今日の十分日記

今日の十分日記

原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

離婚ーー十分日記250

財界支配―日本経団連の実相

大企業で同年代がついにリストラの対象になった。

45歳でリストラを言い渡される。

レポートをいくつか読んだ。もう首切り前提で、改善案を提出させられたりする。それをもとに、面談をする。上司からは、死ぬほど揚げ足を取られる。もう自分は必要とされていない、と感じて早期退職に同意する。

ところが、やめたところで次の職場では安く買いたたかれ、年収は下がる。そのレポートでは200万円近く下がっていた。今の45歳は20代で結婚している者が多いので、子供は高校生か大学生か。いずれにせよ、お金が一番かかる時期である。

 

経団連の会員企業のお歴々の年齢をチェックしてみた。

だいたい、1947~1955年生まれだ。私は40代前半だが、だいたい親父の年齢だ。

親父が息子に、「お前はいらない」という宣告をしていることになる。

誰か聞いてくれないかな。「子供に死刑宣告をする気持ちは?」って。

仕方がない? いっつも親父はそう言う。口癖だよね、親父の。

ずっと我慢してきたんだぜ、オレたち。

お歴々の世代は、会社にかまけて子供とも遊んでいないだろう。

子供に対する情がないのである。

いや男は理屈に感情を合わせるところがある。子供が欲しいとはならないのかもしれない。

 

某タレントさんが離婚をした。

理由は「子供が欲しい」というものだった。タレントさんはもういい年齢だった。

これは直接の理由ではないだろう。若い女が欲しくなった、というのが本当の理由だ。つまり、タレントさんに飽きたのだ。

意識というのは面白いもので、周囲に左右される。元夫は三十代前半。急激に婚期が遅くなっている昨今、その感覚に影響され、逆に真剣に一生を連れ添う相手を考えなければならないと思ってしまったのかもしれない。このタレントさんでいいのか。そう思ってしまった。ちょっと昔ならば、三十代になってカミさんがいれば、そのカミさんととりあえずは一生連れ添うのだろうと考えるはずだ。

どちらにせよ、失礼な話だ。同情もする。

「子供が欲しい」という感覚は男は抱きにくい。男は「好きな女の子供が欲しい」と思うものだ。子供に対しての欲求は間接的だ。だから、この元夫の言い分は止めを刺すための方便だろう。しばらく、「別れる。別れない」で揉めたのかもしれない。

 

我が家にも子供がいない。

原因は私の病気が遺伝性である可能性があること、その発病時期の多くが思春期から青年期であることだ。発病すれば、人生を不意にする可能性が高い。別にそれについて両親を恨んでいるということもなく、自分の子供がいたらばそうならないとは思う。だが、見ていられないだろう。完治することができない以上、なかなか子供にこの気質を伝えるのは難しい。(一応言っておくが、だからといって公的に子供を持つことを制限することに与さない。長谷川豊的な)

もう一つは病気と関連している。病気を抱える身で子供を育てきれないだろう、ということだ。夫は実家が壊滅し、折り合いも悪い。妻はそういうことはないが、余裕があるかといえばそれほどでもない。頼れば助けてくれるだろうけれども。

何回か、そういう事情だからと、別れてもよいと切り出した。

某タレントとは逆の状況だ。

妻はそれでもよいと言ってくれた。だが、うれしさと同じだけの罪悪感を抱えながら生きることになった。それは仕方がない。

結果論として、子供を持って家族数人でやっていくのは不可能であったと思う。病状の悪化、他の病気の発病など、なかなか難儀な人生を送ってしまった。

 

フミコフミオ氏の記事に奥様のことが書いてあった。同じようなシチュエーションはよくある。八つ当たりなのではないかと思うくらい、しつこく言われることもある。すべては私のせいなので、なんの反論もない。読んでいてそれを思い出した。

