池波正太郎をめざして

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明日は明日の風が吹く

今の心境にあわせてブログ名を変更しました。どうぞよろしく。肩の力をさらに抜いてやります。

褒める達人になりたい 褒めるときの注意

エッセイ 雑記
 まさりんです。
 
 私には悪いクセがあって、何か気になることがあると、ずっと考え続けてしまうことです。
 なにか疑問ができると、ずっと考え続け、人にも同じ話題を振り続け・・・・・・。おそらく周囲の人間はあきれているでしょう。
 今は坪田信貴さんという青藍義塾という名古屋の塾を主催している人のことが気になってしまって。
 いやお慕い申し上げているという意味じゃなくて。何で気になるのかは、後日また。
 
 さて、その坪田さんも日々の授業で実践しているのが、「褒める」という作業。
 褒めてのばすか、叱ってのばすか。人材育成で延々と繰り返されているテーマです。
 
 褒めあったり、たたえ合ったり、お互いが尊重し合ったりしている空気をもつ組織は、そうでない組織よりも気持ち悪い・・・・・・、じゃなくて、成績がよくなる、ということが統計的にわかったという記事を何かで読んだ気がします。
 居心地が良い組織の方が人間、自己や他者に肯定的になれるわけで、そっちの方が雑念に囚われず、集中できるって事でしょうね。
 
 ただ、褒めるというのは案外難しい。褒め続けるとなるともっと難しい。たまに気づいたときに褒める程度なら、誰にでもできるんだけどね。
 
 この話もご本人からするとしつこいという話でしょうから、引用は避けます。
 ツイッターで、ある人を褒めたのです。
 ある人の歌を「オノヨーコ」になぞらえて褒めたのです。
 この時点でちょっと無理があるというのは今になればわかるのです。オノヨーコの歌がうまいと褒めているのを聞いたことがない。
  ただ、ローリングストーンズ他の「ロックンロールサーカス」というアルバムがあって、そのなかでジョンレノンやらエリッククラプトンやらと一緒にオノヨーコが歌っている(がなっている?)曲があって、その曲がなかなか好きなのです。それが頭に浮かんで。
 相手と自分が同じイメージを持っているとは限らないということが想像できなかったのですね。
 
 ほめるときだけでなく、この喩えというのはトラブルのもとだったりします。
 トラブルが多いのが政治家の失言です。
  なかでも気になるのが、喩えによる失言です。
 
 たとえば、

ニートの親は動物にも劣るといっても過言ではない。

出典小沢一郎ウェブサイト

小沢一郎の、ニートの親に対する発言。

 

 

 いきなり、両氏ではないですが。なんで動物に喩えちゃったんですかね。
 しかもニート本人じゃなくて、親なんですね。
 

女性は子供を産む機械

出典連合大阪

島根県松江市で開かれた自民党県議の集会で少子化対策に触れた時に発言。
 

 

 これは有名な失言です。
 女性を機械になぞらえちゃったんですね。
 

エイズのように嫌われた

出典民主党:「今日までの発言に猛省促す」森首相就任受け家西悟議員

福井県敦賀市で行った講演で、「農作業をしている農家の方が全部家に入っていった」様子をエイズのようだと例えて発言。
 
 エイズがやってきたところは見えないですから。
 それにエイズになった人のことを考えると・・・・・・、ということですね。
 
 もう一つの失言の原因が事実誤認。広く捉えれば、比喩が意図と違う意味で伝わってしまうというのも、事実誤認ゆえなのです。私の例がそうです。オノヨーコというワードが持つ意味を誤認したのです。
 ですが、それ以外にも数値などを間違う場合もあります。
 
 思うのですが、この比喩が伝わりにくい時代になりつつあるような気がします。
 全体の趣旨をきちんと掴めば、意図通りに伝わるのかもしれません。ただ、概要を掴むほど根気よく話を聞いてくれる時代でもないようです。
 それに比喩というのは、女性を機械に喩えてしまうように、ギャップがある方がおもしろかったりします。
 
 結局比喩は使わない方が、褒めるときには有利なのかもしれませんね。
 とても親しい人間なら別ですが。
 恥ずかしいですが、直接的な褒め方をすべきなのかもしれません。
 

 

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