今日の十分日記

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原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

「旅をする本」星野道夫の本の旅。

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旅をする木 (文春文庫)

 休日のまさりんです。

 久しぶりにそばを食べに行った。行きつけのそば屋が閉まってしまったので、隣町まで行った。とはいうものの、そばに格別なこだわりがあるわけでもなし、隣町の行きつけの店の系列店に行っただけだ。メニューを知っているので、その店が良かった。

 ところが同じ系列店でもメニューが違った。系列店といっても、その店の特色に合わせてメニューは変えるものだ。出るまでに時間がかかることがあるのだが、その店のだし巻き卵が食べたかった。が、なかった。強烈に食べたいのだが、店員さんに悪態をつくことはしない。酒のあてっぽいメニューがたくさんあった。そば屋のコロッケや板わさなどだ。だし巻き卵はあてにならんかね。時間がかかるか。

 世の中チョイ呑みが流行っているらしい。ケンタッキーや富士そばなどで、ちょいと一杯呑んでほろ酔いで帰るというものだ。今の中堅や若い衆は先輩と酒を飲まないらしい。このチョイ呑み旋風はこれに拍車をかけるのかもしれない。

 鬼平犯科帳なんか見ていると、みんな結構チョイ呑みだ。もっとも、一日中、呑みたくなったらチョイ呑みをしているのだが。

 

 

 帰ってきて、「星野道夫没後20年 “旅をする本”」というテレビ番組を見た。星野道夫とはカメラマンである。千葉県市川市の出身であり、高校時代にはアメリカを単身旅行し、後年アラスカの動植物、自然とそこに住む人々の暮らしに魅せられた。多くの自然写真、動物の写真を撮った。定期的に展覧会が開かれていて、見に行った。

 彼のエッセイ本に「旅をする木」というものがある。これをある青年がスペインで手に取り、表紙にある「木」の字に一本横棒を足して「本」にした。この「旅をする本」は表紙裏に「この本に旅をさせてあげて下さい」というメッセージ、裏表紙には氏名と簡単な住所、そして「タイ→バンコク」というように旅行の道筋が書かれた。十年ほど前の話である。

 本は幾人の人の手に取られ、一緒に旅行をした。ある人はお守りとして、単独徒歩で北極点を目指す旅の荷物に入れた。その本はある写真家からもらった本だった。その写真家は、「北海道山岳連盟」のカメラマンとしてヒマラヤのミニャ・コンガの北東陵を登った。世界で一番急勾配のその斜面は、当時誰も登頂に成功していなかった。頂上付近だった。カメラマン以外の人々は滑落をフォローするために、全員腰をロープで結びつけていた。最後の一人が滑落をした。体力が弱っていたのかもしれない。支えきれず、次々と滑落していった。カメラマンと、最後に滑落してしまった人は落ちる寸前まで目を合わせていた。どうすることもできなかったのだろう。そのときの目を一生忘れられず、一生背負うことになると語っていた。五十を過ぎて、南極観測隊の「フィールドアシスタント」を買って出た。南極観測隊と一緒に帰るときに、星野道夫の「旅をする本」を観測隊員からもらった。同じようなトラウマを抱えていると星野道夫の本に書いてあった。

 「私と同じように苦しんでいる人間がいるということは、悩みを持つ人間にとっては心強いものだ」

 カメラマンは北極を単独徒歩で渡りきろうという青年に「旅をする本」を渡す。青年に絶対に死んでほしくなかったからだ。

 

 手に取った人には北極の生態系を研究する女性もいた。その女性は友人から「旅する本」を受け継いだ。女性は「旅する木」を持っていた。女性には運動神経に難病を持つ祖母がいた。時がたつにつれ、動けなくなっていく祖母を目の当たりにしていた。心の片隅に死を意識した。大学生のとき、その病気が遺伝病であることを知る。自分にも発病する可能性があるのだ。絶望した彼女が出会ったのが星野道夫の本であった。

 生きる意味を失っていた。「なんのために生きているのだろう」という問いがいつも胸中に渦巻いていた。虚無感が強くなった。星野道夫の「旅をする木」(線が引かれていない方)に影響されてアメリカに旅にでる。最終日、湖のほとりで独り、日が傾くのを見ていた。そのときに胸がざわめいて「なんのために生きる、でなくてもいいじゃないか」という境地に立って、虚無感が消えた。

 〈ちょっと、鬱病的な状態だったのかもしれない。自分にも経験があるが、他の人からすればなんでもない光景でも、圧倒的な景観に出会い、ふっと鬱病的な状態から抜けることがある。彼女が経験したのはそういうものだったのかもしれない〉

観音崎の奇跡 - 池波正太郎をめざして

 それから彼女は、生き物同士がつながっているところを見ようと、生態学を研究するようになる。

 

 線を一本足された「旅をする木」はそれぞれの旅人の友であったり、お守りとして存在した。もちろんカメラマンのように滑落事故のような強烈な出来事に遭えば、どうしたって人生観が変化する。だが、そうでなければどんな局地に行ったって、人生観が変化なんてしない。ただ、人は旅によって自分の人生観に気づくのかもしれない。

 生態学の女性研究者のように、もしかすると事前に人生観ができあがっていたのかもしれないが、そこに進む勇気をくれるかもしれない。

 星野道夫自身が、外へ外へ行く人生を高校生から送っているような人物だ。しかし、そこで新たに何かを発見しているのではなくて、外に行って、自分のなかにあるものを言語化しているような気がする。

 なんにせよ、ネット社会の黒か白かという、小学生のような思考法には辟易する。黒か白かはその人によることだ。

 

 冒険家はこの春、再び北極点を目指し旅に出たそうだ。もちろん、「旅をする本」も荷物に入っている。

 

masarin-m-dokusho.hatenablog.com

 

 

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