池波正太郎をめざして

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明日は明日の風が吹く

今の心境にあわせてブログ名を変更しました。どうぞよろしく。肩の力をさらに抜いてやります。

「第二十二回短編小説の集い」に参加します。タイトルは「葉書き」です。

 

 まさりんです。

 いつものごとく遅くなってしましましたが、第二十二回短編小説の集いに参加させていただきます。主催者様、お取り扱いお願いいたします。

novelcluster.hatenablog.jp

 

「葉書き」

 葉書きが一枚届いた。

 病院のシフトが終わり、久しぶりに翌日が休みになった。その日の夕方、息子の慎一とゆっくり夕飯を食べようと、レジ袋を両手に提げて自宅アパートに帰ってきた。アパートの鉄製の階段の下に郵便箱があった。両手のレジ袋を左手の肘と手に提げて、右手だけでアルミのボックスを開けた。いつも駅前のドラッグストアの割り引き葉書きくらいしかないのに、手書きの文面の葉書きが目に入り、驚いてしまった。

 葉書きには「あて所に尋ねあたりません」という内容の朱色のスタンプが押してあった。確かに字が不明瞭で郵便番号も書いてなかった。中身を確認するより前に左手が悲鳴をあげそうだったので、他の郵便物と一緒くたに口にくわえ、レジ袋を両手に持ち直して、鉄製の階段を登った。

 慎一はまだ小学校から帰っていなかった。学童にまだいるのだろうか。もう中学年なので、遅くならなければ、自分で帰ってくることになっていた。

 夕飯の材料を手早く冷蔵庫にしまって、手洗いとうがいをした。そして例の手書きの葉書きを見た。

 宛先を見ると、「漂流郵便局 御中」となっていた。かなり癖のある字で書いてある。判読するのにひと苦労だった。送り主の名は「風合瀬由美」と私の名前になっていて住所も私のものだった。字を見て直感した。本当の送り主は高校時代の元カレだ。

 卓袱台に頬杖をついて、懐かしい字を眺めていた。不意に高い音が耳に入った。蝉の声だった。故郷の蝉と違って、一匹だけのひ弱な蝉の声。頭のなかに故郷の――こことは違う――にごりのない純粋な青空が浮かび、入道雲が頭をもたげた。そこらじゅうの木立ちから鳴き始める蝉の声。何十も何百も何千も、周囲の音をかき消す蝉の声。一枚の葉書きと一匹の蝉の声が今日が夏の日だと私の身体に自覚させた。過去の記憶と今をつなげた。そう、今日もあのころも違うけれど同じ夏だ。いつのまにか自分で回したくせに回した覚えのない扇風機の強風に葉書きがはためいていた。

 

 「漂流郵便局は誰にも言えない想いを届けてもよい場所なんだよ。ここに言葉が漂い続けても誰にも届かない。なんてすばらしい。もうすぐ死んでしまう俺の言葉なんて重たくて誰も聞きたくないよね。

 タバコも吸ってないのに、俺は肺ガンになった。そして、この小さな島で療養してる。療養というより、死を待っているだけだ。みんな死ぬときは故郷が良いと思うのだろうか。俺はいやだ。生まれ故郷で暮らす自分には、人間関係がわずらわしい。母親は俺に同情して悲しそうな顔になるのを避けようとする。親より先に死んでしまう俺はそんな母親を見たくない。別にタバコの吸いすぎで肺がんになったわけでなく、酒の飲み過ぎで肝臓をやったわけでもない。最後くらい人間関係と切れて、静かに穏やかに死にたい。今際のきわにはきちんと連絡するし、交通費だって置いてあるだろ。島の火葬場にも連絡してあるよ。

 でも不思議なものだ。由美と故郷や親を天秤にかけて、由美を捨てたのに、今はその故郷や親がうっとうしくなってる。青森の海が厭なんだ。といって、今も瀬戸内の静かな海に囲まれてるんだけど。

 人間、矛盾した生き物らしい。

 由美ごめん。慎一も君のことも守り切れなかった。今になって深浦の海も何もかもがうっとおしくなったのはあのときのことを後悔してるからかもしれない。今さらこんなことを届くはずのない葉書きに書いても仕方のないことだけれど。二人が幸せになることを祈ってる。俺にはなにもできないけれど。

