池波正太郎をめざして

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明日は明日の風が吹く

今の心境にあわせてブログ名を変更しました。どうぞよろしく。肩の力をさらに抜いてやります。

マナーはもう、死んでいる。

 

 

北斗の拳 1巻

 「いただきまーす」

 ファミリーレストランで五年ぶりに会った友人と食事。

 思い思いに注文したメニューが次々に厨房から運ばれてくる。私は懐かしいメニューを発見して飛びついたジャンバラヤが目の前に来た。楽しみにして、スプーンを握った。

 正面の席の友人は、目玉焼きがのったハンバーグのセットを頼んだ。スープとライスとサラダのセット。運ばれてきたものを次々と平らげていく。サラダをフォークで食べる。左手はそっと器に添えられていた。持つわけではない。スープもスプーンで上手にすくい食べる。左手は皿の縁にそっと添えられていた。皿の縁が汚れるのを防いでいるのか。

 そして出てきたハンバーグを食べる。熱々の鉄板に乗っている。付け合わせはポテトだ。友人は左手にフォーク、右手にナイフを持ち、一口大に次々と切っていく。あまり慣れていないのか、フォークとナイフがこすれて、ギコギコなっていた。切り終わったあとに、ナイフを置いて、右手にフォークを持ち、左手はそっと鉄板に添えられていた。

 私は絶句してしまった。一拍おいて「おいおい、どうした」と正面の友人に言った。他にも三人の友人がいたが、私のように驚いた表情で私の正面の彼を見ていた。

 「え、だって、左手を添えるのがマナーだから」

 顔を真っ赤にして、額には汗をびっちり浮かべ、プルプル震えながら、フォークで切ったハンバーグを食べていた。熱いのである。

 

 どうもまさりんです。

 以下の記事を読んだ。

 

「左手を添えずに食事をする人とは一緒に食べたくない」/デリケートな食事マナー問題 - さようなら、憂鬱な木曜日

あれ、間違ってるかな。左手を添えるっていうのは、手のひらを受け皿にするのかな。それだと、確かマナーに反するんだよね。違うか。添えるってことね。

2016/07/18 22:20

 

 恥を忍んで書くと、はじめ何を言っているのか分からなかった。「茶碗を持ちなさい」と言われて育った。「肘をつくな」とも親に言われた。しかし、「左手を添える」という表現では注意されなかった。読み終わったいまでも「左手を添える」というのがどういう状態か想像がつかない。何に添えるのか。皿に? 茶碗に? 右手に? お茶碗を持って食べるのは当然だ。魚を食べるときにはどうするの? 魚の皿が動いてしまうのを押さえるということはあっても、「添える」ことはない気がする。これは本当に表現として正しい表現なのだろうか。たとえば大皿で野菜炒めが出てきた場合、大皿に手を添えるの? 大皿を持つの? ただ、調べてみると一般的には左手を添えるというのはマナーで存在するらしい。読んでみても、何を言っているのかいまいちピンとこなかったが。

 左手を添えない状態とは、「あしたのジョー」の力石徹のノーガード戦法のように、だらりと左手を落としている状態らしい。そんな人間は見たことがない。だいたい、膝の上、正確には腿の上に置いておくだろう。 

あしたのジョー ソングファイル ( サウンド・トラック ) TKCA-72506-K

 

 左手を受け皿にして、落とさないように食べるという行為がある。これはマナー違反らしい。別途皿を持って食べなければならない。

 自分がいったいどうやってご飯を食べているのか、分からなくなった。

 冒頭のファミレスのシーンは、この記事を読んでいて思い浮かんだシーンだ。一体洋食の場合はどうするのだろう。

 

 読んでいて思い出したシーンは、「たんぽぽ」という伊丹十三の映画だ。

タンポポ<Blu-ray>

 売れないラーメン屋を建て直すという映画だと思う。「思う」というのははっきり憶えていないからだ。いつもと違って、記憶だけで書いている。

 劇中、洋食のマナー講座のシーンがある。それがそういう流れで登場するのかは憶えていない。先生が「絶対にパスタはすすっちゃいけません」と教える。隣の席に画面が移ると、白人がズルズルすすってパスタを食べている。また先生が「ゲップをしちゃいけません」と話すと、隣で白人が豪快にゲップをする。それに生徒が感化されるというシーンだ。

 西洋人だって家でご飯を食べたり、気の置けない連中と食事をしているときにはパスタをすするし、ゲップだってするだろう。昔はフジテレビでしょっちゅう伊丹十三の作品をやっていた。土曜日の九時だ。このシーンを見て、子どもだった私はゲラゲラ笑ってしまった。実際そんなんものだろうと思ったのだ。

 その当時、子どもで田舎者なので機会なんてなかったのだが、フランス料理を食べるのが本当に厭だった。理由はマナーが小うるさいからだ。校則もそうだが、無意味なルールは好きになれない。当たり前の感情だ。マナー、マナーといって、ありがたがって無意味なものを信仰する人間はあまり好きになれない。その意識を担保してくれたのがこのシーンである。

 

 ちなみに調べると、洋食では左手をテーブルの上に出す方がマナー違反だ。

 では問う。

 普通の和食のメニュー。ご飯と味噌汁と、そしてメインがハンバーグ、それに冷や奴も付けよう。このようなときには、左手はどうするのだろう。任意なのだろうか。

 文化遺産に登録された「和食」とは昭和五十年代、一九七〇年代半ばに並んでいた家庭の食事らしい。その頃の食事のバランスがもっとも理想的なのだそうだ。つまり、こういうメニューは当然想定される。

