昨日は思い出のマーニーを見ながら別の映画の感想をかいた。
今日はその思い出のマーニーの感想を書きたい。
杏奈は札幌に住む、喘息持ちの女の子である。
小さな頃に里親に預けられた。
ある日喘息が悪化し、転地療養のために、入り江のある田舎にやってくる。そこには里親の親戚がいた。
杏奈は人に見せる自信はないが、絵を描くのが好きだ。
入り江に出てスケッチしようとすると、対岸に古びた洋館がある。その洋館が気になって仕方がない。
引き潮の時間帯、歩いて洋館に行ってみる。そこは誰も住んでいない館であった。
七夕の夜、地元で知り合った一つ上の女の子とトラブルになる。
勢いで入り江にやってくると、対岸に渡るために用意されたような小舟があった。
杏奈は小舟に乗り、洋館へ行く。そこで謎の少女マーニーと出会う。
冒頭のシーンのあらすじをかいた。
ここから、ミステリーの手法が使われる。静かなミステリーだ。
全体的には女の子が成長して行く物語だ。
その成長はマーニーとの秘密から始まる。
周囲の大人が知らない秘密を持つというのは、大人との心理的な距離が生まれることを意味する。そうやって自立して行く。
そして、杏奈とマーニーの関係がなければ、これは「友情物語」になる。
二人は出会い、秘密を持ち、お互いを理解し、そしてちょっとした冒険をする。
普通はこれは男の子の成長の話だ。もちろん、この見方はものすごくステレオタイプな見方だし、古いのだが。隣で見ていたかみさんに、「違和感があるか」と聞いたら、「ない」と言っていた。これは面白いぞと思った。
だが、最後の最後にひっくり返った。マーニーの存在があらわになると、普通の女の子の成長の話に回帰してしまったのである。
女性にとって母親との関係は、息子と母親とはちょっと違う。非常に成長に重要な影響を与える。
そういう話に回帰して、なんか古いなと思った。ただ、ブログを読んでいて、そういう悩みをもっている女性はなかなか多いので、今でも通用する話ではあるが。
原作は六〇年代の児童文学。まあ、仕方がないだろう。
とにかく、ジブリらしからぬ主人公杏奈の造形はおもしろかった。マーニーが魅力的に描けなかったら、この作品は失敗だろう、と冒頭で思った。しかし、登場の禍々しさ、不幸を生き抜く可憐さ、情を引く存在はとても魅力的だった。
成長の話としては宮崎駿よりも古い流れなのかもしれない、と今となっては思ってしまう。
女性が社会に進出して定着するには、新しい成長の物語が提示された方が良いと思うのだが、いっておいて自分でもその形がどんなものなのかはわからない。
ただ少なくとも、八十年代末期、九十年代初期にいた、オヤジ化した女性ではない。
その次の成長の形、家庭で終わらず、社会に接続して行く成長の物語が今必要ではなかろうか。
この作品をどう売り出すか。ジブリの鈴木敏夫さんが、途方に暮れているのをドキュメントで見た。
女性のスタッフが、「マーニーとの杏奈の友情がいい」という発言をして、それを採用するのだが、そんな話か? と思ってしまった。
どうして途方に暮れたのか、それは解説が必要な作品だからだ。難しいのだ。