まさりんです。
以下の記事を読んで考えたことを、考えながら書くので、前後で内容が変化する場合があります。その点をはじめに分かっていてほしい。ブックマークの一四〇字では書ききれないのでここに書く。
社会、組織、集団というのは「才能を吸い上げる装置」だと思っている。
だから、もしも社会で直接働くのではなく、(言い方が悪いが)間接的なバックアップの仕事についているのであれば、それはその方が向いていると社会が考えたのではないか。
もちろん、「才能を吸い上げる装置」がきちんと機能していない場合も多々ある。
「もったいない」といっている女性も社会の一員であり、装置の一部である。だから、彼女に「もったいない」と言わせることで、社会的な非効率を是正している可能性もある。
必ずしも書かなくてもよいが、今の状態になった理由が書かれていない。夫とどのような協議がなされたのかが分からない。理由がわからないので、どうしてこの状態になったかも正確にはわからない。
本当に専業主婦に向いているのかもしれない。
本当は社会に出た方が良いのかもしれない。
それに「社会に出る」というのはどういうことを指すのだろう。雇用されることか。起業することか。ボランティアをすることか。京都大学を出たから、積極的にやるべき、「社会に出る」とはどんなことなのか。
変なことを言っている人というのは大概、理屈がずれている。例えば、京都大学って、イメージでは霊長類の研究が進んでいるような気がする。すごく優秀な研究者で、途中で研究を頓挫して専業主婦になるという選択をすれば、もったいないとは思う。けれども、それも選択であるし、あなたは社会にその選択をさせられているのかもしれないと思うのだ。
社会にある仕事のほとんどは高卒でもできる仕事であり、高学歴でなくてはできない仕事というのも少ない。失礼な物言いだが、「京大東大のみができて、日大卒だと不可能な仕事」というのはほぼない。教師だって、高学歴じゃなくともできる。学歴と教師としての能力は実は完全なイコールではない。
なぜなら、インプットとアウトプットは違う能力で、効率よくインプットできるからといってアウトプットが上手いとは限らない。教師に限っていえば、これに加えて、配属された学校とのレベルの相性もある。
例えば、スーパーのレジうちの仕事ならば、レジうちの技術を事前にインプットして、レジうちの技術をアウトプットして、また工夫を加えて(これもアウトプットだ)業務をこなす。
アウトプットとは、ときにはインプット以上に重要である。だから、昨今の教育改革はアウトプットも重視しようという流れになっているのだ。円滑な人間関係なんて、社会にとってどうでもいいことだ。飲み会で話が弾むとかどうでもいいのだ。せっかくインプットした能力を効率よくアウトプットしたり、変更できないということが、社会にとって困るのである。
読んでいると、この筆者はアウトプットが苦手なタイプに見える。
職業のほとんどは「能力のアウトプット」で成立している。
だって、ババアがくだらないことを言っていると言うだけで動揺しているのだから、と思ってよくよく読んでみると、反論できない理由があるのかな。(そこについて掘り下げる理由はない)
変なこと言っているな、このババア思ったら、一歩立ち止まって、言っている言葉を細かく切って考えてみると、意外と理由や背後にある真理が読めるものである。
結局何が言いたいかというと、今のあなたになるにはきちんと理由があって、それは別に人に非難されることではないということである。(仕事のことだけだよ)それに分かってもらう必要もない。「別に良いじゃん。馬鹿じゃないの」と若人のような物言いで返せば良いのである。自分の意思だけで今の自分になっていると思う方が錯覚なのであるということだ。今の自分を反省する必要もない。
親が京大卒ということは、子どもにとってはそれだけで財産なのだと思います。とはいうものの、事情があっても、人と違うのだと自覚しながら生きるのは辛いよね。
・・・・・・なんか、自分に言い聞かせてるみたいだ。