今週のお題「映画の夏」
台風一過のまさりんです。
「映画の夏、ジブリとキンチョウの夏」ドドドン、ドン(ファイア・ワーク)。シャレではなく、昔フジテレビのゴールデン洋画劇場か何かで流れていたCMを思い出す。私の場合、一緒に出てくる女性は小柳ルミ子だった。調べてみると、それより以前には美空ひばりもやっていたそうだ。さすがに記憶にない。
「映画の夏」という文言を読んだら、このCMを思い出した。テレビ朝日の日曜劇場では寅さんをやるのが定番だった。TBSは毎週やる映画の番組というのはなかったと思う。そして、日テレはジブリだ。夏といえばジブリである。
中途半端
先日、「コクリコ坂から」を日テレで流していた。夏の風物詩である。
この映画を高評価するのは難しい。監督は宮崎駿の息子の宮崎吾朗なのだが、印象として突き抜けたものがないのである。ジブリ的なものの踏襲をやろうとして失敗してしまったようだ。
ジブリ的なもの
ここでは、宮崎駿に限定する。この話自体は宮崎駿の提案で映画化したものらしい。物語自体はとある意味ベタである。相手の風間俊が自分の出生についての秘密を告白した瞬間、あとの展開が読めた。しかし、それは他のジブリの作品も同様である。逆にそうすることで、説明する手間が省け、その分凝った映像表現に時間を割けるのだと思う。宮崎駿の場合、「ハウルの動く城」の後半みたいに、説明なしでは理解しにくい難解な展開で、映像に凝るから訳が分からなくなるのだが。
ちなみにカミさんと一緒に見ていたのだが、この映画の展開は昔の少女漫画の典型的な展開なのだそうだ。
ではその分映像表現に力を入られたのかといえば、疑問である。wikipediaで調べたが、主人公松崎海の住んでいる下宿は「コクリコ荘」というらしい。つまり、コクリコ荘の近くにある坂がコクリコ坂だと推定される。はっきり分からなかった。
このコクリコ荘は海の見える丘の上に立っている。風が吹いていて、主人公海が日課で上げる旗も常に強くはためくのであるが、周りの木々は一切揺れない。俊が自分の出生について気づくシーンがあって、それは海と二人で風の吹き込む部屋にいるときだが、やはり静かすぎる。うしろでやはり旗がはためいているのだが。
画家の広小路さん 部屋からは海がよく見えるのだが、その海の絵も使い回しか、と
思うほど、同じなのである。しかもほとんど動きがない。
そのくせ、人物の髪の揺れ方など、妙なジブリ的なテクニックは踏襲している。
細かいツッコミをたくさん入れたが、どうしてかといえば、この作品は映像で勝負するしかない作品だからだ。唸らせる映像がどこかにないと、面白いとは思えないのである。
理由はわかる。
なんせ、この作品の脚本は宮崎駿の手によるものなのである。そこから、父親の意図を読み取り、その意図をどう表現していくのかというのがこの作品の息子の作業である。それがとても困難で、不快な作業だったのかもしれない。作品の中途半端さはその気持ちの表れだったのだろう。
物語がシンプルであるからこそ、演出の妙が光る。そして映像の力が反映される。そこで失敗してしまったのが、この作品なのかもしれない。宮崎駿のを無視したいのか、凌駕したいのか、利用したいのか、それを考える間も無く終わってしまったのだろう。
映像、物語、音楽、アニメ映画も実写映画も構成するものはシンプルだ。もちろん、これに加えてテレビで見るのか、劇場で見るのか、今ならスマホで見るのか、機器の制約もあるが、基本的には前三つの要素が映画を決める。しかしながら、音楽で評価されても、「映画が面白い」ということにはならない。それは音楽の作り手の勝利である。物語と映像は違う。原作があったとしても、それを採用するかどうかは監督の判断だ。だから、この二つが面白くするのが基本だ。
昭和三十年代あたりだということで、「上を向いて歩こう」が流れていたが、あれもベタすぎていやだし、「上を向いて歩こう」自体が強すぎて、映像との調和性がない。
確か、NHKBSで、宮崎吾朗はCGアニメを作っていた。そこで多くの経験を積んで、面白いとものが作れるようになってほしい。
今回は多くの人が見たであろう物語であるから、あらすじ等の解説はなしにしたい。