 今まで出会った全ての人々へ。ありがとう、そして、さようなら」

 日付は二ヶ月前の五月だった。この葉書きは二ヶ月間漂って、何かの手違いで私の所へ来たのだろうか。

 

 一晩眠れずに、散々迷ったあげく、私はその郵便局に行ってみようと思った。スマホを調べると、漂流郵便局は香川県の粟島にあった。本当にそんな郵便局が存在するとは思わなかった。慎一に「死んだ」と言っていて、実は生きていた父親が、今度こそ「死にそう」だから会いに行くと伝えると、困った顔をした。明らかに混乱している慎一のお尻を叩いて、せきたてるように家を出た。二人とも奇跡的に今日は休みだった。

 羽田――岡山空港のチケットを調べると、午前十時台の便に空きがあったので即座に押さえた。新幹線にすればよいのだが出費よりも時間を優先した。明日も仕事だ。

 羽田への道中、慎一はデジカメで写真を撮りまくった。「絵日記に使うんだ」とうれしそうに言った。出発直前に飛行機に乗ると告げるとものすごくテンションが上がった。「風立ちぬ」を映画館に見に行った影響もあった。この出費も痛手だが母子家庭だから経験できないことがあることをせめて子どものころには慎一に悟らせたくなかった。母親の意地というより自分勝手な見栄だということは自覚している。

 羽田への直通電車のなかでも飛行機のなかでも慎一は海外旅行へ行くOLのようなはしゃぎようだった。私はそんな慎一を引きつった笑顔で見ていた。内心腹が立って仕方がなかった。祐二にである。高校時代につきあってから、ずっと甘えられていた。始めはそれがかわいさだと思っていた。積極的に別れる理由もなかった。ズルズルと関係を続けた。大学の看護学科を出てすぐのころ、私は子どもを授かった。だが祐二はその事実を受け入れず、お腹のなかの慎一の存在も含む、関係の清算を迫った。私は受け入れなかった。私の実家も母子家庭であった。祐二の母親はそれを嫌った。私の母親もなぜか祐二の実家の味方についた。母親は祐二の実家の経済力が並みであることが気に入らなかった。

 私は慎一を庇い、逃げなければいけなくなった。大学の恩師にそれを相談した。深浦か青森へ行くように恩師に勧められたが、近い場所だと不幸に追いつかれそうな気がした。正直にそう恩師に告げると、ご自身のツテを使って、東京の大学病院の働き口を探してくれた。そして逃げるように故郷の海を捨てた。今でも恩師には感謝している。

 そんな祐二には養育費もあてにならない。なにより一切の関係を断ちたかった。だから、連絡を取らなかった。それだけでは足らず、今まで故郷で出会った人々とも極力連絡を取らなかった。それでも祐二は私と慎一の居場所を知っていた。実母と祐二の母親、二人に口汚くののしられたり、なだめられたりする場面が交互に頭に浮かんだ。飛行機のなかで絶叫したくなった。

 祐二からの葉書きで許せないことがあった。ひとつはこの期に及んで葉書きを私を差出人にして送ったことだ。住所を知っていたとしても、自分と親がしてきたことを思えば、決してできないはずだ。

 もうひとつは慎一の名前を葉書きのなかで使っていることだ。この慎一の名前は二人で遊びで考えていた子どもの名前だ。男なら慎一というのはすぐに決まった。女の子の名前で、必ずふざけるのだ。二人のなかで、子どもは男、というイメージがあったのかもしれない。隣にその慎一がいるのだから、不思議なものだ。

 飛行機の窓からしきりに外を眺める慎一の頭を撫でた。

 慎一という名前をつけることを見透かされている感じがして腹が立つ。

 結局まだ甘えても自分が許されるのだという感覚を持っている気がして、それが気持ち悪かった。直接会ってぶん殴ってやろう。もちろん死ぬ前に。自分が認知していない子どもに会わされるという現実、事実。その様子を見てやろうと思った。ささやかな復讐だ。こっちはもっと悲惨な患者を見ている。末期の肺がんくらいでひるまないぞ。

 