フミコ氏の「同意したのに」という気分が出ていて、複雑な気分になった。気持ちはすぐに変わってしまうものだ。

なぜか、男女平等にしようという気分と裏腹に、男らしさはずっと要求される。

delete-all.hatenablog.com

(引用させていただきました。悪しからず)

 

誰か記者会見で経団連のトップに聞いてほしい。

「子供の世代に、お前はもう必要ない、と宣告する気分は」と。

なんて答えるのだろう。この世代をさんざん使い倒して、最後は使い捨てる。そう決める気分は。あなたの子供にあなたが直接言うわけではないが、あなたではない同世代があなたの子供にそう言う可能性があるわけです。間接的に自分の子供にそう言うことになる可能性もある。仕方がない?

本心から苦々しい顔を一瞬だけ見せて、それから「断腸の思いだ」くらいは言ってくれるだろうか。親父殿。

 

ドクターストレンジーー十分日記249

ドクター・ストレンジ (吹替版)

金曜日のテレビで、ドクターストレンジを見た。

我が夫婦はシャーロックで、ベネディクト・カンバーバッチのファンになっているので、この作品もとても気にはなっていた。しかし、近くのTSUTAYAが霧消してしまったので、見る算段がなかった。買ってもよいのだが、もう本で我が家はいっぱいである。映画まで買うようになったら、いくらスペースがあっても足りないということになりかねない。多分オンラインでレンタルをしていると思うので、TSUTAYAのサービスに早く入らねばならない。定額サービスは使いこなせるかがわからない。だから、従来のレンタルが我が家にはいいのであるが。

 

さて、ドクターストレンジだが、アベンジャーズシリーズを見ていて思ったのは、どうして日本はアニメですらこれに負けてしまうのだろう、ということだった。

アイアンマンにしても、スパイダーマンでも、キャプテンアメリカでも、戦闘シーンはそれぞれ特徴がある。ドクターストレンジは、もうすごいことになっていて、街中で戦っていても、突然道の先が垂直に落ち込み、立方体になり、道で戦うのではなく、ビルの壁面が地上になって戦ったり、その壁面が屏風を立てるように立ち上がり、倒れ掛かり、崩れ、混沌とし、また元に戻る。そんな場面が描かれる。もう映画館で見たならば、CG酔いするんじゃないかというような展開である。

別に日常を描いているのだから、それでいいのだが、どうして創造の産物であり、絵であるアニメでこれに負けてしまうのだろうか。

 

ストーリーにしてもそうである。

天才外科医だったストレンジは、交通事故で両手に麻痺を負ってしまう。それは現代医療では治すことができないものであった。それを直すために、ネパールのカトマンズにまで赴く。そこで魔術? の師匠であるエンシェント・ワン(古代の人。レディでもなく、パーソンでもなく、ワンというのがちょっとかっこいいと思った。一般的な使い方なのだろうか)に師事する。

この師匠はひそかに地球全体を守っている。が、同時に闇の魔術を用いて、気の遠くなるほど長生きをしていた。最後ストレンジに同じことをするように暗に要求する。

さて、生来の頭の良さからストレンジはどんどん魔術を身に着けていく。それを最後にはエンシェント・ワンは認める。弟子の中で造反したものがおり、それがカリオストロの儀式によって、永遠の命と強い力を得る。

 

壮大な物語であるが、日本人がやろうとすると、もうネパールのカトマンズから現実味が一気になくなる。日本人が行くのであれば恐山になってしまう。日本だけを守るのであれば、物語として成立する。が、日本人が世界を守るとなるとどうだろう。やってしまえば何とかなるのだろうか。異世界の人間に教わるのなら成立する。だからラノベでは異世界に行くのだろう。だが、ネパールはちとつらい。中国は近代化してしまって、こういう舞台には使えない。そんなことを考えながら見ていた。

 

 

ドクター・ストレンジ (字幕版)
 

 

 

