まさりんです。
毎年、新年には複数の新聞を比べ読みします。そうすると、新聞のない二日に読むものが確保されるから始めたこの習慣です。確か二十代に入院していたとき、元日にその当時の彼女(現カミさん)に頼んで、かってもらったのがスタートだったと思います。二千年だったかな。ミレニアムのスタートは病院で過ごしました。出ても何もできないから、いいやって感じですね。
さて今年も複数紙を購入しました。読み比べて感想を書きましょう。特に一面と社説の感想を書きます。
◆朝日新聞
(紙面の内容はデジタル会員になると読めるようです。一応、トップページのリンクを貼っておきます)
一面のテーマは「民主主義」。
民主主義はときにミスを犯し、ときに暴走する。一面では多くの人が忌避していたトランプが大統領に選ばれてしまった現象を取り上げた。
米国で大統領選を追い、英国でも欧州連合(EU)離脱の国民投票を取材した個人攻撃や差別の言葉を用いて、人々を敵と味方に分断する。そんなやり方で政治が決まっていくのは、どう考えても危うい。
これらの動きは当然多数派ができたから起こったことだが、それは「作られた多数派」である。本来バラバラな人々の中に、多数派を作り出すのだ。
二面では、これらの動きは民主主義の失敗なのかをさらに検討する。
トランプは大衆を扇動してこの状態を作り上げたわけだから、こんな結果は認められない、という派もいるが、逆に「トランプ現象は従来は発言権を持たなかった人々が発言権を行使した状態なので、民主主義が機能している状態だ」と取る人々もいる。従来は発言権を持たなかった人々とは自由貿易で寂れた地域に住む人々など、グローバリズムの下で押しつぶされた人々を指すらしい。
やがて、これらの多数決主義への疑義へと話は移る。このような多数決主義は古代ギリシャでも行われていた手法だが、殺しあうよりはマシだということで許容されてきた。多数決を根本とする民主主義も欠点はあるものの、代わりになる制度がない以上、それをうまく活用するしかない。
感想
朝日新聞の特集には特徴があって、「ではどうすべきなのか」という主張をあまりせず、読者に現状を伝えることで考えさせる、というスタンスを取る。今回の特集もそうだ。結局我々のはこのような流れにどう考えていくべきかは書かれていない。民主主義の副作用について論じているようで、結局民主主義自体の是非を論じてしまっている。副作用だけを取り除けばよいのだ。今回で言えば、従来発言権を行使してこなかった人々の声をいかに拾うかが問題である。つまりこれまでは、政治的エリートが政治を牛耳ってしまっていたのが問題なのである。それを変えて行けばいい。今回はその動きを過激にSNSが補助した。
インターネットでもよくこのような話がでてくるのだが、「インターネット自体の是非」に話がすり替わる。匿名性の副作用だけを取り除けばいい。
社説では「憲法七〇周年の年明けに」と銘打って、こちらでは改憲に反対する話だ。「立憲主義」がテーマだった。立憲主義とは政府などの統治が法のもとにあるという考え方である。社説では、表現の違いといえばそうであるが、少々拡大解釈が行われている。
公の権力を制限し、その乱用を防ぎ、国民の自由や基本的人権を守るという考え方
「乱用を防ぎ」、まではよいが、それ以下が拡大解釈だ。日本国憲法にそう書いてあるから、保護すべきことなのであり、基本的人権まで含んで「立憲主義」なのではない、と思う。(専門家ではないので自信はない)
自民党の憲法草案では、この天賦人権の部分が削除されているそうだ。
最後にテロが起こったフランスでも、非常事態宣言(人権を部分的に制限する)を憲法に入れ込むことを拒否したりしたらしい。
読んでいてもう朝日新聞には、憲法改正を阻止することを諦めてしまったのではないか、と思えた。だから、せめて基本的人権を死守しようと考えているのではないかと思った。
◆読売新聞
元日の読売新聞の記事は、普段の新聞と思えてしまうほど簡素なものだった。年始には特集のようなものが1年に入ってくるのだが、そのようなものは見られなかった。
1面では、中国が日本の経済的水域の周辺で、海底に命名をしているという内容を取り上げていた。要するに既成事実を作ることによって、海上だけじゃなく書いてまで支配を広げようという意図らしい。しかし、これらの記事は平素の1面記事とあまり変わらない気がする。もしかすると、特集を組む気だったが、頓挫したのかもしれない。
の社説は、なぜか時の政権に対する要望を羅列するというものである。昨年もそのような内容だった気がするが、今年もそのように社説が作られていた。
去年の夏くらい、数ヶ月読売を毎日紙面で読む機会があった。毎日読んでいて思ったのだが、朝日に比べて読売の記事は文章力が低いということだ。社説を読んでいても文章に流れがなく、結局何が言いたいのか分からないという文章になっていた。
