池波正太郎をめざして

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明日は明日の風が吹く

今の心境にあわせてブログ名を変更しました。どうぞよろしく。肩の力をさらに抜いてやります。

あなたは本当に底辺か

 

 

田舎高卒は自分が底辺ってことさえ知らない

こういう文化的な格差などを飛び越えるのが、インターネットという新技術だという風に、〇〇年代前半は言うヤツがいたけど、使っているやつがこの有様なら本当に幻想だったんだろう。当時から眉唾だったけど。

2017/01/26 17:20

 

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anond.hatelabo.jp

 

先日、ペンネームすら持っていない人間があなたのことを「底辺であることを自覚もできていない」と断定する文章を書いていた。心が寒くなった。技術はそういうのを乗り越えるためにあるんだけど、まだ有効に使われていないようだ。

 

そのあなたを慰めるための反論を書こうと思った。どこぞのブロガーさんのようにデータをあげて、今の学歴は昔(九〇年代半ばまで)の学歴ほどの価値はない、と反論しようと思った。が、虚しくなってやめた。証明はいとも簡単だった。文科省の公表している大学入学者と倍率の推移を見れば瞭然だった。それを持って、指さして笑ってやろうと思ったのだ。世間の持っている高学歴のブランドは、世間がファストファッション全盛になった頃には、崩壊していたものだ。
ブロガーとして成功するには、悪人にならなければならない。幼稚な正義心を大上段に振りかざして。そこに何人の社員が関わり、その人々の人生がどんなものかも想像せず、鉄槌を下し、サイト1つを潰すくらいの覚悟をして。ネットの正義は幼く、10代のガキのように狭量な方が受ける。私もそんなネット的カジュアルな行為をしようと思った。
昔から悪い癖があって、こんな時冷めてしまうのだ。冷めた自分が、遠くから見ているような感覚がするのだ。ブログの場合大抵、記事を出すのをためらうときにそんな状態に陥っている。今回は音声認識も援用した、六千字の記事を一つ潰した。
文章の意図が、企図した方角から大幅にズレている自覚も、ためらいの原因だ。最終的に「田舎の高卒といっても原因ではない」というところに、結びつけたかったのに、馬鹿をあざ笑うことに終始してしまった。
九〇年代に十代を過ごした年代なので、高校出て就職した友人もたくさんいた。自分は都内の大学に進んだ。一流とは言い難い大学だ。学生の中には都内の出身者、田舎の超一流校の出身者もいた。中には卒業後にたまに会う友人もいる。そんな友人は別として、他の学生と少し話すと、人間的な成熟度は田舎の高卒の友人の方が高かった。ここが表現の難しいところだが、なんというか「しっかりしていた」のである。どこかやるべきことがシンプルで迷いがない感じがした。どちらが「幸福」か。それはわからない。比較すべきとも思わない。「しっかりしていた」と表現すれば、そんな田舎の友人の方が上だと考えるかもしれないが、それは少し待って欲しい。「しっかりしていない」とは、「人間的に遊びがある」とも言える。成長のゆとりがあるとも取れるのである。その代わり苦しい時間をまだしばらく過ごすことにはなるが。成長とは苦しいものである。生き方がシンプルであるという事は、人間的に成長する伸びしろがないとも言えるのである。しかし、どちらが良いかは何とも言えない。その人生を選ぶ人間によって答えは変わる。
田舎の友人の1人が数年前に転職した。都内の企業に勤めていた。体を壊してしまったのだ。それが転職の直接的な理由だ。友人には3人の子供がいる。「二姫一太郎」で真ん中が「太郎」だ。子供と関わる時間が欲しかったのも転職の理由だ。
三人がちっちゃな頃に、友人の実家で三人と遊んだ。「二姫」はとても人懐こく、散々振り回された。上の姫は次々に遊び方を変えた。一度ド年末にあったが、ほとんどベビーシッターのようになった。父親は仕事(転職前の話。まだ激務が続いていた)、母親は家事をしていた。板間のリビングで上の姫とプロレスごっこやお馬さんごっこをした。と言うよりやらされた。その時、私の股間が上の姫のどこかに触れたらしい。姫は五歳くらいだが、女の子は早熟なのだろう。「ちょっと休憩」と私がソファーの腰をかけるところにもたれて板間に座っていた。すると私の股に顔を埋めるように上の姫が抱きついてきて、「当たっちゃった」という感じで私の股間を触ってきた。「後は、そこはだめだよ」と焦って悲鳴を上げると、夕飯用の鍋を作っていた母親が大声を出して笑った。子供は意外な行動とるので、関わっているととても楽しい。もちろん股間を触ってもらったのが嬉しいわけではない。
「太郎」は赤ん坊の頃はとてもシャイだった。私の顔見るたびに大声で泣いた。赤子の鳴く時は強烈で、全身を強張らせて泣く。どうあやしても、全てを拒否する強さがある。上の姫に助けを求め男としても、どこ吹く風だ。赤ん坊は泣くのが当たり前だ、と言うふうに。もう少し大きくなると、他の姉妹のように人懐っこくなった。三人とも「バカ殿」が好きで、結構どぎついお色気シーンも平気で見て笑っていた。太郎は悪い癖があり、オチを全部話してしまうのだ。これも太郎は五歳位だったと思う。「落ちを言うんじゃない」とツッコミを入れると、大人が嫌がっていることを敏感に察知して言わなくなった。
下の姫は赤ん坊の時から人懐っこかった。長くなるのでエピソードは割愛。
3人ともよく笑う。父親も母親も陽気だ。なんとなく、友人が転職して、子供との時間を大事にしたいと思うのがわかる。3人とも非常に愛くるしいのである。子供は可愛い時期などはそれほど長くはない。その時間を大切にしたい、という友人の思いに、当然だ、と共感した。
同じように他の友人も、高卒で地方在住でも、家庭を持ち、子供を持ち、迷いなく仕事をし、ほどよく遊び(奥さんに怒られ)、という人生を送っている。それでいいではないか、と思う。今の日本で上昇志向を持つのは、どこへ登っていこうというのかよくわからない。

