン」とは、このグラムロック期のギタリストだ。だから、自分の耳にもなじみやすく、入りやすかった。

 これらの作品と同時期に、「Outside」というアルバムが発売され、購入。ツアーで日本にもやってきた。布袋と深夜番組で対談していたなあ。上記の四作品は七〇年代の作品群だ。「Outside」は九十年代の作品である。これまた、昨日書いた「black tie white noise」と全然違う作品だ。久しぶりのコンセプトアルバムである。コンセプトアルバムって、久しぶりに書いた。ひとつのテーマにそった作品をそう呼ぶのであるが、ボウイの場合、それがストーリー仕立てになっている。今回は「アートクライム」がテーマになっていたと思う。一四歳の少女がさらわれて、探偵「ネーサン・アドラー」がそれを追うというものだ。

 プロデューサーはブライアン・イーノという人だ。コールドプレイのプロデューサーとして今は有名だろうか。ブライアン・イーノは、ボウイの七〇年代半ばの「ベルリン三部作」を一緒に作った人だ。もちろん、大学時代にこの三枚も聞いた。

 「outside」に続いて、「earthling」というアルバムを発売する。この「outside」や「earthling」は明らかに九十年代半ば、windows95が登場したことによっておこった、音楽の変化に対応したものであった。ジャングルなど当時の最新のダンスミュージックの要素を入れたものになっていた。

 

Outside-limited Deluxe Pack

Outside-limited Deluxe Pack

 

  

 

アースリング(紙ジャケット仕様)

アースリング(紙ジャケット仕様)

 

  同じように、「hero」「low」「lodger」のベルリン三部作、ファンク作品「Young Americans」、「station to station」など、この大学生の頃に一気に聞いた。

 

 その後、「hours」、「heathen」、「reality」などリアルタイムに発売されるアルバムと同時に過去作品を聞く作業をしていった。アルバムの列挙はこのくらいでやめよう。個人的にはとても興が乗ってしまう作業なのだけれども。読んでいてもおもしろくないだろう。一番好きな作品は、という問いには答えられない。

 初心者のために参考になる文章を、と思ったのだが、それは達成できそうにない。気力がないのだ。

 

 個人史を少し。

 二〇〇〇年代は本当に人生がぐちゃぐちゃだった。そのときも小説と音楽は自分にとって支えだった。なかでも、ボウイはその中核に存在していた。

 入院中のベッドの上、今のようにポータブルプレイヤーが普及していなかった。タブレットもなく、やれることはCDで音楽を聞き、小説を読むことくらいだった。テレビは世の中とずれると、全くおもしろくないので、本当にそれくらいしかできないのだ。そんな生活が数ヶ月続くなんてことが何度かあった。その都度、ファミコンで言う、リセットボタンを連打されている気分になる。自分が無力で無価値であると深く自覚せざるを得ない生活のなかで、ボウイはどれだけの救いであったか。

 なんというのだろう。お伽噺を聞いているような感覚をずっと味わっていた。ジギースターダストにしてもアラジンセインにしても、自分とは関わりの無い海の向こうの物語なのである。それにものすごく大きく音楽が変化するミュージシャンなので、聞いていて飽きないのだ。上に上げた作品群を聞き比べてほしい。

 各世代のボウイのバックバンドもとても演奏がうまく、同じ曲の演奏を聞き比べるだけでも楽しかった。

 そのころの向き合ってもなんともしようのない現実をしばし忘れさせてくれた。同じことを経験しても、もしかしたらこういう感覚は共有できないかもしれない。すべての人の状況が少しずつ違うのだから。だが、違う感覚だったとしも、ボウイは多くの人を救ったに違いない。

 この間、「black star」は全米一位になったようだ。生前なしえなかったそうだ。自らを「メジャーなカルト」と表現するように、チャートでものすごく売れた作品というのはないのだろう。ちょっと変わっているから。

 それも良さなのかもしれない。

 

 最近は、ファンクの頃のアルバムをよく聴く。首都圏の中心部からはちょっと外れた郊外に住む。ここに住むようになって、ファンクの良さが身体感覚として分かるようになってきた。同様にブラックミュージックもそうだ。

 都市郊外はもちろん、多くの人が住む。私の生まれ育った南房総とは違う。多くの人が住むということは、軋轢や葛藤が増えるとも言える。そんななか、甘い音楽と歌詞でラブソングが中心のファンクは、なんとも慰められるのだ。人間関係の調整だって、どうしようもないこともたくさんある。そんないかんともしがたい現実を甘く慰めてくれるのがファンクなのだ、と勝手に解釈している。

 ラップなどもそうだ。あれは都会のものであり、南部の田舎が似合うブルースとはちょっと違う。だから、埼玉のラッパーというのは、感覚的に成立しない話なのかもしれない。あこがれるのは勝手だが。(個人的な解釈である)

 逆にハードロックなどは源流がカントリーだけあって、どこか音楽が牧歌的である。そのせいか、田舎で車をぶっ飛ばしているときなどに、よく合う。ロックは田舎者が聴くものだ、と言いたいわけではないが、どこか似合ってしまうのである。

 七〇年代の前半のボウイが、グラムロック時代で、高い声で歌っていた。七〇年代半ばのファンクは、一転して低く、かすれた声で歌う。それが、ファンクと実に合う。

 

 これからもボウイの作品を聞きながら生きていくのだが、新しい音が聞けないのは本当に残念だ。

 

 さよなら、ボウイ。

 

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