今日の十分日記

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原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

小池新党、立憲民主党ーー十分日記70

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あの時どう思ってたっけと後で思うのも虚しいので、雑感を記録しておこう。

十月 三日現在、衆議院選が予定されており、注目されている政党は、自民党、希望の党、公明党、共産党、そして二日に「立憲民主党」の設立が発表された。立憲民主党は旧民主党の閣僚経験者などが集まった政党だ。旧民主党から一旦下野し、希望の党に合流した細野豪志が、「民主党の閣僚経験者は排除したい」ということを言い出して、結党された勢力だ。

おそらく細野豪志のなかでは前回の政権奪取からの政権運営の失敗要因が、旧民主党における派閥争いにあったという認識なのだろうと思う。あのときは鳩山・菅・小沢の三者が争っていたこと、旧社会党勢力などがいて、改憲などのときに意見集約が難しかった。その失態を繰り返したくないのだろう。特に東日本大震災からの対応は目に余るところがあった。

 

その後、小池百合子都知事が、新党希望の党を立ち上げるときに、「リベラル勢力を排除する」という過激な文言を採用した。もともと、記者に煽られてそういったように見えた。さて、このリベラルという文言、要するに憲法改正に賛成するか否かによって分かれる、という意味小池都知事は使っていた。

リベラルという語句を調べると、

古典的自由主義 - 個人の自由、議会制の政府、人間がかかわるすべての領域において発展を促すための暴力を用いない政治的・社会的・経済的制度、政府による個人の人権と市民的自由を保証する政治・社会哲学を唱える考え方。
保守的自由主義(Conservative liberalism) - 自由主義の一種で、保守的スタンスをもつ自由主義的な考え方や政策を指す。単に自由主義運動の右派などを指すこともある。自由保守主義(Liberal conservatism)やリバタリアン保守主義(Libertarian conservatism)とは異なる。
経済的自由主義 - 経済にかかわる決断が、できるかぎり制度にもとづく集団ではなく、私的セクターの個人によって行われるようになるよう、経済を個人にもとづいて運営すべきだと考えるイデオロギー。
社会自由主義 - 自由主義の中にあって社会正義が強調されるべきであり、失業、医療ケア、教育、公民権の拡大などに取り組むことが国家の正当な責務だと考える思想。

(wikipedhiaより引用)

と分類されているみたいだ。

最近日本で一般的に使われているリベラルの意味は、「社会主義を基調として、反戦、社会保護を重視する立場」というイメージだ。上記の分類の根本は、「自由主義を基調とする」ところである。自由主義の部分が一番大切なので、一般的に使われている語句はどれにも当たらないことになる。

そもそも日本に「自由主義」の政治というのは存在するのだろうか。

自由主義とは国家や集団に対し、個人の決定を重視するという立場。とかく日本人には全体主義的な性格が強い。「世間に迷惑をかけるな」と不倫や薬物使用でその親まで叩いている連中が自由主義でもないだろう。良し悪しの話ではない。そういう性質の国民性なのだから、仕方がない。ああ、そうか、だからリベラルを叩くのか。しかし、全体主義者がそうでないものを叩くというのも凄まじい。

 

そして、立憲民主党。

私は野田前総理はご近所さんから出た総理ということもあり、ちょっとシンパシーがある。自分に不利になろうとも、消費税の増税をするなど、増税の是非は置いておいて、きちんと信念にそう行動は、人物的に信頼するに値すると思う。

今回の選挙が政策の差を争うものではない。あくまで十月三日現在ではそうである。希望の党と自民党と、残念ながら立憲民主党で、政策にどういう差があるか、と聞かれて私は答えられない。

だから、仕方がないので、信用に足る人物がいるところを選ぼうと思った。

ところがだ。

菅直人が合流するということだ。

こいつだけは許すまじ、と思う。地震の絡みだ。彼が無茶をして福島の原発に行かなかったら、水蒸気を排出して(ベントというらしい)、水素爆発はしなかったと聞いた。つまり、政治パフォーマンスに利用したのだ。

 

ふうむ、菅直人がいなかったら立憲民主党かな、と思ったが、迷うなあ。

 

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