池波正太郎をめざして

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明日は明日の風が吹く

今の心境にあわせてブログ名を変更しました。どうぞよろしく。肩の力をさらに抜いてやります。

「短編小説の集い」存続の危機!!

 

  まさりんです。
  今回は、2016年10月期の「短編小説の集い」参加作品の振り返りとともに、もしかすると年末で休止するかもしれないという宣言を出した、「短編小説の集い」自体に対して思うことを書いていこうと思う。

novelcluster.hatenablog.jp

  どちらから書こうか。
  とりあえず、個人的には衝撃が大きかったというか、「ついに来るべきときがきた」という感じの「短編小説の集い」の休止に関して、思いを書こうか。
  この文章を読んでくださっている方がどれくらいご存知かわからないが、存続の危機というのはこれで二回目である。一度、今後の運営をどうしようかという相談が、主催者様からなされた。ブログ上で、である。その記事のコメントに概ねこういうことを書いたと記憶している。「自分は短編小説の集いにとても感謝している。が、あまり辛いなら辞めてしまっても構わない。ただ、続けるのであれば、課題発表から締め切りまでの期間を延ばしたらいかがか」という内容のコメントだったと思う。かのブログではコメント欄が閉じられているので、今は確認はできない。
  ひと月に一作の小説を出し続けるというのはとても大変な作業だ。小説を書くというのが好きだという人間でないと続けられない。村上龍が言ったのだと思うが、誰でも一生で一作は小説が書ける、らしい。そこから続けて書けるかどうかは、なんといったらよいか、才能という言葉に集約させたくないのだが、「書けるということ」に加えて、「物好き」であるということ、そしてある種「書かなければならない、書かざるを得ない、という感覚」、「キチガイ」的な素養が必要(ブログはテレビじゃないからキチガイとかOKだよね)なのだと思う。
  小説を書くという行為は、お金を稼ぐという意味では、全くの徒労である。正反対と言ってもいい。はてなブログでは、「PV自慢」が流行っている。だが、「私は小説を書いて、これだけPVを稼ぎました」という人間を見たことがない。
  本当に書き続けようと思ったら、出てくる舞台を見に行かなければならない。それに数日を使ってプロットをどうするかを考え続け、書くときには、「今回はダメかもしれない」というプレッシャーと戦わなければならない。そして、普通にエッセイ風の記事を手を抜けば、日に五本くらい書けるところを(私は無理だけど)、数日かけて一作の小説にする。下手とか上手いとかを問わずに、それくらい労力をかけて皆書いているのだ。「書かなければならない、書かざるを得ない、という感覚」と「キチガイ」の要素がなければ、そりゃあ、「今回はパス」が始まるのである。それは責められない。だからこそ、書き続けている同志には本当に敬意を表する。
  先の「締め切りを延ばしたら」という提案は、参加するのに垣根を下げること、そして同志に考える時間を与えるため、という二重の意図があった。もちろん、締め切りを無くすのは論外だ。私が書かなくなってしまう。提案をした人間として、逆効果かどうかはわからないが、効果がなかったのは間違いがない。申し訳ないと思っている。

  一番最初に私が「短編小説の集い」に参加したとき、当たり前だが、本人は「普通に」書いたつもりだった。「普通に」とは、こういう書き方をすれば、面白いと感じてもらえるだろうという書き方だ。工夫をして、とか、話を練りまくって、とかではない。確か、締め切り当日にこの集いの存在を知り、その日のうちに書いたのだと思う。超がつくほど、楽しい作業だった。頭の中に浮かんでいる情景を再現していくという作業はたまらない快感だった。本当はその舞台になった海に、そのモデルとなった時に見に行きたいと思った。
  普通だと思って書いた作品に、「描写が良い」という評価をいただいた。それは望外の喜びであった。喜びとともに「そうか、俺の文章は描写が特徴なのか」ということを知った。それも嬉しかった。だから、私は決めた。これから参加作品の感想を全部書こう、そして絶対に褒めよう、と。本当にその頃に感想をいただいたみなさんには感謝している。とてもレベルが高い参加者が多かったのだと思う。私もそのようにありたいと思っていた。もちろん、私は力不足だったろう。

  逆に言えば、毎回参加していたのは自分なのであるから、それが参加者を遠ざけているのではないかという思いはかなり前から感じていた。感想にしたって、こういうことを知らなければ、「なんでてめえにそんなこと言われなきゃいけないんだよ」と思われても仕方がない。それにかなり実験的なことをやってしまって、それが鼻についたということもあるかもしれない。
  カクヨムを見ていても、ラノベ系が多い。書き出す前には、ラノベが一体どのようなものを指し示すのかがわからなかった。こんなエントリーがあった。

anond.hatelabo.jp

  が、私には彼らのような文章は書けそうもない。「書けそう感」はまるでない。
それが参加者を遠ざけていたのだとすれば、本当に申し訳ない。

  そして、そのカクヨムの存在が、「短編小説の集い」に影響を与えたのは否めない。

  まったく、ネットの儲けるやつの、儲けの構造っていつもそうだ。無名で儲ける気の無い人間が始めた試みを横槍入れて持って行くのである。まあ、世の中ネットに限らず往々にしてそのように台頭する人間が多いのだろうけれど、ネット上のその動きは嫌悪感がある。だから、「儲けるやつ許せねえ」とか言ってるやつって、本当に人がいい、と感じる。完全に「今日のマラソン一緒に走ろうぜ」現象、「昨日は試験勉強、何もしないですぐ寝ちった」現象が起こっているのである。
  フェイスブックの創始者、ザッカーバーグですら、ある程度はパクってた。パクリから発展させた形がフェイスブックなのだから、みんなそうなのであろう。ホリエモンにしたって、まるで新しいことなんてやっていない。九十年代後半の経済を、新聞レベルでいいから知っていれば、彼のやっていることが決して新しい何かではないことはわかっていただろう。当時、ポカンと口を開けて見ていたのを覚えている。「本当に東大生らしいよ。何もアメリカ追従ったって、嫌われることまでやらなくてもいいじゃない」と思っていた。ホリエモンが模していたと思われる、メディア王マードックの動きはその当時でさえ、物議を醸していたのである。

  はてなからカドカワに話が行ったのか、カドカワからはてなから話が行ったのか分からないけれども。この「短編小説の集い」ほかの小説を書く取り組みが参考になったのだろうと思う。

  とここまで書いて、数日放置した。
  その間に、何を書こうと思っていたか忘れてしまった。
  とにかく、短編小説の集いという取り組みに感謝しているということ、終わってしまうのであれば、それは残念であること、おかげで自分がどのように書きたいのかがはっきりわかった、ということが書きたかった。
  ここまで書いて皮肉だが、終わってしまうのであれば、今後はカクヨムで書くよりないのである。

  続きはまた後日。

 

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