今日の十分日記

今日の十分日記

原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

歴史と白眉

 

 まさりんです。

 風呂に入るとき、用を足すとき、それを見ているとぞっとする。

 「それ」とはイチモツではない。その周りに密生する毛である。三〇代半ばくらいから白いものがチラチラと見えるようになった。見つけると、自然とホウっと深い息が肺から抜けていく。

 とはいうものの、頭髪でも白いものは、かなり昔から存在していた。憶えているのは、小学生高学年から。高学年は頭髪の白いものと、フケに悩まされた。皮膚の弱さというのも小さいころからの悩みだった。フケは小学生を卒業するころになると出なくなった。あれは一体何だったのだろう。

 頭髪という意味では、高校を卒業して浪人中にも悩みがあった。その頃は異常な抜け毛が起こった。しかし、高校までは剛毛で、セットができないくらい毛が多かったので、抜け毛があって、人並みになったのだと思う。抜け毛は三〇代にも起こって、頭頂部の肌が少し透けるくらいの薄さになった。一時的な話だ。

 ところでそれから育毛剤を使うようになるのだが、育毛剤は発毛剤ではない。人々が期待するのは発毛である。育毛という意味では私が使っている「アデノゲン」は効果があるように思える。髪を切りに行く期間が確実に短くなった。

 医学的に発毛を促す成分というのも存在するらしい。そんな金儲けの種、医者が手放すはずがない。発毛効果のある成分が配合されたものは、皮膚科の処方がないと手に入らない。リアップにもそういう効果があると謳っているがそれは本当であろうか。

 

 話がそれた。

 昨日、英国の歴史をブログで紹介しているたなかあきらさんがブログで歴史を知る意義を書かれていた。私はそれに対してこう返した。

 

 

僕の持論、歴史あるものは何故心が落ち着くのか? - イギリス・ウェールズの歴史ーカムログ

土台を見つめ直す。わかる気がします。私は同時に感じかたというか、センスというか、考え方を学んでいる気がします。

2016/05/26 23:35

 

 それから考えた。

 大事なことを忘れていた。それは「自分と似た人物を探すということ」だ。歴史を知り、偉人を知ることはそういう意味もある。もちろん、物語や伝記に出てくる人物像というのは加工されているので、注意が必要だ。

 

 ここでの例でいけば、白髪に悩んでいたまさりん少年は、とある人物を知って勇気づけられる。それは三国志に登場する馬良という人物だ。馬良荊州襄陽郡宜城県出身の人だ。弟は「泣いて馬謖を切る」の馬謖だ。

 「馬氏の五常、白眉もっとも良し」という言葉がある。馬良には馬謖も含めて五人の兄弟がいた。鏡台には「常」という字(あざな)がついていた。そして馬良は眉が白かった。その白眉、馬良が兄弟のなかで最も出来が良かったのだ。

 「白眉」という言葉は今でも使われる言葉で、最もすぐれたものを指す。

 蜀の諸葛亮孔明に信任され、活躍をする。劉備玄徳は関羽雲長と張飛翼徳と桃園で義兄弟の契を交わす。その関羽を呉に殺され、劉備は我を忘れる。関羽の報復戦となった、夷陵の戦い馬良は死ぬ。夷陵の戦いでは蜀は多くのテクノクラートを失う。それが遠因となって蜀は衰退する。

 三国志演義では端役的な扱いである。たとえば関羽が死に向かう戦いで、腕を負傷する。それを麻酔も何もなく、手術するのである。関羽は悠々と呉を打っている。その相手が馬良であったと思う。そんな端役であるが、「おお、馬良だ」とちょっとうれしかったりする。 

 外交交渉で馬良が登場したりするときに、少年まさりんは妙な興奮を憶えていたのである。

 

 同じように毛が白い人物は、昭和の大作家、司馬遼太郎である。司馬さんは、三〇代半ばには頭が真っ白であったらしい。それを知ってから、妙に親近感が湧いてしまった。

 もちろん、司馬遼太郎の文章から入ったのであるが、白髪の点でも好きになってしまった。面白いもので、こんなことでも共通点があると、結構「許せる人物」になってしまう。「許せる人物」とはある程度何か粗相があっても、許せる人物である。

 

 歴史を知るというのは社会を知る、文化を知る、土台を知る、いろいろあるが、一方で人を知るということでもある。他人にはどうということもなコンプレックスでも思春期には大きな問題だったりする。そういう部分を共有する歴史上の人物を知るというのは精神的に非常に大きな意味があるのではないかと思うのである。

 もう一つ考えた歴史を学ぶ意義である。

 大学で歴史を学ぶ人たちにしたら、くだらない話になってしまうのだろう。

dabunmaker.hatenablog.com

※お二方とも、勝手にリンクを張りました。あしからず。