池波正太郎をめざして

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明日は明日の風が吹く

今の心境にあわせてブログ名を変更しました。どうぞよろしく。肩の力をさらに抜いてやります。

「旅と人生」

 

 

明日に向って撃て! [Blu-ray]

 感涙にむせぶまさりんです。

 ウォークマンを民間療法で乾燥させたら、動いたよ。イヤホンのジャック部分が少々ヤバくなっているけれど、まあ大丈夫。これでだめだったら、音楽プレイヤー搭載のスマホにしようかな。でも、音悪そうだけど。

 

 先日から「旅と人生」の話をいろいろな人のブログで読む。旅で人生が変わるか。難しいテーマだ。「旅で人生観を変える」を「自分探し」という言葉に変換したらどうだろう。

 昔昔、二十代だったころは、「自分探し」という言葉が嫌いだった。理由はしごく簡単で、「自分が自分の外にあるわけがない」からだ。ここで言う「自分探し」とは「自分探しのために旅をする」という意味だ。ここで言う「自分」とは「居場所」に近い。本当は「自分探しのために旅行をして居心地のいい場所を見つけ、定住する」ことで「自分探し」は完成する。

 テレビで見た話がある。たぶん小豆島だったと思う。とにかくどこかの島だった。一度旅行に訪れて、島の魅力にとりつかれ、移住してしまって、結婚までしてしまったという話だった。こういう話はあるだろう。女性だったが、彼女がやったのが「自分探し」だ。

 田原総一朗は、「自分探しのために学生運動をやった」と言う。迷惑な話だ。暴動起こしたって、そこには快楽があるだけで、何も見つからない。ここで言う「自分探し」をむりやり肯定すれば、「行動を起こすことで、自分にあった役割を発見する」ことだろう。そして、みな否定していた資本家のもとでネクタイを締めるのである。

 「好きになる」にはなり方がある。「一目惚れ的に好きになる」やり方と、「やってみて好きなる」やり方だ。行動しなければなにもみつからないということもある。田原型は後者と言うことになる。

 

 昔の物語に出てくる「旅」とは命がけで、もっと悲惨なものだった。「明日に向かって撃て」もそうである。ものすごく希望のある邦題であるが、原題は「ブッチ・キャシディ アンド サンダンス・キッド」である。二人の主人公をならべたタイトルだ。

 二人は盗賊団「壁の穴」を従えている。ブッチ(ポール・ニューマン)が頭脳担当、サンダンス(ロバート・レッドフォード)が射撃担当である。いつも同じ鉄道会社の輸送列車を襲っている二人だが、いいかげんやられている鉄道会社が頭にきて、「闇夜でも足音を見逃すことがない先住民」や「タフな保安官」をやとって、延々二人を追わせることになる。もともとブッチは自分たちが老いて、ここから落ち目であるということを見抜いていたが、いよいよそれが現実になった。泳げないサンダンスを川に落とし、なんとか二人は窮地を脱する。

 二人はサンダンスの愛人エッタ・プレイス(キャサリン・ロス)をつれて、新天地を目指しボリビアに旅に出る。(ボリビアはこの映画が作成された時期、チェ・ゲバラが死んだ場所)ところが、話せると言っていたブッチは言葉が話せない。ここでも銀行強盗をするのだが、例のタフな保安官がやってきた、と勘違いし、二人はもう強盗を辞めようと誓う。

 だが、更正する機会も奪われ、最後は命を落とす。

 

 昔の旅とはこのようなものだ。娯楽的な意味などが付加されたのは、近代以降の話であろう。移動が楽になったので、娯楽になり得た。そのころはもちろん、メディアも発達しておらず、インターネットももちろんない。だから、国境を越えて見聞きするものすべてが新しく、それこそ人生観を変えたのであろう。

 しかし、今は情報過多な時代である。だから、いろいろなものは自宅で見られる。ただ、それでも現地に行って見る価値はあるのだと思う。私は現代の旅とは「自分探し」や「人生観を変える」ものではなく、「自分を確定・確認するためのもの」であると考える。なにも現地で誰かと知り合う必要は必ずしもない。普段あまり行かない人間と知らない土地へ行って、それぞれの人生に起こったことを語らいながら旅をしたって、新しい発見や自分を振り返ったりできるのである。旅で心身を休めるというのも、この「自分を確定・確認するためのもの」に入るのである。

 「人生観」とは日常生活でおこったことの詳細な分析で培っていくものだ。つまり、日常を積み重ねていくことでできあがる。はっきりいって一瞬で人生観が変わるような体験など、大病や大災害くらいだろう。現代人の人生観は変化しない。それくらい、昔の旅はインパクトがあったということである。

 なんにせよ、「感度」が低い人間がやったら、自分も何もみつからないはずだ。ただ、きれいな景色があるだけであり、荘厳な神社仏閣など宗教施設があるだけだ。旅にしてもなににしても知識と感度が必要なのである。

 だから、「旅に出てもなにも変わらないよ」と軽々に言う人間は、「知識と感度がない」と自分で言っているようで少々滑稽に思う。そういう人間は馬鹿な若者みたいに、馬鹿な男女同士で馬鹿みたいに臭い浜辺にでも行って、コーラ片手に馬鹿みたいにへらへらしていれば良いのである。

 ああ、へらへらしてえ。

 

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