今日の十分日記

今日の十分日記

原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

お笑いの未来、熊本の今。

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 お笑いがそこそこ好きなまさりんです。

 みなさんはお笑いはお好きだろうか。私は「無類の」とは言えない程度に好きである。それでもうちのカミさんに言わせればものすごい好きなのだそうだ。はっきりいって、若手の芸人さんには疎いし、彼らが出る番組もそれほど見ない。見なくなってからも、「めちゃめちゃいけてる」的な組み合わせの番組はいくつか作られてきたはずだ。そういう番組をまめにチェックすることもない。

 たぶん、さまぁ~ずとか雨上がり決死隊、くりぃ~むしちゅーが若手として台頭してきた時期の芸人が若手としてよく見た最後だろう。つまり、自分の年齢よりも五歳から一〇歳くらい上の芸人をよく見ているのだと思う。

 いやそうでもないか。おぎやはぎなんかも好きで、以前書いたが、ラジオなどもよく聞く。おぎやはぎも私より五歳以上年上か。だから「ゴッドタン」は見ている。

 

 少し前は吉本の芸人さんが東京のテレビも席巻していたと思う。が、今は少し落ち着いている。大阪などは吉本の芸人さんばかりが出ているというイメージがある。たぶん間違っているのだろう。TKOがテレビでそういう話を吹聴していて、「番組のエンディングで吉本の芸人さんと仲良く話している感じを出すと、そいつは売れていると思われる」という逸話からそう感じるのだろう。

 さて、東京の番組では、吉本も他の事務所もバランスを取った形の番組が増えているような気がする。アイドルだけはジャニーズが多いのか? このあたりはまるで分からない。

 「ゴッドタン」ではあまり関西の芸人さんは出ない。というか、ちょっと小馬鹿にしているフシすらある。

 そのようにしてちょっと勢いが落ちた吉本が今何をしているのかというと、「地方創生」と「アジア進出」を視野に入れて活動しているようだ。昨日のクローズアップ現代でやっていた。ダウンタウンの育ての親、大崎洋社長はテレビがますます衰退するだろうと予測している。そりゃそうだ。ネットがある以上、他の媒体に広告を頼る必要性はなくなっていくだろう。

 ゴールデンウィーク、東京の下町のホールで吉本をはじめとする芸人さんがネタをやったようだ。そういうところに、客を寄せるためか、中川家まで出ていて驚いた。そこが吉本をはじめとする大阪の芸人の矜持で、舞台を大切にする文化が大阪にはあるのだろう。ダウンタウンは違うが。それでも知らないだけで、若手のころには東京の劇場にも出ていたのだろうか。

 この地元の劇場を大切にする文化を地方に創るのは良いことだと思う。クローズアップ現代では平田オリザがコメンテイターとして出ていた。そこで印象的なことを言っていた。「大学で何年も教えているが、卒業したあとに地方出身の学生が地元に戻らない。それは地方に職がないからではない。仕事はあるのだ。でも、東京などの都市圏の刺激的な生活になれてしまうと、地元に戻る気がしないのだそうだ」

 そんな感じのコメントだった。

 別に東京的なものを画一的に地方に移設する必要はない。むしろ、ある面では東京を超えるものを地方に作れればいいのだ。「演劇に関しては広島だね」みたいに、突出したものがあればよい。ニューヨークと西海岸みたいなものだ。音楽にしても同じジャンルで、まるで違うニュアンスの曲ができあがる。ニューヨークとカリフォルニアでアンセム(賛歌)がある。ちなみに、ケイティ・ペリーの「カリフォルニア・ガール」はカリフォルニアに対するアンセムを意識した。こういう感じになると面白い。東京対大阪だけでなく、様々な分野でそういうことが起こると、文化的には盛り上がる。

 しかもこういう取り組みはお金がかからないのだそうだ。そりゃそうだ。人材育成が必要でも、大げさに学校を作る必要もない。バブルの時に箱物を作りまくったおかげで、全国各地にホールも存在する。

 「映画作るなら松山だね」みたいなことになればいいね。

 

 昨日の「あさイチ」では熊本地震から一月経った現地の様子を伝えていた。

 災害で倒壊した家屋が多く発生していることはご存じだろう。しかし、その認定作業が遅れていて、避難場所からひと月で退去しなければならないのに、家を建てるめども付いていないようだ。

 熊本は全国有数の農業県である。その農業にも影響が出ている。田んぼの真ん中に大きな亀裂が入っている映像を見た人もいるだろう。あれほど大きなものでなくても、米作には影響が出る。小さな亀裂でも、そこの水の深さだけ深くなり、生育にムラが出てしまう。実際に今年は断念しようという農家も出ている。

 そうも言ってはいられない農家もある。それは農業法人である。実際「あさイチ」でもある法人を扱っていた。法人であるので、そこには従業員がいる。農業の収入が得られない場合、給料が支払えない。小さなことで断念するわけにはいかない、と水を入れてみるのだが、配水管が破裂していて、うまく水を入れられなかった。

 農業のこのような破損のやっかいなところは、自分で補修ができないことだ。自分でやってしまうと自治体からの補助が得られないのだそうだ。そういう仕組みになっている。

 

 農業というのは祝祭的な側面を持つ。そういう記事を過去に書いた。が、どこに行った? もない。もしかすると、短編小説の集い用に書いて、没にしたのかもしれない。いや、書いた気がするぞ。どれだっけ。

 農業は機械化がすすんだ今でも、核家族化が進んだ今では、多少は親戚などの手伝いが必要だったりする。老夫婦二人ですべてをまかなうというのは無理だ。それも毎年行うので、年一の行事となる。

 だから、見ていてちょっと悲しかった。

 

PS:今日も映画の感想まで行き着かなかった。明日は書きたいが、今回の映画、内容を書かずに感想を書くのは大変なんだけどね。