以前読んだ元日の社説では、緊縮財政を取りながら、社会保障を拡充せよ、という内容の提案が書いてあって、面食らった。そこまでではないが、居酒屋で話されている親父の世間話を並べただけという印象はぬぐえなかった。
◆日経新聞
日経新聞の一面では、「断絶」がテーマになっていた。「断絶」とは新しい技術と古い技術の間にある裂け目を言う。断絶の前後で、突然古い技術が陳腐化するのである。例えば、デジカメが登場してフィルムカメラが陳腐化し、ネット通販が出てきて町の本屋さんが潰れてしまったりそのような現象である。世界的な大きな現象では、AIの登場で雇用市場が激変すると言われる。ホワイトカラーの失業が増えるのだそうだ。
このような「断絶」は企業単位、個人単位にも起こりうる。それを実例を挙げて紹介していた。自動車産業では、ガソリン上から電気自動車にシフトする上で、エンジンの点火プラグなど、必要なくなる部品が増える。これらを製造する業種は新しい市場の開拓に出なくてはいけない。このようなことがものすごいスピードで起こっていくというのがこれからが時代だ。
社説では2017年がどのような 1年のどこかを予測する。
2017年は不確実性が強くなるとする。トランプ大統領が出てきて、大減税、公共投資、規制緩和の「3本の矢」を掲げている。この三本の矢が世界的なデフレに幕を引くと考えている人もいる。
日本は2016年、企業の業績が回復した。日経新聞によると、これはトランプ政権出現による、円安の恩恵であるとする。企業努力が実ったのではないと辛辣に書いている。自由貿易を推し進めるべきだが、トランプ政権はそれを推進しようと言う意図がないらしい。
感想
日経新聞の元日の社説は、なんとなく若者に語りかけるように書いているのが特徴だ。この社説の最後も若者がもっと活躍することでこの難局を乗り切ろうと書いている。時代を作ってきたのは、いつでも若手であり、若手の活躍が最も国の活力を作り上げていくのだとするのは、勇ましく聞いていて気持ちが良いのだが、実際は活躍できる若手は一握りである。
それにこういう論調を無責任だと思うようになったのはいつ頃からだろうか。 「 亡国のイージス」や、「ガンダムユニコーン」の原作を書いた福井晴敏は、よくこういう論調で小説を書く。読み始めからそう感じていなかったが、いつからか読むとなんだか無責任な気がするようになった。
経済の話自体はとてもワクワクする。新しい技術の記事を読んでいると未来がとても明るくなる。多分に錯覚であるが。
年初の日経新聞は広告も面白い。多くの社長が連名で一面広告を出す。それを見ているだけでちょっとおめでたい気分になる。私にはまるで関係ないのであるが。
◆産経新聞
1面のテーマは皇室である。
さすが産経新聞安定している。
元日の新聞では平成30年を総括するというテーマで紙面が作られていた。1面では今上天皇の即位についてのエピソードが綴られていた。実は陛下が即位を宣言されたのは昭和天皇が崩御された1年10ヶ月後であったらしい。私はそれを知らなかったので少し驚いた。
昭和天皇が倒れられた昭和63年9月以降、体温や血圧低弦結平まで1日に何度も公表された。下血量までが公表されていたと言うのは記憶になかった。また崩御されるすんでの頃には、葬儀に備えた皇居の中の工事が始まっていたらしい。そして昭和天皇ご自身も当たり前の人間でありたかったがそれを許さなかった。手術を受けることすら、批判を受けた。この辺の形が、今上天皇の生前退位の御意志につながったのではないか、と結ぶ。
そのまま社説が続く。
自分たちで進路を切り開くために、第二次世界大戦後にGHQに押し付けられた現行憲法を改正したほうがいい、というのが社説の中心だ。
感想
皮肉なことに憲法改正について反対をしている朝日新聞と、賛成をしている産経新聞の文章がとてもよかった。購読者数では確か読売新聞が日本で1番多いのだと記憶しているが、文章は中途半端であった。巨人は偉大な球団だと改めて感じる。論旨が明確だから文章に迷いがないのかもしれない。
朝日新聞ではそこかしこに憲法改正反対を匂わせる内容があるが、産経新聞には其処此処に憲法変えた方が良いのではないか、という文言が入る。対比すると面白い。
どうして皇室の話が初めて出てくるのかと思ったが、結局は陛下の意思を尊重するためには、憲法改正するしかないということであった。憲法を護持することがとにかく平和につながる、というのと同様に、憲法改正すれば全てがうまくいくと言う感じが紙面から匂ってきて、それも面白い。
ウェブ上では登録をしないと読めない内容が新聞記事上にはある。
たまには紙の新聞を読むのも良いものである。