今日の十分日記

今日の十分日記

原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

通史スターウォーズ。

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 まさりんです。

 以前、スターウォーズについてYoutube でいろいろな人の感想をあさっていた。新作の「スターウォーズ7 ジェダイの覚醒」についてである。どうなんだろう。評価は賛否わかれるのだろうか。いや、否定が目立つのだろうか。

 スターウォーズの新作で、メガホンを取ったのが、ジョージルーカスではなかったので、おそらく酷評が目立つだろう、と思っていたが、ブログなどで見ると、完全に否定が目立った。しかも、オールドファン(エピソードⅢ~Ⅵをリアルタイムで見た人たち)ほどだめだという意見が多いのではないだろうか。

 

 今回のスターウォーズではないが、Youtubeではおもしろいレビューがあった。それは町山智浩氏のレビューだった。一応貼っておこう。

 

youtu.be

 全体を聞いてもおもしろいが、注目すべき部分は、これは町山氏の解釈なのだろうが、スターウォーズというのはルーカスの人生を反映しているという話だ。

 ルーカスは父親との関係が複雑だ。父親は厳格で、映画監督になりたいというルーカスを許さなかった。父は田舎の事務用品店の主なのだが、権威主義的であった。ルーカスは少年時代からだが弱かった。映画監督になりたいと言ったら、「この店を継ぐのだ。映画監督をやっても失敗するぞ」といって聞かなかった。

 ルーカスはその状況を映画に反映させた(と町山氏は言っている)。ルークとはルーカスである。ルークは父親と戦う。父親ダースベイダーは、ルークを暗黒面に落とそうとする。つまり、父親の後を継げと言われたのを反映している。

 そして、帝国とはその当時のハリウッド映画界である。帝国を打ち破るとルーカスは自由を勝ち取った。ここまでが前三部作の内容と一致する。

 

 そして、ルーカスフィルムを立ち上げるのであるが、先日書いたとおり、人生最悪のときを迎える。ルーカスは傲慢になり、他の人の言うことを聞かず、孤立していく。前三部作で編集をしたマーサは不倫し、離婚する。

 後三部作はこの状況を反映する。

 エピソードⅣで少年として登場するアナキンが今度はルーカスである。アナキンは宇宙の均衡をもたらす存在だとされる。そのアナキンは自分の天才的才能に、自ら翻弄される。師匠でもあるオビワン・ケノービの言うことも聞かず、愛し合ったアミダラ姫にも裏切られてしまう。もちろん、裏切りは勘違いだ。

 アナキンは天才なのであるが、おごり高ぶりからか、自分より下であるオビワンに負けて、大やけどを負う。その傷を隠すために、皇帝はアナキンにダースベイダーの装束を着せて、話は終わる。

 

 本線のストーリーを追うと、とても暗い話である。これを町山氏はルーカス個人史と接点があるのではないか、と論ずるのである。おそらく正しいだろう。本当は作品はテキストとして、作り手から独立して見た方がおもしろいのだが、ここまでリンクしてしまうと無視することもできないだろう。

 

 さて、この通史を考えたときに、エピソード7の見方も変わるのではないだろうか。このあとの話がどう展開するかで変わってしまうのだが、敵方として登場する、ハンソロとレイア姫の息子、カイロ・レンの存在を素直に考えれば、これは監督JJ・エイブラムスだろう。

 作中、カイロ・レンは「自分はアナキンの血を継いでいるのに、アナキンを抜くことができない」と悩んでいるというシーンがある。ここでのアナキンとは、ジョージ・ルーカスだ。ルーカスを越えることができないと悩むカイロ・レンの次なる展開は、想像できない。こう考えると、自作がおもしろくなる。

 

 また、作り手が自分を分割して二人の人物に反映させるということもある。つまり、カイロ・レンとレイだ。

 カイロ・レンがルーカスにとらわれるエイブラムスだとすれば、レイはそれとは全く別の新しい要素を持った自分を反映させているのではないか。

 陳腐だが、あり得る流れとしては、カイロ・レンとレイ、つまりとらわれる自分と新しい自分がどこかで折り合いをつけるのだろう。ディズニーだし。ただ、ぶっちぎっておもしろい展開を作ろうとすれば、それも可能だ。結局レイが負けてしまい、暗黒面に落ちる、バッドエンドも作れる。ディズニーだからないのだけれど。

 

 実はエピソード7を作る際に、ルーカス版の脚本というのが存在したが、それをディズニーが蹴ったらしい。そこに書かれた内容とは、今のルーカスの人生を反映させたものになっていたのかもしれない。彼は、近年メロディ・ホブソンと結婚し、初めて実子を授かった。このメロディさんというのがすごい人である。やり手の実業家である。

 TEDで人種差別についてのスピーチをしたときには、数百人はいよう聴衆の前で、ネガティブな反応であったのに、どうどうとスピーチを続けたというのを見た。肝の太い女性である。

 このメロディさんや子どもとの関係が、本当は反映された作品になっていたのかもしれない、と思うのだ。

 JJエイブラムスのこと、きっと落とし前は付けてくれるのだと思うけどね。

 

 よくオールドファンから「焼き直し」だの、「ファイターの使い方がおかしい」だの、いわれる今シリーズである。が、「全く別物の作品」として見れば、結構楽しめる映画だと思うがね。

 ばかでかいTIEファイターが出たときは胸の高鳴りを抑えられなかったけど。「これに乗るのか、マジか!」って大興奮した。おもしろかったけどね。

 われわれは原作のある作品の映画化でこれまでがっかりし続けていた。そのときまなんだはずだ。「これは別の作品」だと考えること。比較しないこと。そう考えれば、結構上出来な作品だと思うよ。元のスターウォーズを越えているのかって、だから、考えるなよ。

 

 

 

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