 

 想像する。

 どうして、和食において左手で食器を持つようになったのか。

 昔の和食は御膳で出てきた。昔とは江戸時代以前だ。

 御膳の前で、正座、もしくはあぐらをかいて食事をした。つまり椅子とテーブル、和室で卓袱台に並べるというより、かなり低い位置に食べ物を置いて食べていた。まあ、これは想像でしかないのだが、時代劇でも大きなテーブルに器を置いて食べているシーンというのはあまりないように感じる。農家でも、囲炉裏があって、囲炉裏の縁などに器を置いて食べるような気がする。調べてないけれども。こんなときに、器を持たずに身を屈めて食べるのは、犬猫が食べているようで、確かに卑しい感じがする。それに服や床、畳にこぼす。だから器を持った方が合理的だ。

 

 鬼平犯科帳でも、蕎麦屋や飲み屋などはさすがに卓があるが、五鉄でシャモ鍋を食べるとき、鍋を卓には載せていない。役宅で食べるときにも、卓の上では食べていないと思う。

鬼平が「うまい」と言った江戸の味 (PHP文庫)

 明治時代以降、大きなテーブルに食事を置く、西洋型の食事スタイルが混淆したのではないか。顔と器の距離が縮まった分、わざわざ器を持つのが鬱陶しくなった。だが、マナーの「器を持つ」という行為が形骸化し(形だけが残ったもの)、「器に左手を添える」というようになったのではないか。つまり、この「左手を添える」というマナーは仰々しい無意味な行為である。「持つ」のではなく、「添える」のであれば無意味だ。それにしてもなんだろう、この添えるという表現。なぜか、ぐっと押さえるのではなく、そっと添えるという感じがする。女性がお酌をするときに、そっと左手を添える。それが女性らしさを表現するのであるが、行為としては無意味だ。お酒を注ぐという行為に何ら寄与しない。そんな行為が脳裡に浮かぶのである。

 

 もともとマナーには意味があったのだと思う。だが、時代とともに反転するものもある。人と話すときは目を見て話せ、と教わった人が多いだろう。これは室町時代にはまったく逆であった。特に貴人と話すときに目を見て話すのはマナー違反らしい。なぜなら、目を見るというのは「ガンをつける」と一緒で、威嚇する行為だからだ。

 真田丸で皆他の所に文句をつけるのだが、幸村がガンガン秀吉の目を見て話すところにはあまり違和感を抱かないようだ。ワインが存在したかとかどうでも良いのであるが。もちろん、皆無ではないが。

 

 この「目を見てはならない」という話を初めて聞いて思い出したのは、ジャッキー・チェンの「プロジェクトA」だ。ダメダメ海上警備隊の隊長がジャッキーだ。海賊をどうしても取り締まれない。それをユン・ピョウ扮する、陸上警備隊の隊長が鍛え直す。やってきた隊長のジャッキーにユン・ピョウが敬礼を教える。言って良いのは、「イエッサー」と「ノー・サー」だけである。姿勢をムチで引っぱたいて教える。その間、ジャッキーは決してユン・ピョウの目を見なかった。これが長年謎だった。子どものころの自分の常識では目を見ない方が撲られる行為だったからだ。

 

プロジェクトA [Blu-ray]

 話がそれた。

 時代が移り変わるとともに、マナーも移り変わる。そして、食事に限れば、和食と洋食だけでなく、中華など様々な国の料理が入り交じる現代の日本。食事のマナーをどうするのかというのは不毛な議論なのではないだろうか。

 だいたい、中国式を採用すれば、食べ終わったゴミはどんどんテーブルの下に投げ捨てる。たしかアメリカでもそうだ。マイケル・ジャクソンケンタッキーフライドチキンを日本で食べたとき、食べ終わったゴミをテーブルの下に捨てたそうだ。それが常識だ。

 好きにおいしく食べればいいじゃないか、と思うのである。

 よく、クチャラーと呼んで、クチャクチャ音をさせて食べることを揶揄するが、誰だって音はしているのである。逆にクチャクチャなっていないのは、よく噛んでいない証拠かもしれない。開かないと、動物の口はきちんと噛めない構造になっている。口を閉じたまま草を食べる牛を私は見たことがない。

 食事をどのような様式で行うのかによってマナーは変化する。洋食で左手を出さないのは、裾を汚さないためだろう。テーブルで和食を食べるとき、その人間が和装であれば、必死になって手で裾を押さえながら食べる。たぶん、御膳で食べればそういうことはない。所作も綺麗になる。テーブル席で食事をする場合、和装だとはっきりいってぶざまだ。

 このような状態で相手のマナーを断じるというのは想像力の欠如していると断じて良い。無意味な行為を信仰する、カルト信者とまで言って良い。

 すいません。言い過ぎました。

 自分がマナーにうるさいのだと思ったら、「自分は外国人なのだ」と思えば良い。違う文化圏に来てしまったから相手の食べ方が気になるのだと。決して自分が正義だとは思ってはいけない。正義だと思って振りかざしたとき、間違っていると大恥をかくことがたまにあるからだ。

 

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