まさりんです。アマゾンのCMはずるいな。あの赤ちゃんと犬のヤツね。
- 1,人生で大切なことは、家とか学校の外で教わった。
- 2,父親のいないトトは人生を彼から教わった。
- 3,アルフレードから教わったこと。
- 4,アルフレードの存在。
- 5,映画館がどんどん娯楽の殿堂になっていく。
- 6,基本情報
- 7,彼女に恋愛について語ってほしくない理由。
1,人生で大切なことは、家とか学校の外で教わった。
みなさんは生き方をどのように教わっただろうか。私の場合、それは家や学校以外の場所だった気がする。だから、最近の若者がとにかく所属組織のなかに追い込まれているのは不憫でならない。
異論があるだろうけど、我々の世代、四〇代前半辺りの世代は、テレビの影響が大きくて、ドリフやダウンタウン、トレンディドラマを見る。音楽だと、布袋寅泰関連(雑なくくり方)、ブルーハーツ、ユニコーンなどが売れていた。全体的に退廃的な文化の影響が強かったと思う。今の方がすさんでいるようで、あのころの文化のすさみ方ったらなかった。そんな退廃的な空気も今よりはましで、若い人が多い日本社会はすべて吸収して、笑っていられる空気があったが。
ただ、街に買い物にいくときに少年だけで行動すると、ヒリヒリするような緊張感を味わう。十人以上の他校の上級生に囲まれることもしばしば。「おい! いまガンつけただろ」の、舞踏会への招待状も日常茶飯事だった。字が違うね。「武闘会」か。
学校でもなく、親でもなく、自分たちの文化を信じられた時代だった。前時代よりも確実に技術が発展し、前時代よりも音楽も映像も、格段に飛躍した。ちょうどアナログとデジタルの境目に我々はいた。若者の数も多くて、団塊の世代もまだ若く、われわれの主張が大きな勢力を作ることができた。もっとも、我々は主張をしない世代であったが。
「SEALDs」の連中はだから偉いと思った。我々は中指を立てて、斜に構え、ハナをほじったまま何も言わず、にやにやしながらガムを噛んでるような、いやなヤツらだった。それに特に思春期になると、親や兄弟がくだらない存在に見えた。文化の影響なのだろうか。本当にくだらなかったのだろうか。
FUNKY MONKEY BABYSじゃないけど、「親に感謝」「地域に感謝」「友にリスペクト」「学校の先生の言うこと聞いとけ」みたいなリリックばっかり聞いてると、やっぱり若者はすべてにリスペクトしちゃうんだろうね。
2,父親のいないトトは人生を彼から教わった。
イタリアの少年、トトは人生のすべてを、映画と映写技師であるアルフレードから教わった。
第二次世界大戦時、アルフレードとトトはイタリアシチリア島の田舎に住んでいた。アルフレードの映画館は村唯一の娯楽施設だった。教会との併用施設でもある。新作の洋画が夜になると、小さな映画館は超満員になる。ただ、洋画は必ず、厳格な司祭さんの検閲に遭い、キスシーンなど性的な場面はカットになってしまう。
トトの父親は、イタリアに徴兵されて、ロシアに行っている。母親と妹と三人暮らしだ。後に父親は戦死していることがわかる。映画館はフィルムから出た火で燃えてしまう。と同時に火でアルフレードは視力を失う。トトは映画技師になることを望んでいたのだが、アルフレードのいる映写室に入り浸るようにって、映写機の扱い方を憶えてしまった。まさに「門前の小僧習わぬ経を読む」である。
映画館はかつて、くじ引きを当てた男が新オーナーとなり、「ニューシネマパラダイス」として生まれ変わる。父親代わりでもないが、母しかいない家計を支えるためにトトは働くようになる。もちろん映画技師になりたかったのだ。
やがて、青年期になったトト。エレナと出会う。エレナは銀行の重役の娘である。トトは気のないエレナを粘り強くくどき続ける。そのかいあって、二人はつきあい始める。
しかし、エレナの父親とトトの徴兵によって、二人は割かれてしまう。
3,アルフレードから教わったこと。
トトはアルフレードが語る、映画の名優の台詞を聞きながら育つ。そして、お金を稼ぐ術もアルフレードから教わる。
それにトトは故郷を後にし、三〇年間帰らない。三〇年後に帰ったのはアルフレードの言葉が関わっている。「オレのようになるな。もうここには帰ってくるな。お前のことは噂で聞きたい」と言うのである。要するに、都会で活躍してこいという意味である。
田舎出身者は、一度くらいこの選択に迫られることがある。特に大学が都市部にあるという人間はなおさらだ。大学のある都市部に残り続けるか、田舎に帰るのか。私の出身地はなぜかみな帰ってしまう。千葉県は袋小路の県民性であるとよく言われる。ここに来た人は滞留してしまう。それだけ(上総地区は)季候も良く、食べ物もおいしく、人間的には好き嫌いがあろうが、住みやすい独特の文化を持っているのかもしれない。
トトはアルフレードの言葉を守り、都市で活躍をする。ただ、本当に好きな人、そしてトト自身を愛してくれる女性というものには出会えないようだった。要するに、エレナ以上に好きな人に出会えなかったのだ。人生としては成功なのだが。
