今日の十分日記

今日の十分日記

原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

スターウォーズ祭りーー十分日記100

スポンサーリンク

 

headlines.yahoo.co.jp
www.asahi.com
togetter.com

 

一二月一五日にスターウォーズの新作が始まる。

スターウォーズファンは、みな「あの日の感動」を追い求めている。

以前書いたが、私にとっての「あの日の感動」はリアルタイムで見た、第三作目(エピソード6)「ジェダイの帰還」である。この映画、もともとスピルバーグやデヴィッド・リンチがメガホンを撮る予定もあったらしい。

前回が「あの日の感動」を追い求めているファンには不評であったらしい。そりゃそうだ、「あの日の感動」はあの日にしかないのだから。

さて、そのあおりか、日テレの金曜ロードショーでスターウォーズ祭りが始まった。この前の金曜日は第二作(エピソード5)「帝国の逆襲」だった。

 

テレビでやるのだから、カット場面はあるのは織り込み済みである。

ただその場面がちょっと興味深かった。

冒頭シーンで雪と氷の惑星で、ルークはワンパ(雪男を想像すれば良い)に襲われ気絶する。気づくと洞窟のなかで、天井から吊されている。近くに落ちていたライトセーバーをフォースで引き寄せ、吊していた縄を切る。気づいて攻撃しようとしたワンパの腕をライトセーバーで切り落とし、辛くも洞窟から脱出。しかし、そこはもうすぐ生物が活動できない気温になる雪原であった。

倒れ込んだルークを、トーントーン(白いらくだのような生き物)に乗って探しに来たハン・ソロに発見される。トーントーンは寒さで死んでしまう。ハン・ソロは死にたてのトーントーンの腹をルークのライトセーバーで切り裂き、そこにルークを押し込む。そうして寒さをしのいでいる間に、寒さをしのぐためにかまくらでも作ろうという作戦だろう。ハンは一言「それにしてもくせえ」と呟く。

翌朝、捜索に来たスピーダーに乗ってきたパイロットの呼びかけにハン・ソロが元気に答えた。パイロットは安堵の笑みを浮かべた。

 

というシーンがある。このシーンが無性に好きだ。特に子どもの頃、生物の体内がとても暖かい(というより熱いという温度だ)ということをこのシーンで知った。

この雪原に逃げてきてから、救出されるまでのシーンがごそっとカットされていた。これは想像だが、トーントーンの腹を割いたときに、内臓がごろりと出てくる。このせいでカットになったのだろう。残酷だからだ。

 

日馬富士の引退会見を見た。猛省をしているという感じでもなかった。一番良い選択肢をとったというところだろう。先輩として後輩の躾をするのは当たり前だということだ。本当にその通りだと思う。ただし、頭がばっくり割れるまで殴らなければ。

今日のワイドなショーを見ていたら、松本人志は擁護派であった。

格闘技ではままあることだ、とのこと。ただ、試合中でも練習中のしごきでもなく、宴会中の話である。見ていて思ったのだが、自分の今の立場が、怒る立場なのか怒られる立場なのかでちょっと解釈がかわるのだろう。松本人志はもちろん後輩芸人などを指導することもある。人を怒るというのはかなり自分で興奮状態にならないとできない。興奮状態なので、松本も後輩の頭の一つや二つ、張ったこともあるんだろう。その程度を咎めだてしない。あることだろう。ただ、そのときの後輩芸人の頭は割れていないと思う。やはり、程度問題なのだと思うなあ。

 

どうして日馬富士はあんなに反省していないのか。

(ここからは憶測)それはモンゴルの躾と日本の躾の差なのかもしれない。

何か悪いことをして、父親に怒られて、ボコボコに殴られた。そのあと、母親が宥めにやってくる。「殴られるくらいですんで良かったよ・・・・・・」

もしかすると、遊牧民であるモンゴルでは、最高に怒られたときはモンゴルの草原に手足を縛られて、放置されるのである。だから、殴られるくらいで良かったじゃないか、と母親は言っているのだ。

 その感覚でいるから、殴ったくらいで日本人はどうしてこんなに大げさに騒ぐのか、と思っているのかもしれない。そうだったら面白い。

 

とここで、きちんと調べなければならない。実はモンゴルは東アジア初の全面的な体罰を禁止する法律を作った国だ。ただ、それは度を超えた体罰が存在するからじゃないか。と思ってさらに調べたら、面白い資料を見つけた。

http://ci.nii.ac.jp/els/contents110006482999.pdf?id=ART0008508103

この資料では日本とモンゴルの躾、体罰に関する比較を行っている。

もともとは、日本は農耕につながる躾をし、モンゴルは遊牧に関する躾をする。

日本の躾について柳田国男は「稲の苗を縦横に正しく曲がらないように植え付けること」という感覚に由来していると考える。だから、まっすぐという感覚から、「礼儀正しく」ということになるのか。

モンゴル語では「ソルガル」というのがしつけにあたる。それは「粗革をたたき出す」という意味と関係するらしい。これは家畜を叩いておとなしくさせる「叩いて懲らす」という行為らしい。

というと、モンゴルの方が激しいのかと思いきや、それほど代らないらしい。

どこか、日本とモンゴルの子供観が影響している。日本は子どもは「育てる」という感覚があり、モンゴルでは「育つ」という感覚で、結構放任らしい。朝青龍を見ていると、それも少し納得する。

 

結論から言えば、体罰は日本の方がひどいみたいだ。特に旧日本軍で発生した教育的な体罰は、江戸時代の藩校や寺子屋で行われていた体罰よりひどい。軍隊式体罰は戦後も続いた。ここから話は面白くなる。上リンクのファイルでは体罰を肉体的接触にまで拡げて考えている。中国・モンゴルでは「一番の仲良しは、再開の際、互いに叩き合う、二番の仲良しは、再開の際、互いに言葉で突っ込み合う、普通の友人なら、再開の際、互いにあいさつする」というのは、ジャッキー映画でもおなじみだ。

社会の変化に伴ってしつけがどう変化していくかは一読の価値があるだろう。

 

結論を書けば、今回の事件は文化的な相違というより、やはり日馬富士の個人の資質によるところが大きいような気がする。当たり前の結論になってしまって申し訳ない。

と同時にスターウォーズを見ていて思ったのだが、暴力やグロテスクなものに対する異常な拒絶感をそこに感じ、その拒絶感が日馬富士を引退に追い込んでいるように見えるのである。

その拒絶感の理由も上記ファイルにあるのだが、面倒くさいので読んでほしい。一つは人間関係の文脈の消失、もう一つは無軌道な体罰、これらが原因である。一番最後のページに書いてある。