三月一一日、今年は日曜日だった。
その前後には「風化」という文言がメディアに踊った。
みどりの小野さんの記事ではないが、東北の人々にとっては、切実にまだ進行中の話だ。そりゃそうだろう。メディアは「風化」させたいのだろうか。
大きな地震があれば「東日本の震災と関連があるか」というのは、常に確認されることだ。まだたまにある。五年くらいは影響があるかもしれない、と言っていたがそれ以上だった。
もうすでに、この話がタブーに近いものになっているのは驚く。
テレビで特集をやっていた。筑波大学だったか、大学の教授がCG技術を使って、在りし日の東北の姿を再現するという作業をしていた。
ショッキングだったことがある。震災のときの幼子が、七年たって小学校高学年や中学生になっているのだが、その前の記憶がないのだそうだ。駅の風景などを聞き取ったりするのだが、「覚えてない」と首をかしげる。「耳鼻科に行くのに電車に乗った」、「寒い日はパンダの帽子をかぶっていた」と言われてもよく覚えていない。強烈な記憶が、その前の記憶を奪ってしまったのである。
また震災当時、「女性はコミュニティを作るのが上手だ」という話がしきりに喧伝された。だが、元は明るいおばあさんでも、新しい地域に行くと気後れしてしまって、半ば(完全ではないが)孤立気味になってしまうという話もやっていた。あのような大震災の場合、人々に強さを求めてしまうのだが、人はそれほど強くない。強い、上手、と言われすぎてしまうと、助けを求めにくくなる。
ここにいたっても復興支援の要は資金なのだろう。ソフトバンクで基金がある。通話料で十円だすと、ソフトバンクがそこに十円足して基金に入れるのだそうだ。それが毎月続く。すでに十億円に達している。これでも始めようか。