「機動戦士ガンダム the origin」第二話・第三話ーー十分日記248

機動戦士ガンダム THE ORIGIN シャア・セイラ編 I 青い瞳のキャスバル

ザビ家に追い詰められたラル家は、当主ジンバ・ラルとキャスバル、アルテイシアを地球に逃がす。三人はマス家に匿われる。キャスバルは15歳、アルテイシアは10歳になっていた。二人はスペインのアンダルシアに住んでいた。アルテイシアはセイラと名乗っている。セイラは難民キャンプにボランティアに行くような優しい娘に育つ。一方のキャスバルはエドワウと名乗る。エドワウは何を考えているかわからない、寡黙な男になる。が、妹セイラにはとてもやさしい兄である。

 

マス家にいるところをザビ家の刺客によって襲われる。刺客によってジンバ・ラルは刺殺される。二人は大けがを負ったマス家の当主とともに、ヤシマ財閥の長であるシュウ・ヤシマに相談し、テキサス・コロニーに移ることにする。その出発のロビーで、セイラとエドワウは、ハロを追っかけるアムロ・レイを見かける。

 

これを見ていて、夫婦で話題になった。

「どうしてシャアはあんなに頭がいい男なのに、『もしかしてジンバ・ラルの言っていることこそ間違っているかもしれない』という風に考えられなかったのだろう」

二人の出した結論は、「結局シャアは、母親を追い込んだザビ家が許せないのだろう」ということだった。

もっと後、アムロとの最後の戦いのときにシャアがこう言う。

「ララアは私の母になってくれたかもしれない人だ」

「情けない奴」

それに対してアムロはそう一蹴する。

今回描かれているように、シャアが母親と別れたのはもしかするとアムロと変わらない年齢だったのかもしれない。が、母親がそののちにたどった道がずいぶんと違った。シャアの母親は確実に毒殺され、アムロの母親はアムロよりも地球にいることを取った女性として登場する。心理的にアムロの方が親離れしやすい状況だった。

戦争に巻き込まれ必死に戦う息子にアムロの母親は、「情けない子」という冷たい言葉を投げる。良い、悪い、ではない。母親から現実に心身を引き離し、それが間違っているかもしれないが、生き続けなければならない。そういう状況だった。

書きながら気づいたが、それと同じ言葉を後年、アムロはシャアに投げつける。

どちらが不幸であったのかはなんともいえない。

が、結局シャアは幼いころに引き離され、殺された母親の幻像のせいで戦い続けたのかもしれない。それは親友でも殺す、強力な動機になった。それが、年齢を重ねてZガンダムではその怨念が剥落、脱力しきった男になる。そのシャアの姿って、やっぱりアニメでは稀有な設定な気がする。

 

機動戦士ガンダム THE ORIGIN コミック 1-24巻セット

機動戦士ガンダム THE ORIGIN コミック 1-24巻セット

 

 

権利の主張ーー十分日記247

自分の権利を主張する人間がなんだか好きになれない。

「権利」というには少し大げさな話なんだけどね。

 

とある受付での出来事。

1~3の受付口がある。

1はメインの受付で、大人数が並ぶ。

比べて、2と3は二つ合わせても1には及ばないので、二つは合同の列になっている。

私は1に用事があったので、1の列にならんだ。というより、たまたまだれも1には並んでいなかったので私が先頭になるという寸法。そのまま受付で処理を頼もうとした。

ところが、2と3の列には数人がならんでいた。その最後尾に並んでいた女性が、「私が先に並んでたのに」と1の最前列の私の前に入ってきた。こういうときは「無理を通せば道理が引っ込む」とばかりに、その女性の受付が先になってしまった。

受付の女性は、私の方が先で、女性は違う列に並ぶべきなのはわかっているので、私に「すいません」とあやまった。たぶん、「しっかり列をさばけ」とクレームをつけても仕方がない。こういう場合は女性ほうが優先されてしまう。こういうとき、「まあいいや」と私は流してしまう。謝られたときも、「いいえ、大丈夫です」と言っておいた。わかってりゃいいのだ。

