今日の十分日記

今日の十分日記

原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

ショーシャンクの空に(一九九四)感想

スポンサーリンク

まさりんです。

 

最後の台詞

「いいかい、希望は大切だ。たぶん何よりも。悪いことは続かない」

 台詞は「ショーシャンクの空に」の劇中の台詞である。

 希望というのはなんなんだろうか。それは「昨日よりも明日のほうがよくなるという気持ち」だと言ったのは村上龍だったか。いやそんな大げさなものじゃないだろう。「何かを信じられる」ということでいいんじゃないか。(あまり好きな言葉じゃないが)「夢を信じられる」、「愛を信じられる」、「自分の技術を信じられる」、「友を信じられる」、「恋人を信じられる」、「家族を信じられる」、「面白いアニメが存在すると信じられる」、「映画を信じられる」、「小説を信じられる」、「先生を信じられる」、「同僚を信じられる」、「会社を信じられる」、「今やっている、皆に馬鹿にされるような地道な作業が明日につながると信じられる」。わりとなんでもいいじゃないかと思う。

 結局、何かを信じるという行為は、自分への確信へとつながっている。そういうすばらしいと思うものを持っている自分がすばらしい、ということだ。なんでもいい。もちろん、「子どもがかわいい」で十分だ。

 もしも持っていないのなら、自分の住んでいる地域をぶらりと散歩すれば良い。どこでもなにかしらすばらしいものが発見できるはずだ。そうすれば、そのすばらしさを信じてみれば良い。

 

 

ショーシャンクの空に」は奇跡の映画

 この映画は非常に指示が高い映画なのだが、専門家・批評家にいわせると、なぜ評価が高いのか分からないのだそうだ。各国の映画ファンに強く支持される作品だ。なぜか投票で一位になるらしい。wikipedia等で見ると、「批評家の高い評価」という割に、アカデミー賞ではノミネートのみ。受賞にはいたっていない。

 作品の原作はスティーブンキング。ホラーの王様だ。見た人は分かると思うけれども、本作品はホラーではない。ゾンビは出ない。怖い家政婦もいない。だから、誰も見向きもしなかったらしい。監督はこの作品「刑務所のリタ・ヘイワーズ」の映像化権利を一ドルで購入。これがやがて名作になるのである。世の中、やってみなければわからない。

 それではみなさんや私がどこに感動するのか考えたい。

アンディは何をしたのか。

 アンディは若くして銀行の副頭取になった男だ。その男が夜、車のなかでリボルバーに弾丸を装填する場面から物語は始まる。一方で妻は、カントリークラブのゴルフ講師と舌と身体を絡み合わせていた。

 妻と不逞の輩は死体となって発見される。その科はアンディに課される。「終身刑二回分」。なんじゃそれ。

 刑務所はショーシャンク。よく聞く話だが、囚人になると社会で身につけた地位や名誉をすべてはぎ取られる。その瞬間は肛門のなかまで身体検査をされたときに起こるそうだ。刑務所じゃなくて拘置所だったか。とにかく、そんなすべてをはぎ取られた人間がアンディの他にも何人もいて、彼らは先輩の囚人の洗礼を受ける。その夜には、一人がホームシックにかかり泣きわめき、看守に事故扱いで暴行を受け殺される。

 アンディは入った当初の二年間は、孤独に過ごしていた。その間に身体を狙われる。二年後に、レッドやその一派と仲良くなる。レッドはムショ内の調達屋である。あの手この手を使って、外界から物資を調達するのである。

 

 アンディは自分の技術を駆使して、看守や刑務所長に取り入っていく。彼は銀行マンとして、会計や税務に詳しい。遺産相続で節税対策を看守に教え、所長の裏金作りまでするのである。

 そして権限を利用して、所内の図書館の整備などを行う。

 

 町山智弘はこの映画を「刑務所を人生に見立てて、つまらない人生でも、突破口を探し見方をかえれば楽しくなるよ」ということをいいたい作品だと言っている。楽しいのならば、なぜ最後に……。みんな知ってるか。どうして最後に脱獄をする必要があったのか。

 それに「脱獄がメインの映画」ともいえないのである。脱獄は最後に付け足した要素であって、メインではない。脱獄メインにするなら、何度も失敗したり、ずっと試行錯誤したり、囚人仲間みんなで脱出する話にするだろう。

 

 そう、この話のメインの一つは囚人仲間とのふれ合いだろう。レッド始め、何人かの仲間ができるのであるが、面白いのは、囚人だからか、お互いが一定の距離を取る。その絶妙な距離感が、心地良いのだと思う。

 「お前は何をしたんだ」というのは囚人同士の定番会話であるが、全員が「オレは嵌められた」というのである。自分は罪を犯したとはいわない。だから、新入りが来て、同じ台詞を言うたびに苦笑するのである。それ以上はみな相手の情報に踏み込まない。

 事情が事情なので、あんまり相手の事情に踏み込まないのが、良いのである。きっと、人間関係に疲れている現代人に心地よさを与えるのだろう。若い人といえども、みんな人間関係に疲れてるからね。

 

