今日の十分日記

今日の十分日記

原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

責める気になれないーー十分日記

※今日の私はいらついているので、そういう文章になっていると思います。あしからず。

 

昼頃、食料を調達しようと近所のスーパーマーケットに行った。

すでに米が売られている棚は品薄になっていた。

なぜか、トイレットペーパーがないことを店員に詰問していた中年女性がいた。

 

昨日、小池都知事が不要不急の用件がない場合は外出するなという会見を行った。会見自体はわざと見なかった。こういう目立つ場所になると、小池さんという人は鼻息荒く市民を扇動するのが常で、そうするのが目に見えていたからだ。しかし、ネットで発表があったのを知り、「こりゃ食料の買い占めが始めるな」と思った。

Amazonで米を確保しようと見てみたが、まだその時は値動きがなかった。

 

 いや、今もそれほど値動きはないようだ。

それにネットまで使って、米などを買い占めるという行為がどうしてもさもしい気がして、そこで注文するのはやめた。だがね・・・・・・、予想通りだけど、少しずつ街はパニックになってる。

 

スーパーでは見慣れないスーツ姿の男が二人、カートに米を満載にしてレジに向かっていた。老人や近所の主婦が多い昼間のスーパー。買うにしてもサラリーマンは昼食用の弁当や惣菜を手にしていることが多い。カートに米を満載にしていることはあまりお目にかかれない。

 

他にもチラホラ、米を買っている老人がいた。

老人や詰問している主婦は空気に煽られているのは明白だった。でなければ、開店間もない時間帯に米が品薄になることはない。スーツ姿の男たちは、都内から来たのだろう、業務用に確保しているのだろう、そう予測した。

 

なんにせよ、あまり彼らを責められないと思った。

老人にとっていま一番合理的な行動は、政府など信用せず、食料を買い占めること。外出せずあまり人と会わないことだからだ。

正義で人をぶん殴り、ぶん殴っておいて利益を得るメディアとしておなじみのハフィントンポストは39才のコロナウィルスに罹患した女性を登場させ、「年齢に関わらず警戒せよ」という動画で、若者を棍棒級の威力でなぐった。

もちろん、手斧を投げる文化でおなじみの我らがはてなに比べれば優しい。

 

散々メディアでは感染者数と死者数だけを取り上げ、いかにも全員が志村けんレベルの重篤な患者で「老人や基礎疾患のある人間が罹患すると即死」という印象を植え付けつづけた。それで鼻息の荒い小池都知事アジテーションに「乗るな」という方が無理があるだろう。老人にとってはそれは恐怖だ。

 

主婦にしたってそうだ。

自分が物品や食料を管理する役割であれば、品不足になるのに、「武士は食わねど高楊枝」などと言っていては、家族に不評を買うのは明白だ。

みすみすなくなる物品をそのままにしておくことはできないだろう。

 

Twitter上では、「こんなに品物が倉庫にあるのだから、騒ぐなアホ」と倉庫内部に物品があるのをアピールする人間まで出てきた。だが、これは常識だが、現在はいかに在庫を抱えないで経営するかが一つのテーマになっている。ギリギリの状態で回すのが普通なのである。表面上倉庫に物資が満載でも、その状態でギリギリなのである。バカだから知らねえでやんの。

「みなが買い漁るから、足りなくなる」

半分あってる。しかしもう半分で「在庫がギリギリの状態で経営する」のが普通だから、ちょっと人々が多く買っただけで品不足になるようになっているのだ。「運ぶだけのトラックがない」というのは詭弁だろう。だって、店側が取りに行けばいいだけの話だ。特にティッシュやら、トイレットペーパーなら、軽トラが何台かあればことが足りる。

以前書いたが、こういう場合は過剰に流通させ、品あまりの状態を演出しないと、不安は解消しない。どんなに買いだめても、残りますというのを見せなければならない。いったん、空の棚を見せれば、パニックになるのである。

 

「在庫は充分にあります」というのは、平時の需要量の場合である。平時でなければ、すぐに逼迫するのである。

 

実は老人が買い占めて、家にこもるというのは合理的であり、安心しろと言ったところで安心するわけもなく。「在庫は充分だ」という言葉は、流通のことをあまりにも知らない人間の意見であるということ。

なにより、「パニックになるな」というのはあまりにも人の心が分からない人間の意見だと個人的には思うのです。

他人を守る責任のある人間や、自分に死の恐怖が(メディアに煽られる形で)やってくれば、誰しもパニックになるのです。それに隣の誰かがパニックになれば、自分だってそりゃパニックになるって話です。