今日の十分日記

今日の十分日記

原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

3・11から五年後の出来事。「言葉」について。

 

 ドライアイのまさりんです。

 一昨日、「第十八回 短編小説の集い」の感想を書く。いつもは少しずつ下読みをしてから、一週間後に書く、という段取りで感想を書くのだが、今回は一気に書いた。そのせいか、書き終わった直後から、目が痒い痒い。たまらず、マツモトキヨシに行って、ドライアイようの目薬を購入。店を出てすぐに封を破り、点眼。これが本当によく効く目薬だった。感動ついでに紹介しておく。

 

 

【第3類医薬品】新ロートドライエイドEX 10mL

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 画面を注視しすぎたこと、それからスマホゲームでドラクエをやり過ぎたことが、かゆみの主な原因だと思われる。だから、昨日はパソコンやスマホなど、画面と距離が近いものは見ないようにして、十分な距離をとってテレビを見たりした。もちろん、外での用事を済ませた後のことである。

 昨日関東地方は朝から雪が降るかもしれない、という天気予報だった。それがいつものように空振りに終わった。とはいえ、寒さは雪にふさわしいものだった。電車のなかは閑散としていて、まだラッシュの余波がある時間だというのに、悠々と座席を確保できた。たぶん、仕事などの用事ではない人々が雪のせいで外出を控えていたからだと思う。逆に言えば、不急の用事で電車に乗っている人間の多いこと。それは高齢社会であるという事実を如実に示しているのだろうと感じた。

 自分が学生のころより、ラッシュが甘くなっているようにも感じる。九十年代のことだ。ラッシュ時にはもっと動けなかったし、ラッシュは雪が降ろうが、カエルが降ろうが、別に関係なかった。いつもまんじりとしているしかなかった。変な体勢で立ってしまったら最悪、そのまま人混みにもまれるしかなかった。特に私は、吊革なしで電車で立つのが苦手だったので、意地でも吊革につかまる。幸い身長がそこそこあるから、時には吊革の上のバーに摑まる。そうして揺れに耐えるのだ。

 

 どこからか、バッグに「赤ちゃんがいます」マークをつけた女性が立った。正式名称は知らない。後で尊顔も拝したが、年の頃は二十代半ば過ぎくらいの女性で、ボブショート位の長さの黒神の女性だった。あれをボブショートと呼ぶのかどうか、正確には私は知らない。

 私よりちょっと離れた位置だった。席を譲るにはちょっと遠い。声をかけるには勇気がいる距離だった。気づいたのか、ただ降りようとしたのか、前にいた中東の若者っぽい男性がすっと席を立つ。そこにその妊婦さんじゃない、男がすっと横入りをして座った。大学生くらいの男だった。見ていた人がいたらならば、「おめえじゃねえよ」と突っ込みを入れていただろう。

 次の駅に着く前に、降りる客が現れ、女性は座ることができた。私だって譲らなかったのだから、人のことは言えないのだけど、横入りした男は、寝癖いっぱいでスマホの、おそらくゲームに夢中だったのが、おそらく女性の状態に気づかなかった理由だと思われるので、最近ドラクエに夢中な自分も身につまされるわけで。

 本当に夢中だった。忙しいのに、隙間時間はだいたいドラクエをやっていた。「その時間にブログを」。わかるけれど、そうならないから、不思議だよね。ドラクエやるくらいしか、隙間がないのだ。そう思っていた。

 

 帰宅したら、昼過ぎ。

 昨日は東日本大震災から五周年だった。ラジオ、テレビなど、メディアは一斉に特集していた。「あさイチ」でも特集をしていた。ラジオとテレビでそれぞれ特集を聞き、見たが、東北にいったボランティアの人も、東北の人も、“風化”を恐れているというメッセージを発していたように思う。

 この五年間を人々がどう暮らしてきたのかを特集するのだけれど、もっと乾いた特集でいいような気がした。ちょっとお涙ちょうだいなものが多かった。これが正しいやり方なのかはわからない。

 「あさイチ」はちょっと違ったかな。農家、酪農家、シングルマザー、子どもなど、それぞれいまどのように困難な状況にあったのかを誠実に描いていた気がした。

 地震の時刻あたりに、国立劇場で追悼式典が行われた。テレ朝などでは今の東北の現状というより、「風化してしまった過去の災害として扱っていた」気がした。なにも感動させる必要はないのに。エンターテイメント性が邪魔なのである。

 式典では天皇陛下と安倍首相が弔辞? お言葉? を読まれていた。安倍首相のコメントは少々、自分たち政権の実績を誇示している部分があり、「こういうのはいらないのに」と思った。数多くの犠牲の上に作られた防災計画、的な言葉は耳障りだった。

 天皇陛下のお言葉は、心が本当に国民とよりそっておられる、まごころがおありだと感じた。私などがコメントするのははばかられるが。あのお言葉は陛下がお書きになったのか、それとも宮内庁がご意志を受けて作成したのか。すばらしいなと思った。あまり書くと怒られそうだから、この辺にしよう。

 

 首相の文章を読んでいて、どうも日本人の言葉が軽くなった気がしてならない。こういう場にふさわしい文章というのは存在する。自己主張を抑制して、聞き手の心に寄り添う文章だ。たぶん、今ネットで流行っている文章と対極にある文章である。また音声で聞いていて目立つ書き方、文章で読むと引き立つ書き方というのも存在する気がする。「やって見せろよ」。できたら苦労してないよ。でも存在するのは間違いない。

 一つは「万人に読みやすい文章」を志すネットのブログなどの文章がそれに一役買っているのは間違いない。敬語表現や人格を表現する方法が著しく画一化されているのは、待機児童の是非を論じたかの文章でもわかるだろう。たまに中学生がブログを書いているのをみかけ、読んでみたりする。もちろん、本当に中学生なら、という前提だが。中学生がいっぱしに文章を書いているのに、ほほえましくなる一方で、「中学生でも書ける文章なのだ」という事実に愕然とすることもある。つまりは、みなで一生懸命「中学生でも書ける程度の言葉使い」をこさえているのだと思う。そりゃそんな連中を相手にしてたら、首相の言葉も軽くなるに決まっている、と肘枕をしつつ、鼻をほじりながら気づくのである。

 

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