今日の十分日記

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原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

鬼平犯科帳と成宮騒動

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  まさりんです。

  先日、鬼平犯科帳が終了した。

 

  妻と最終回を見ていた。「おじいちゃん、おばあちゃん、ばっかり・・・・・・」とため息を吐いていた。そりゃそうだ。何年やっている番組だと思っているんだ。

  相模の彦十をやっていた、江戸家猫八が亡くなって、こんどは小房の久米八をやっていた蟹江敬三が亡くなった。公式には「原作を使い切ったから終了」ということになっているが、この両俳優の死が、最終回を後押ししたのではないか、と個人的には思っている。彦十はその後、伊東四朗が受け継ぐが、やっぱり全然違う、というのがファンの思いだろう。伊東四朗は金満家にしか見えなかった。

  ちなみに、昔、鬼平役は今の中村吉右衛門のお父さんである、松本幸四郎がやっていた。初代だ。たぶんその時分だと思うが、池波正太郎とのとりきめで、原作を逸脱する本を作るなということになっていたそうだ。これを、踏襲する形で吉右衛門版も終了することになる。本当はとうに原作など使い切っていた。スペシャル版を二千年代から制作していくのだが、脚本作りに苦労したみたいだ。

  池波が造形した長谷川平蔵は、お父さんの松本幸四郎がモデルである。だから、ちょっとずんぐりむっくりした体型がイメージである。

  おそらくこの中村吉右衛門版が鬼平犯科帳の完成版になるはずである。時はバブル前後に制作されたので、潤沢な資金が投入されている。うっとりするような綺麗な景色が随所に挿入され、役者も実に豪華だ。これを越えるものはのちには現れまい。

  アニメで鬼平をやるというのも、仕方がないことだと思う。資金などが集まらないのだから。実写では向こうをはることはできないからだ。鬼平役がそもそもいない。ジャニーズのタレントにしたら、本当に暴動を起こそう。国会前で。

  ただ、すでに反発する人もいるけれども、やはりあのアニメの鬼平の体型はどうだろう。もうすでに先の池波正太郎との取り決めを逸脱するという宣言だ。ドラゴンボールのアニメでも、展開が原作を超えそうなときにつなぎのオリジナルストーリーを挿入することがあったが、どうにも原作とテイストが違うのである。子どもでもそれはわかった。さいとうたかをすら守っているであろう不文律を、どうして無視するのだろうか。

 

  さて、その鬼平の最終回の最後の方で、吉右衛門扮する長谷川平蔵は事件解決の報告を京極備前守にする。そこで長谷川は鬼平犯科帳のなかで最も有名なセリフを言う。

 

  「人間悪いことをしながら良いことをする」

 

  人間なんてものは紋切りに「良いやつ」「悪いやつ」に分けられるものじゃない。

  そんな池波正太郎のイズムが現れている言葉だ。

  いいことをしながら、女に惑溺する。酒を鯨飲する。

 

  成宮寛貴さんの覚醒剤使用疑惑が立った。成宮さんは母子家庭であり、その母親が中学生の時に亡くなる。その後弟さんを育て上げるために芸能界に入ったという話は聞いていた。その影で、悪いことををしていた。まあ、人間そんなものである。どちらか、正確には分からず、「ねるねるねるね」なんじゃないかという話もある。もちろん、使用していたとしたら罪は償わなければならないが。恨むこともない。

 

   それにしても驚いたのは、この騒動を各所がどう扱ったかである。ちょっと面白かった。

   とりわけ、テレビなどの大手メディアの扱いは、「追求」が基本姿勢である。ネットなどは「同情」が基本姿勢になっている意見も多々あった。メディアが「追求」の姿勢をとるのは当たり前だ。大衆の意見が「同情」に占められてしまうと、人権無視型の取材方法が否定されてしまうからだ。あの取材方法は、法律的に担保された方法ではない。むしろ逆だ。あの方法が成立するには大衆の支持が絶対に必要なのである。

   それにセクシャリティな部分に踏み込み過ぎている。マイノリティへの攻撃は反転してメディアへの攻撃へと発展する可能性がある。それに普段メディア自身が言っていることに反している。もっとも、そんなものは建前だと知っているが。週刊誌などの編集部に行けばわかる。障害を持つ人などそこにはほとんどいないだろう。

   だから、覚醒剤使用疑惑を「追求」する形になる。

   やまもといちろうじゃないけど、すべての人間はポジショントークをするものである。良いことすら、自ずとポジションが規定しているものだ。どんなポジションにいるのかを常に頭において・・・・・・。めんどくせえ。

 

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