記事の中で書かれている上とはどんな世界か。

大卒生で大企業で働くものもいる。日本のGDPは世界三位だ。実感としては三位なのはおかしいと皆思うだろう。それくらい苦しい生活をしている。慣れてしまったか。それだけ労働者に負担をかけているのである。企業や政府が金を使うのと、労働者が豊かに消費するのと、GDPという経済指標的には差がない。労働者に負担を強いるから三位に止まれるのだ。いわばスポーツをルール違反でやっているようなものだ。
我々日本人全員が外国で不足なく生活できるだけの語学力を身につけられるなどという事は永遠にない。そうなれば、優秀な人材から普通の人材まで、ごっそりと外国に流出するだろう。そんなことを強行すれば困るのは日本企業だ。だから我々の英語レベルの平均は仕事に使える程度までしか上がらない。日本人は日本語という壁によって、常に追い詰められている。だから、企業で消耗戦をやるよりない。ただやりがいだけはある。ありすぎる。東京の大卒者が見ているのはそんな世界なのかもしれない。いつか昭和の頃のように経済の状況が好転するという幻を、胡乱だと思いながら、虚ろな目で見ている。あまり「素晴らしい世界を見ている」と言われても、諸手を上げて賛成はできない。

結局、どんな人生を選び、どんな人生を「幸福」と思うかは本人次第だ。かわいい子ども中心の人生も悪くない。実際に幸せそうに暮らす子どもに会ってみればわかる。もちろん毎日子育てするのは大変である。
記事の筆者の狭量さは、幼さゆえか。それとも本当は大学など出ていないのかもしれない。それほど大卒が見ている世界が素晴らしいとも思えない。自分のコンプレックスを叩きつけているのである。そして騒ぐ聴衆を見ながら、喜んでるのかもしれない。同じようなことを言われたのかもね。

 

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