4,アルフレードの存在。
トトにとって、アルフレードは父親なのだ。アルフレードから人生を教わり、アルフレードの言葉を守った。父の話から人生を教わり、父との約束は守るのである。それも何があっても守った。実母が帰らない息子にやきもきするくらい。その二人の関係性が良かった。
なんとなく、故郷である千葉県南部の様子を描いている感じがした。このアルフレードの「絶対帰ってくるな」と言うシーンが一番泣きそうになった。
5,映画館がどんどん娯楽の殿堂になっていく。
それに、街の人々、映画館の時代による変化が面白い。映画館は、金持ちシートと、庶民シートに分かれている。大戦のときに周囲に馬鹿にされながらドイツに行って、一旗揚げて帰り、庶民シートから金持ちシートに写る人。ずっと寝ている人。
映画館も火事を経て、新しくなるのだが、唯一の娯楽上であり、司祭さんの検閲もなくなり、セクシーなシーンも出るようになる。その影響か、徐々に悪所になっていく。映画を立ち見しながら、いかがわしい行為をするカップル、映画をみながらいかがわしいことをしようとして怒られる青少年。映画館のスクリーンと逆側にいかがわしい垂れ幕がかかり、売春をする場所もできる。時代とともに変化するところが楽しい。
この映画実はディレクターズカットがある。実は、というほどめずらしい話でもなく、みな知っている話なのかも知れない。ディレクターズカットではエレナとトトの再会が描かれている。このシーンは個人的には不要だと思う。
会えないで、最後のあのシーンに行った方が良いと思うのだ。
6,基本情報
監督・脚本:ジョゼッペ・トルナーレ(最後に映写技師として出演)
制作:フランコ・クリスタルディ
音楽:エンニオ・モリコーネ
配役
サルヴァトーレ・ディ・ヴィータ(トト・少年期):サルヴァトーレ・カシオ
サルヴァトーレ・ディ・ヴィータ(トト・青年期):マルコ・レオナルディ
サルヴァトーレ・ディ・ヴィータ(トト・中年期):ジャック・ペラン
エレナ(青年期):アニェーゼ・ナーノ
エレナ(中年期):ブリジット・フォッセー(ディレクターズ・カットのみ。この女優さん、幼少期に『禁じられた遊び』に出演)
マリア(中年期):ネラ・アッティーリ
マリア(壮年期):プペラ・マッジオ
司祭:レオポルド・トリエステ
広場の持ち主:ニコラ・ディピント
ニュー・シネマ・パラダイス オリジナル・サウンドトラック【完全盤】
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7,彼女に恋愛について語ってほしくない理由。
※言及させていただきました。
それにしても、トトとエレナくらいのカップルじゃなくちゃ、やっぱりこういうことは言わない方が良いような気がする。それとも、デヴィッド・ボウイの「heroes」じゃないけど、ドイツに行くとロマンチックになるのかな。ロマンチック街道もあるし。
Queen David Bowie, Ian Hunter, Mick Ronson - Heroes (Freddie Mercury Tribute Concert)
※ミック・ロンソンが弾いてるぜ。
結局、「あたしはかれしなんか大切にしないから、日本人より独逸人のほうが、あたしのことを大切にするからそっちのほうがいい」としか読めなかったりする。
そんな不毛なことを書くくらいなら、どれくらい独逸人がロマンチックで、自分のことを大切にしてくれるのかを描写して書けば良いと思うのだが。他のブログでやってるのかな。だいたいつきあってから優しくする男って、他の女にも優しいけどね。
あと、ちなみに、独逸は世界第三位の離婚率。日本より多いよ。
なぜこうなるかといえば、この記事の書き方はよく八〇年代・九〇年代の週刊誌、ホットドッグプレスとか、(今もか)SPA!などがやり口で、要するに童貞から金を奪う行為である。(なぜか)水着の女の子に「こういう男はいや」ということを語らせるのである。童貞はそれが放っておいてよいのか判断できないので、全部直そうとする。ファッションとかね。で、金が動くわけである。
ちなみに今だと、「Tarzan」がこういうやり方をする。ただ、女の子ではなく、運動理論をのせながら、かっこいいモデルがかっこいい服を着るのである。ただ、それはモデルがかっこいいのであって、自分が着たらかっこよくなるのか判断できない連中が、高い服を買ってしまうのである。私も買いたいけれど、金がないのである。
この恋愛における、昔の週刊誌のやり口の前提には「男はセックスや恋愛に憧れている」という気分がある。この憧れが男を動かすのである。だが、こういうところにコメントをする人々は必ずしも、その憧れが強い連中ではない。
だから、中指を立てられるのである。書いた本人が一番驚いているかもしれないね。それで「こじれている男って大変だな」とか曲解するるか、「シメシメ」か。二〇代の男性の半分が女性との交際経験がない時代だからね。しかし、あの統計、どこで取ったのか。
さっきも書いたけど、恋愛体験を書きつつ、読みたがる人に読んでもらうしかないなあ。