 フェリーで粟島へ向かう。大きな船だからか、瀬戸内海だからか、あまり揺れない。「ねえ、蟹いるかな」と慎一はフェリーの窓にはりついて見ている。快晴の空、青い海なのだけれど、故郷の海とは少し雰囲気が違う。慎一の後ろから、瀬戸内の海を眺めながら東京に出てきた日を思い出していた。故郷を通る五能線は海沿いを走っていた。身重な身体で車窓を眺めていた。何度も後悔した。周囲の人間の言うことを聞くべきだったのかと何度も考えた。しかし、堕胎をすれば恨みだけが自分のなかに残ると思った。結局どの決断をしても、人間関係が崩れ去るなら、せめて慎一を残そう。何度もその結論に至って、何度も考え直した。車窓に雪が吹き付けていた。内側に強く湾曲した海岸線に沿って電車が走っている。海岸線にも雪が積もっていた。海は時化ていた。

 粟島の療養施設はそこにしかないとフェリーの発着場で聞いた。小さな木造の療養所には医者が一人、看護師が数人しかいないそうだ。アスファルトの小道を上がりながら、平屋の小さな建物の脇を通る。まるで海辺のペンションみたいだ。椰子の木と蘇鉄が建物の正面に植えられていた。垣根も何もなくなかが覗けた。広めの部屋に三床の医療用ベッドがあって、ベッドの上におばあさんが身体を起こして座り、すぼめたような口を半開きにして、外を見ていた。おばあさんが見ている方に視線を移すと、そこには真っ青な夏の海が拡がっていた。おばあさんの横についている、もう少し年の若いおばあさんが、「こんにちは」と声をかけてきたので、こんにちはと挨拶を返した。慎一はそんなやりとりも気づかず、海の方ばかりを見ている。きっと遊びに行きたいのだろう。それにしてもどう見ても、病室はこれ以上ないくらいの小さな療養所に見えた。祐二はどこにいるのだろう。

 受付で事情を話すと、看護師が教えてくれた。

 「大木さんは、亡くなりました」

 もしかすると、という想いはあった。末期で死を自覚した人間からの葉書きだ。もしかすると間に合わないかもしれない。だからこそ、急いでやってきた。

 「大変だったんですよ。ご両親がやってきて大騒ぎして。どうしてもっと早く連絡をしなかったんだって。大木さんわがままでね。身体が不自由だから仕方ないけれども、見舞いもいなくて私たちのことをこき使うんですよ。手足のように」

 入院患者のなかにはそういう人もいた。事情を察しているからやってあげるのだが、いたたまれない気分になる。それはよく分かっていた。

 「漂流郵便局に葉書きを持っていけって言われて、その日のうちにやめろって言われて。死んだ後に出せって言われて。どうすりゃいいのって話ですよね。郵便番号を消したのを出せって。同じ島だから、大丈夫だと思うけど、つかないかもしれないですよ、って言ったら、じゃあ島の外から出せって言って。どうしようもないから、ご両親に預けました」

 甘えた気質はそのままらしい。おそらく、青森から適当に出したんだろう。それが漂って、なぜか私のところにやってきた。そりゃそうだ。差出人が私なのだから。それが真相らしい。

 

 瀬戸内の海は本当に穏やかで、青森とは同じ海だとは思えなかった。

 こういう海に囲まれて育ったら、私も祐二ももっと違った人生を歩んでいたのかもしれないと思った。

 慎一は波間で遊んでいた。私は大きな流木に腰を掛けていた。白いワンピースの裾が砂につくのがはじめは気になったが、そのうちどうでもよくなった。日傘をさして慎一のほうを見ていた。慎一は、海のなかをのぞき込んで、蟹や魚を見つけたと報告しに来た。どれくらいの大きさか聞くと、これくらいと親指と人差し指で示した。一〇㎝前後だろうか。

 私は喪失感を味わっていた。もちろん、祐二の死に対してだ。好きだという気持ちを再確認したのではない。むしろ、それは憎悪に変わっていた。なんというか、張り合いがなくなってしまった、というのが近いか。絶対にお前らになんか負けない。という想いの対象物が無くなってしまったのだ。

 お父さんが死んだと告げると、慎一は複雑な顔をしていた。やがて「あ、オレ、お父さんに会ったことが無かったんだ」と言い出した。どういうことかと聞くと、「どうしてオレ、お父さんが死んだのに悲しくないんだろうって、思ったんだ。ちょっとだけ胸が苦しくなったけど」と言った。そんなものか。それとも、感情が異常なのか。分からなかった。ただ、人間が何を思うのかというのに正解はない。特に子どもがどう感じるのかは自由なのだろう。

 青森を勢いで飛び出した自分を思い出した。少しだけ自分と似ているような気がした。

――了――(四九一七文字)←Word調べ。

 

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