今日の十分日記

今日の十分日記

原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

熊本の地震において、有名人にバッシングする人々に関する考察。

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  日曜日のまさりんです。

enter101.hatenablog.com

 ※言及させていただきました。

 

 上記の記事を読んで思うところを書こう。

 しっきーさんのとちがって、批判をしたいわけではないからいいだろう。

 なにが書いてあるかと言えば、タイトルに集約されているわけです。熊本の地震以降、芸能人とかそうでない人とか、何かと言えば、文句を言う人が多いということだ。

 「不謹慎だ」

 「(寄付などに)売名行為だ」

 などという文言がツィッターのタイムラインに踊りまくる。

 

 こういう場合私は、「そうだそうだ」と同調するより、「どうしてこんなことを言うのか(書くのか)」という方に興味が行ってしまう。目をこらすようにして、彼ら、彼女らを観察してしまう。

 

 今回の熊本の地震については、情報を過剰摂取しないということを心がけた。一つはテレビである。ことさらに煽情的になるのがこのメディアだ。ほとんど野次馬根性で現地に駆けつけ、ひどい惨状を繰り返し繰り返し映像として流す。だから、視聴時間やその時間帯などをセーブして見た。それでも夕方のニュースで変なものを見た。アナウンサーが現地に行って、倒壊した家屋などを見て、「これはひどい。倒れてます」とか言っていた。必要のない解説である。そういう倒壊した家屋や上から押しつぶしたような市役所の映像を繰り返し放映することで、人々を煽っていくのである。

 

 同時に、ツィッターなどの情報収集もやめた。

 特に東日本大震災原発の事故なども相まって、ひどい有様だった。近所もホットスポットになったりして。とにかく、ひとつの情報が流れてくれば、その事実確認をせねばならず、結果的にはネットに首っ引きになってしまうのだ。神経がやられるし、ろくなことにならない。

 

 数字とかは追っていた。細部の被害はわからないまでも、全容はだいたいつかめていると思う。試験されたらあらが出るけど。

 だからか、結構精神的に、ぐちゃぐちゃになるくらい動揺するということはなかった。東日本大震災のときにはこれが起こった。

 

 上記の類いのものに深く触れていると、ひとつの興奮状態になる。また不安が増長される。この不安と興奮が、他人に対して攻撃的になるのだと思う。

 

 昨今の有名人は政治家と同じ位置にいる。有名人、芸能人の位置があがったのではない。政治家の位置が下がったのだ。それは政治家がメディアなどを積極的に利用していることに理由がある。テレビタックルが日曜日の昼間にやるようになった。例えばそこに専門家とビートたけし大竹まことと政治家が並ぶ。番組のホストとして、一番上位にいるのがビートたけしだ。そして、その下に大竹まことと専門家と政治家が並ぶ。専門家は専門知識を持っていて、それを解説に来たのであるから、まさか視聴者は専門家と大竹まことが同列だとは思っていないだろう。しかし、政治家と大竹まことは同列に見えてしまうのではないだろうか。たまにはとんでもないおっちょこちょいな発言まで政治家はするのだから。

 

 数年前に民主党政権交代に成功したのは、ひとえにこのメディア利用があった。テレビタックルなどに常連として出ていた民主党の政治家が政権では大臣になったりしていた。自民党から来るのは、言い方が悪いが下っ端である。ただ、テレビに出まくっている人が大臣になるのだから、今の大臣の権威も一般化された「大竹まこと」くらいなものと見ても不思議ではない。

 

 つまり、ネットなどで有名人、芸能人に絡む人々は、芸能人である井上晴美に政治家並みの見識を求めてしまうからなのではないだろうか。本当は政治家がメディアに登場してもよいのだが、「政治家用の番組」、「芸能人たちの番組」と棲み分けを明確にすべきなのだろう。それか、「太田総理」の太田のようにべらんめぇ口調で政治家に絡めるのは太田などのような特殊な人であるという扱いをもう少しした方が良いのである。政治家をもう少し別の枠にくくるべきなのである。

 

 もちろん、これらのことをやっているのは、熊本・大分の被災地のかたではないだろう。だが、比較的近くにいて、やはり同じように不安に感じている人々なのではないだろうか。この人々がネットやテレビに煽られ、そして元々政治家と、芸能人・有名人の棲み分けを混同した感覚を持っていて、このようなクレームを付けているのだと思うのである。

 災害が発生した初期段階は、被災者の方に安否確認をしやすいようにするためにも、ネットなどを意識的にセーブした方がいい。特に遠隔地にいる人間は初期段階でできることなどほとんどない。最終的にできることも、お金を寄付するか、ボランティアで行くか、だろう。それには煽情的なメディアの情報は邪魔である。例えば、東日本の震災で煽情的な津波の映像が一時間に何度も流されなかったら、みなはボランティアに行かなかっただろうか。募金をしなかっただろうか。私はそうは思えないのである。

 

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