女性は受付をすますと、逃げるように去っていった。私のことが怖かったのだろうか。

そう思っていた。

自分の受付が終わったとき、もう一度「すいません」と謝られた。受付の人はわかっているのだ。もう一度、「いや、大丈夫です」と答えておいた。

帰り際、近くの交差点で信号待ちをしていると、すぐ隣に車に乗った件の女性が信号待ちをしていた。横に並んだ私とばっちり目があった。気まずそうだった。その女性も自分の過失に気づいていたのだろう。だから、逃げるように去ったのだ。

 

自分の権利を主張する人間はこのような手合いが多い。

ちょっと譲ればスムーズに進むのに、過失をしてまで遮るから、恥をかくことになる。

自分の権利を主張する人間はあまり好きになれない。

「権利」っていうには大げさだったでしょ。

久しぶりにアベンジャーズを見るーー十分日記246

 

今週のお題「特大ゴールデンウィークSP」

アベンジャーズ (字幕版)

アベンジャーズ・シリーズを一番初めに見たのは、「アイアンマン」だ。これが実に面白かった。本当はマーベル(制作しているところ)シリーズなのだと思うのだが、すべては一連のシリーズになっているとも聞く。本当はどうだかわからない。とにかく、マーベルのアメコミものを一番初めに見たのはアイアンマンだ。

日本でも一時期流行った? のは、「復活の物語」だと思っている。いったん、なんらかの理由で凋落した者がもう一度復活してくる、というパターンだ。特に日本の芸能界でもそういうパターンが多かった。若手のころからエリートとして活躍するというのは平成の中盤くらいからはどうも流行らない。有吉弘行やさまぁ~ずが典型だろう。

アイアンマンもそういう物語だ。トニー・スタークという武器商をしている大富豪が、テロリストにとらわれることで改心するという話だ。テロリストには自分の会社の腹心が武器を横流ししていて、その武器を破壊するためにスーツを開発する。

アベンジャーズに参加しているヒーローたちは、そんな闇をどこかに抱えている。みんなのリーダーである(本当はこの概念は間違っているということは後述)キャプテンアメリカも、無敵の超人になったことで様々な葛藤が生じる。バッキ―との葛藤だ。

 

さて、今日5月5日にテレビで「エイジ・オブ・ウルトロン」をやるので、それに合わせて一作目と三作目を見た。いま新作「エンド・オブ・ウォー」が公開されているが、これは四作目だ。

一作目の冒頭の方で、アベンジャーズが集合するシーンがある。

そこで、キャプテンアメリカとトニー(アイアンマン)、ブルース(ハルク)、ソーなどが言い合いになる。誰も他人の言うことを聞かず、言いたいことを言い合っている。特にキャップとトニーが激しく言い合う。

キャプテン「スーツを着ろ、勝負しようじゃないか」

トニーはそれにあおられない。ソーに「ちっぽけな連中だ」と言われてしまう。

正確ではないが、そんなやりとりがある。

そこに敵が襲来する。ソーの弟ロキが敵方なのだが、それを奪還しようと攻めてくる。

飛んでいるステルスの飛行艇の壁が爆破される。敵が乗り込んでくる。

キャプテン「スーツを着ろ」

トニー「そうしよう」

といって、そこから連携して戦う。

つまり、チームとしての目的は忘れていないのである。彼らは非常に頭がいいので、そういうところは見失わない。

 

前回も書いたが、ちょっと「ティール組織」というのに興味があって読んでいる。アベンジャーズのチームの在り方というのが、このティールなのかその前のグリーンなのか、とにかく我々が見聞きしている発展的なチームの在り方に合致していて面白かった。

