風邪は一服した。
「一服した」というのは、とあるYouTuberの口癖である。
ただ鼻づまりが残っているので、それがなんとかならないと完全復活とはならない。これは長引きそうだ。また副鼻腔炎になりそうである。鼻うがいを欠かさずしているのだが、というよりやらないと異様な汚れになっていて苦しい。
さて、先月の三十一日に締め切られた「note版短編小説の集い」に出した作品について書こうと思う。
前回の短編小説の集いの課題は「葉」であった。
この時期の「葉」とくれば、落ち葉、紅葉である。ただ、実際に紅葉の名所に行くには時期が早すぎた。それでは感じがつかめない。だから、イメージにある紅葉の風景を思い浮かべた。近くの神社がイチョウ並木が綺麗であった。出身の学校にもイチョウ並木があって、それが十一月になった今頃、黄色い絨毯を作った。
そんなときに、必ずギンナンの独特な匂いがしていた。踏み潰してしまうと大変なことになった。その日一日あの匂いが足元から立ち上ってくるのである。そして同級生に「くせえ、くせえ」とののしられるのである。洗えば良いのだが、靴底をちょっと洗ったくらいじゃ、あの匂いは取れなかった。取ろうと思えば、靴全体がグチョグチョになる。だから、ある程度我慢するよりないのである。
そして、逆にそのギンナンをありがたがって拾っているおばちゃんというのも、イチョウ並木とセットで存在していた。学校のイチョウ並木でも、近所の神社でも、一度は神宮外苑の有名なイチョウ並木でも拾っている近所の人を見た。おばちゃんたちは何かに取り憑かれたように、ギンナンを拾うのであるが、見るたびに、「処理も大変なのに、物好きな」と思っていた。
腰を屈めて、踏み潰されていないギンナンを探している。手に厚手の手袋をしているか、トングを持っている人もいた。やはり強烈な匂いを警戒していたのだろう。
ある年思った。
このおばちゃんたちが「ギンナン拾い全国大会」に参加していたら面白い。
そんな他愛もない想像から、この小説は始まっている。
そこに女性の世界というのを重ねようと思ったのだ。
私の知っている女性の世界を書いた。