まさりんです。
先日締め切られた「短編小説の集い」第十八回大会の、私以外の作品の感想を書きました。ちょっとしたアドバイスではないですが、自分ならこうするかな、というのを考えて書いてあります。これは自分の意見が正しいわけではないというのを出すためにコーナーを設定してあります。あまり気にせずに、参考程度までお読みください。決して怒らないように。
「サザナミマメカモハシビロコウ」
お久しぶりのなぎさらささんです。
鳥のいる風景が、私が書いたものよりもリアリティがあると感じました。もしかして鳥を飼ったことがあるのかなと思いました。描写自体はそれほど密に書いてあるわけではないのですが。インコのいる生活が自然です。なぜか奥行きを感じるのです。そこがいいと思いました。
~私ならこうする~
最近は「ここをこうしたら」というアドバイスを書きあうことが自然と流行っていまして。とはいったものの、他人にアドバイスできるほど偉いわけでもありません。気づいたときに「私が書くならこうするかな」という形で書くようにしています。というのも、私が考えたことが絶対的な正解だとは思ってほしくないからです。時に書きすぎることもあるやもしれません。先に謝っておきます。
さて、今回の作品で直す場所があるとすれば、やはり「なぜるり葉は白鳥を家に上げたか」という部分ですかね。やはり異性を部屋にあげるというのはプレッシャーがかかる行為だと思います。たぶん酔っ払っているのだとしても、はじめに考えるのは「救急車を呼ぶ」だと思うのです。そこをどうしてスキップできたのか。そこにどうしても触れたいなと思います。ちょっとためらう心理描写を入れるかな。
というのも、たぶん「鳥(ハシビロコウ)に似ていたから」というのが正解なのだと思います。でもね、これが伝わらないんだ。結構、「そこでひっかかる?」という感じでひっかかるんです、読み手って。はっきり書いちゃった方がいいんですよね。
「金鵄」
「金鵄」とは黄金のトビのことであり、日本の神話では「八咫烏」と同一に扱われるそうです。八咫烏とは、大和に向かう神武天皇を案内したものです。三本足なんだっけ? つまりは文鳥を「金鵄」に重ねているんですね。これにクトゥルフが絡んでくると・・・・・・。
この「金鵄」と南半球の民族の関係もおもしろいですよね。もしかすると、川端や海辺が考えているよりも、深い関係があるかもしれません。上手に書けませんけど。「金鵄」のもとは南半球から来ていたりして。そんな空想が広がっていく感じがします。
~私ならこうする~
生意気なタイトルですが、ナオナオさんは深意を理解していただけていると思っています。これが絶対的な正解ではないので、参考程度に読んでください。
私が直すなら、初心者にもわかるように、設定をもう少し説明するかもしれません。しかし、こういう作品ってわかる人にわかればいいというところもあるのかなとも思うので、あとは作者の意思ですよね。もしかすると、最終日に焦って書かれたようですから、焦った結果なのかもしれません。
「飛べない鳥になり水を飲み生きる、それが世界を」
「あれ、以前はどういう話を書かれていた方だっけ」と思い過去の作品を読んでみました。ああ、そうか犬をね・・・・・・。今回の作品を読んで、あの設定は猫好きだからこそなのかな、と思いました。猫がひかれる設定にはしなかったと。
それにしても、女性から見ると女性から見捨てられた男っていうのは、ここまでいじけて見えるのかとちょっと背中がゾクゾクしてしまいました。「水になりたい」とか、背後からくる女性の空気におびえる描写とか。女性からすると、女性に向かわない男の存在というのは許せないのかな。でも、「腐の気配」が・・・・・・、ああそうか、女性にいかないのは、男に向かっているからだ、と解釈するからBLというは成立するのか。じゃあ、結構私の大学時代もそう見えていたのかな、などと思ってしまいました。
~私ならこうする~
なんとも大上段に構えたコーナーですが、なぜ「私ならこうする」というタイトルにしたかというと、あくまで「私ならこうする」であり、これが絶対的な正解ではないという意味で名付けました。読み流してください。あまり気にしないで。
さて、この作品をもっと「腐の空気」を出すにはどうしたらいいかを主眼に書いてみましょう。はっきりいって、もっと書いちゃっていいです。二人の心理的な距離をもっと近づける描写を入れていいと思います。
もっとも「腐の気配」を出したければですけれどね。
「赤・黄色・緑、黒」
とても好きなテイストの小説です。
最後のカラスが効いてますね。
鳥というとヒッチコックじゃないけど、なんとなく不気味な雰囲気も持ってますよね。その感じがよく伝わってきます。今回の私の小説なんかも、昔祖父が小鳥を飼っていたのを思い出しながら書いていたのですが、「鳥と心を通わせる」というのが若い頃の私には理解できない行為でした。まったく「アキラ」と同じ感慨を持っていました。猫とか犬ならまだわかるのですが。犬はでもかわいそうかな。リードとかで繋がないといけないですからね。もしかすると、鳥かごがそういう雰囲気を持っているのかもしれませんね。
~私ならこうする~
生意気なタイトルです。偉くもプロでもない素人の私です。あくまでこれが絶対的な正解じゃなくて、自分だったらどうするんだろう、というのを書くという意味でつけた名前です。やめた方がいいのかな。どうしても辛辣になっている気がしてしまうんですよね。この「短編小説の集い」も十八回目です。第二回から参加しているんですけど、感想を書くとき、ずっとほめることを中心にしていたんですね。なんか、気が引けてしまって。今回でやめるかもしれません。あまり気にしないで、読み流してください。「ああ、馬鹿がなんか言ってる」くらいに。
さて、この話を自分が書くなら、本当に病室に鳥を入れてしまったという設定にしてしまうかもしれません。なぜか病院側の許可が出てしまったことにして。だって動物を入れるのはだめですよね。どういう手を使うか。アキラではなく、サナエをさる有力者の娘かなんかにしてしまって。そうすると猟奇的な感じがもっと出るかなと思います。
おまけ
「鶏侍」
笑わせてもらいました。
「ぼんじり」の妖精なんでしょうか。鶏野が出る間際に、「まさか、まさか」と勘ぐってしまいました。期待通りの登場! 以前もこういう感じがあったな、と過去の作品をぱらぱらと読んでいたら、やっぱり。たぶん「鳥頭」というこの一点から想像していって、膨らませていったんだろうな、卯野さんらしい展開だなと思いました。
文章力はさすがです。「私ならこうする」なんて生意気なことは言いませんが、会話の「 」の使い方がちょっと悪かったり、病院で鶏野が顔を出すシーンからから居酒屋でのやりとりへの移行がちょっとわかりづらかったり、とディテールで直す部分はあるとおもいました。けれどもそれは些末なこと。作品の魅力は減りません。内容で直したいと思うところはなかったです。
自作。振り返りは下記。