日本では上述のやりとりや言い合いにもならないだろう。そういうのは醜いと考えるからだ。それに意外と? 個人の感情が連携の足かせになり連携がとれないことが多い。それにそれを是とする風潮が強い。論議をすると、自分の人格を否定されたととる人間が多いのだ。

 

発展的だなと思うのが、このチームがとても自主性が強いからだ。

ロキは四次元キューブを使って、兵隊を呼び込み地球を占拠しようとしている。だが、アベンジャーズのあずかり知らないところで、地球側の上層部もこのキューブの威力を使って大量破壊兵器を作ろうとしている。そこには敵を防ぐ以上の政治的な意図があると見ていい。トニーやブルースはその匂いに反応する。

これにトニーやブルースは反対し、ニック(サミュエル・L・ジャクソン:シールドの長官)たちはそれに従おうとしている。キャップは中立な軍人で、とにかく上から与えられた任務を遂行しようとする。上述の言い争いはその差から起こる。みな目的は共有しているのだが、方法論で差が出ている。

チームは自主、自立的で、敵の襲来を最小で防ぎ、四次元キューブを大量破壊兵器に利用するのを防ぐ。

 

アベンジャーズは終始このような展開がなされていて面白い。

組織論としてアベンジャーズを再度見ると面白いのかもしれない。

みんな意識や考えはばらばらだが、最低限の目的は共有しあっている。その達成をすることの意義も承知している。そんな組織に世界中が向かおうとしているのである。

アベンジャーズはそれがうまく表現されていると感じた。

新作を見に行くか。

……とか言っているとすぐ終わっちゃうんだよね。

映画と欧米人、アニメと日本人の精神形成の関連性は強い。それは機会があればいずれ。

 

 

 

LSDのすすめーー十分日記246

Running Style(ランニング・スタイル) 2019年5月号 Vol.117[雑誌]

LSDをすると多幸感がすごい。

最近、本当のLSDのやりかたをした。私がこれまでやってきたのは急ぎすぎだったらしい。もっとゆっくりと、信じられないくらいゆっくりとやったほうがいい。

その夜、いったん寝たのだが、異様な心拍数に驚いて起きた。これはまずいかと思って血圧計で計ったら、むしろ血圧は下がっていた。いや正常範囲でね。

時間は前後するが、食事前にLSDをやって、ぼうっとしていたら、ものすごい多幸感が襲ってきた。頭の中が気持ちいいのである。

 

LSDとはもちろんアレである。

ネットの情報にアレのやり方が書いてあった。

きわめてゆっくりやるといい。私は勘違いしていて、スピードが重要なのだと思って、時速6キロになるようにすればいいと考えていた。

しかし、重要なのは心拍数だ。正確に測ったことはないが、とにかく「心拍が上がった」と自覚したらゆっくりにする。これを繰り返す。そして、絶対止めてはならない。できるなら信号が少ないコースを選んだ方がいい。

あと、飽きるのでながらでできるものを用意した方がいい。

音楽、ラジオ、英会話の教材、オーディオ・ブックでもいい。長時間に耐えられるものを用意したい。

時間は2時間とか3時間くらい持続させる。

 

だが、LSDには反論もある。

主に時間がもったいない、というのと、フォームが崩れる、効果がよくわからない、というものだった。しかし、これらの反論をする人間は、レースに参加するほどの猛者である。

LSDはあまりやったことのない人間ほど効果が表れると考える。

LSDとはLong Slow Distanceの頭文字である。ランニングやロードバイクでやる訓練方法である。反論でわかるように、もしかするとレースなどの経験者には意味がないものかもしれない。反論を読むときはそれを書いている者のキャリアをよく確認しよう。レースに出ている猛者の意見は我々、ただのダイエットや健康志向の人間には関係ない。我々にとっては、このスロージョグよりも遅く、速足よりは速い速度で走る効果を強く実感できるだろう。

いきなり、体重がドスンと落ち、特に便通が非常によくなったことに驚いた。お試しあれ。