池波正太郎をめざして

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明日は明日の風が吹く

今の心境にあわせてブログ名を変更しました。どうぞよろしく。肩の力をさらに抜いてやります。

ゼログラビティ

映画 雑記 映画-ゼログラビティ

 

 今日こそ簡単に。まさりんです。

 

 テレビでやっていて、「ゼロ・グラビティ」を見た。

 物語は至って簡単。

 ライアン(サンドラ・ブロック)とマット(ジョージ・クルーニー)はスペースシャトルの船外活動をしていた。そこにソ連人工衛星を破壊したときに生じたデブリ(ゴミ)が猛スピードで襲いかかる。同じく船外活動をしていた飛行士はデブリが頭部直撃。船内にいた飛行士はデブリが衝突して穴が空き、空気が流出し、死亡していた。

 ライアンを支えていたアームにもデブリが直撃し、ライアンはシャトルから放り出される。生き残った二人の生存をかけた戦いが始まる。

 

 てな感じ。

 まあ、突っ込んじゃいけないんだけど、あまりにも「それ本当にそうなるの?」というシーンが多くて困った。

 おそらく、様々な宇宙を描いた作品のオマージュが入っている。

 例えば、船内でよく万年筆がクルクルまわっているのだが、これは「二〇〇一年宇宙の旅」だろう。よく見てみればもっと多くの映画へのオマージュ・シーンがあるのだろう。

 そのなかには「エイリアン」もある。だからか、サンドラ・ブロック演じるライアンは宇宙服を脱ぐ脱ぐ。「エイリアンの主人公」エレン(シガニー・ウィーバー)も確か、ああいう姿になっていたと思う。ただ、両映画とも、近未来と百年以上未来の話なのである。そのころに服がどうなっているかは分からないけれども、宇宙船はもう少し良いものになっているだろう。そういう言い訳が効くのである。この映画に関しては、現代なのだろうから、その言い訳はできない。

 それにライアンはソユーズに辿り着くまでに酸欠などの恐怖に襲われている。少々パニックになるくらい小心な設定になっている。それがいきなり全部脱ぎ捨てて、タンクトップとパンツというあられもない姿になるのである。(減圧もせずに)「なんでやねん」と心中突っ込んでしまった。(関西圏の出身でもないのに、こういう突っ込みをすることへの違和感を与えたことを許してほしい)船内でも浮きながら活動をするのだが、ワイヤーで吊ってる感がものすごいのもいただけない。もう少し浮いている感じが出せないものか、と思った。ちなみに、宇宙服のなかは催した場合困るので、おむつ着用が必須らしい。

 死体が何体か出るのだが、真空状態に宇宙服なしに放り出された人間はあれほどきれいに死ねるのだろうか。ヘルメットに直撃した飛行士のヘルメットのなかの状態も出てくるのだが、やはりきれいだった。あれは知識がないからわからない。

 とにかく、「エイリアン」へのオマージュなのかもしれないが、ライアンの半裸状態が気になって仕方がなかった。性的な意味ではなく、違和感として。ただ、こういう指摘は「アラビアのロレンスは全員英語をしゃべっていておかしい」という類いの批判と同じで粋ではないということを分かっていてやっているのだと思ってほしい。

 この映画は一応ライアンの人生という伏線があるのだが、基本的には宇宙空間を描くというのが中心になっているので、こういう違和感はどうにかしてほしかった。つまり、一〇年で良いから未来の話にしてくれると、案外「そういうもんか」で済んでしまったのだ。「リアリティがうんたら」とか言い出すからややこしいことになるのである。

 ライアンの人生が伏線としてあるとすれば、「ゼロ・グラビティ」という邦題もおかしい。原題は「グラビティ」である。重力という意味だ。ライアンは人生が上手くいっておらず、半ばやけくそになって宇宙空間に来た、という設定になっている。困難から脱出し地球の重力を取り戻すという意味、自分が地球での存在意義を問い直し、地球に対して「重力(引かれる部分)」を取り戻すという意味、二つの意味がかかっているので、やはり「グラビティ」がタイトルとしてはふさわしい。

 

 ただ、映像は圧倒的だったので、確かに映画館で見たら、ごまかされてなにも違和感を感じなかったかもしれないなと思った。

 そう、フジテレビがえぐいタイミングでCMを入れるものだから、冷めてこうなったんだと他人のせいにしておこう。だって、山場の手前で必ずCM入れるんだもん。イライラした。ただ、最近の映画の主流の編集タイミングになっていて、CMのタイミングが難しいのはわかるけどね。短いシーンを次々に入れるやつね。切れ目がないんだよね。

 

 

 

 

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