今日の十分日記

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原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

ドラクエ6、7--十分日記144

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ドラクエシリーズを順々にクリアして、今はドラクエ8に入った。

発売からかなり経ってやっているので、事前にどの作品が人気があり、どの作品が人気がないのか調べることができる。ドラクエ7は評判が悪いようだった。いろいろな分析ができるだろうが、確かにあまり面白いとは言えなかった。

 

主人公が住んでいるのは、とある大陸の一部であった。大人たちはその現実を忘れているのだが、主人公とその友人にある大陸の王子様キーファは謎の意識を調べ、自分たちで建造したボロ船を駆使して大陸を動き回るうちに、この世界の謎にたどり着く。

太鼓に神神とモンスターが戦った結果、主人公とキーファが住む大陸以外、すべての大陸が消滅していた。謎の遺跡の内部には、赤盤をはめる場所があり、そこに赤盤を入れ込むと、消滅したはずの大陸に行くことができた。大陸ごとの謎を解くと、元の世界で大陸が復活している。全ての大陸を復活させて、世界を取り戻す。

以上が大体のドラクエ7の概略である。なんとなく魔界村に代表される、横スクロールのアクションゲームを解いている気分だった。立石から移動した先の世界は、行き来が可能なところもあるのだが、時間軸がずれていたりして、基本的には没交渉である。

つまり世界の半分ではルーラの意味がなく、移動が大変だった。大半が石版集めに費やされ、広大な世界を闊歩するという感触が味わえない。

職業システムがあり、好きな職業になれる。職業によって、得意技や覚える呪文が変化する。ところが基本職はすべて揃えられても、上級職の制約によって、つける職業が限られる。

 

ドラクエ6でも、同様のシステムをとっていたが、上級職まで全部揃えられた。コレクター心がくすぐられ、とにかく全部集めたくなった。コレクター心は「やりこみ度」に変換される。早く解きたい人には関係ないのかもしれないが、やりこみたい人にとっては、ドラクエ7ではこの要素が足りなかったように感じたのではないか。

またどこかで指摘されていたが、暗い内容が多かった。しかしどこか現実世界を反映している感じがして、これをリアルタイムでプレイしている子供にはリアルに見えたかもしれない。

7は発売時期が2000年。子供には大人の世界がそんな殺伐としたものに見えていたのかもしれない。とにかく仲間が入れ代わり立ち代わり変化する。冒険を初期から共にしていた人間でも自分のやりたいことがあれば、さっさとパーティーから抜ける。これが1番まいった。子供の世界でもいじめが激化し、「友達」「仲間」という感覚を子供も大人も得にくい状況を反映してるのかもしれない。

 

今途中までプレイしたドラクエ8も少し殺伐としている。

ブラックな職場環境で働かされているのだが、一宿一飯の恩義に報いるためけなげに働いている青年。飼い犬のドックフードの毒味のために、四つん這いになって犬のようにドッグフードを食べる。挙句の果て殺されるのだが、実はこの青年の方が主人より尊い存在だったことがわかる。

発売が2004年で、やはり明るいとは言えない世相を反映していたのかもしれない。ホリエモンが近鉄を買収しようと画策していた時期だ。本人曰く誤解なのだが、金=正義と言う感覚が今よりも、もしかするとバブル経済の頃よりも高じた時期なのかもしれない。公害よりも経済発展を重視したその前の時期よりはマシかもしれないが。「自己責任論」と言う、その後暴走する理屈が登場した年でもある。

 

ドラクエ4では、最後それぞれのキャラクターのゆかりの地まで勇者である主人公が送り届け、モンスターによって壊滅状態になった故郷に帰る。自分のために犠牲になったはずの幼なじみの女の子が復活し、別れたはずのキャラクターたちが再登場して話が終わる。もちろんこれはクリア後の追加シナリオがあると言う伏線なのかもしれないが、若い頃ちょっと感動した覚えがある。

こういう感覚は味わえそうもない。結局ドラクエをやっているユーザの大半が、現実に社会人をやっている20代や30代にシフトしてきた時期なのでこのような現実社会の反映が行われてきたのかもしれない。このようなちょっと悲惨な物語を見て、心理学的な理屈で言えば心は浄化されるはずなのだが、見ているとそうとは思えない。

 

すでに今の段階で、ドラクエ8よりゼルダの伝説「時のオカリナ」の方が面白かったような気がする。ただ昔の方がゆっくりゲームをやっていた気がするから、私自身の変化、問題なのかもしれない。

 

ちなみに、もう8ではDRAGON BALLくらい、ドラゴンをクエストする意味は薄くなっている。