 そんな微妙な距離の人間関係のなかでも、レッドとアンディという非常に年の離れた二人は親友になる。お伽噺のようで、これも感情移入しやすいポイントである。

 

 個人的にではあるが、感情移入するのは、ブルックスの話である。何十年も図書係として暮らしていたブルックス。ある日、釈放に向けた仮釈放の手続きが行われることになった。しかし、数十年という長い月日を刑務所で過ごしていた老人のブルックス。外の生活になじめるのか不安なのだ。だから、レッドたち囚人仲間を人質に取り、図書室に立てこもろうとする。

 彼の不安は仮釈放で現実になる。スーパーのレジうちをするのであるが、どうにもなじめない。とうとう、「brooks was here」とロープをくくる気の梁に書いて、首を吊る。

 どんなに不本意でも、何十年もその生活を送っていれば、それが人生のすべてになる。中核になってしまう。池波正太郎流にいえば、「習いは性になる」ということだろう。習慣は性格になるのである。中年以降の人間でなくても、二〇歳になれば、このエピソードはずしりとくる。

 

 

最後に残った謎

 最後に最大の謎を残して物語は終わる。それは「アンディは本当に殺していなかったのか」である。一応、最後の方でえん罪ではないか、という流れで終わる。が、実際に再審が行われたわけでなし。物語的には、どちらでもいいのである。壁に「ANDY」と書いているときに、それを思いつくのであるが、それは「リタ・ヘイワーズ」のポスターをレッドから入手するとき、つまりかなり昔のことだ。それから、アンディは作戦を遂行していったのであるから、えん罪かどうかはどうでもいいのである。

 まるで踏み絵のようである。見ている人間の恋人や配偶者への考え方、思想が反映するのだろう。

 私はえん罪だと思う。

 不貞行為をしていた二人に入った銃弾は八発。アンディの拳銃には六発しか入らない。そこに二発装填して再度撃ったことが、冒頭の裁判でアンディの凶悪性を立証する証拠となった。しかし、素直に考えれば、それは共犯者の存在を示唆する、ととるべきだ。例えば、Aが男に四発、女に二発、Bが女に二発撃ったと取るのが自然だ。犯人は複数で押し入ったのだと考える。アンディではない。

 アンディは結局妻を許したのだろう。私ならそう取る。

 

 ただ、全く逆ともとれる。

 アンディは所長や看守にかわいがられて、また熱心に議会に要請の手紙を書くことで、図書室を充実させる。予算を勝ち取り、古本やレコードを大量に購入する。そのレコードの中に、「フィガロの結婚」のレコードが入っていた。

 アンディは何を思ったか、トイレに行った看守をトイレに閉じ込め、図書室のドアを閉め切り、フィガロの結婚を大音量で聞き始める。アンディは事務椅子の背もたれに深く掛け、満足げな顔をする。看守のボス格が「ドアを開けろ」とノックしていうのだが、アンディはさらに音量を上げ、館内放送のマイクに「フィガロの結婚」を流す。

 (このシーンは原作にはなく、監督が足したシーンだそうだ)

 冷静に考えると、このシーンは意味が分からない。それこそ、刑務所内で人生を謳歌するシーンの挿入は何を意味するのか。人生を謳歌できているなら、何があっても刑務所にいればいいのである。レッドにレコードを掛けた理由を尋ねられ、「音楽と希望は刑務所が奪えないものだ」と答える。希望がある人間はやけばちにはならない。「音楽はつねに頭の中にある」ともいう。ならば、かける必要がない。

 このシーンは、「アンディが刹那的な人間という側面をもつ」ということを示すのではないか。つまり、アンディは刹那的に殺人を犯した、ととっても矛盾する人物ではない。

 彼は鉱物採集が趣味である。これは重要な意味を持つのだが、爺むさい趣味でもある。総合すると、性格がちぐはぐなのである。

 だから、どちらをとっても間違いではない。あなたはどちらだと思いますか。

 

基本情報

アンドリュー・デュフレーン(アンディ):ティム・ロビンス

エリス・ボイド・レディング(レッド): モーガン・フリーマン

ノートン所長:ボブ・ガントン

ヘイウッド:ウィリアム・サドラー

バイロン・ハドリー主任刑務官:クランシー・ブラウン

トミー・ウィリアムズ:ギル・ベローズ

ボッグズ・ダイアモンド:マーク・ロルストン

ブルックス・ヘイトレン:ジェームズ・ホイットモア

検察官:ジェフリー・デマン

トラウト:ポール・マクレー

マート:ジュード・チコレッラ

スタッフ

監督:フランク・ダラボン(『グリーンマイル』、『マジェスティック』、『ミスト』、『ウォーキング・デッド』)

脚本:フランク・ダラボン(『エルム街の悪夢3 惨劇の館』、『ザ・フライ2二世誕生』、『フランケンシュタイン』、『プライベートライアン』、『GODZILLA ゴジラ』)

音楽:トーマス・ニューマン

みなさん、希望を捨てずに。

 最後に送ります。

 ベストに好きな映画だから、数日かけてちょっとずつ書いたよ。分量はそうでもないけど。

 

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