どうもまさりんです。
作業をしながら、映画などを見る。もちろん小説などを初稿で書く場合などはこんなことはできない。打ち直したりする場合は、集中力が八割くらいでかまわないので、映画を見る。何を作業しているのかは明日に回そう。いや、昨日書いた記事があるのだが、予約投稿を失敗してしまって、今日の昼に出すはずが、明日の昼に出すことになってしまった。そちらに軽く書いてある。
恥ずかしい話だが、レオンという映画を見たことがなかった。たぶん、この映画が話題になったのは二〇代前半か、一〇代後半か。みんながいいというものは、「へっ」って感じで見ない。別にマニアックな物を好んだわけではないが、みんなと同じだということが妙に気恥ずかしい時代の映画だったのだ。たぶん、面白いというのはわかっていたが。
監督・キャスト
監督:リュック・ベッソン
キャスト
レオン:ジャン・レノ
マチルダ:ナタリー・ポートマン
ノーマン:ゲイリー・オールドマン
あらすじ
ニューヨークのリトルイタリアのお話。
殺し屋であるレオンは、恩人で賞金を預かってくれているトニーの依頼で街の「掃除」をしている。アパートの隣にはヤクの売人一家が住んでいる。ある日、その隣で家族が惨殺される。売人であった父親がヤクをくすねたのだ。四歳の弟まで殺したその凶行は、警察官であるノーマンが指揮を執っていた。
唯一生き残ったマチルダは、レオンにかくまわれる。レオンの協力を得て、弟の仕返しをしようと思ったマチルダ。なんとかマチルダは自分のような人生に巻き込まないようにしたいレオン。二人はいつしか恋に落ちる。
感想
あらすじは結構ベタなハードボイルドである。
ハードボイルドの要ってなんだろうって、結局「我慢」だろう。レオンはとにかく我慢する。味方面していても、最後はみんなレオンを裏切る。そして恋愛ごとで傷を持つレオンは、マチルダを受け入れることも我慢する。過去に深い傷を持つというのも要件だ。
見ていると日本ぽいと感じてしまうのはどうしてだろうか。「復讐」があるからだろうか。どうもアメリカ的ではない。もちろん、「復讐」劇をさがせば、昔の西部劇などであるような気がする。どうしてか。マチルダがアニメを見るからではない。だいたい「トランスフォーマー」はアメリカのアニメだ。
「復讐」が失敗し、「愛」は道ならぬ愛(向こうでは一四歳の少女との愛はありうるのか)だから、すべてが不毛だからだろうか。アメリカ映画だと、最後はたいていハッピーエンドで、愛は成就し、復讐も達成される。死にそうになっても、主人公は死なないことが多い。表面が派手なハリウッド的な色彩の映画なのに、底流にあるのが日本的であり、欧州的であるからそう感じるのかもしれない。いやそうではないのかもしれない。もう少し考えてみよう。
ナタリー・ポートマンは、この「レオン」がピークで美しいという話を聞くが、その意味が分かったよ。