今日の十分日記

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原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

2014衆議院総選挙 どの政党・候補に投票するのか決める前に読みたい本

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 まさりんです。

 安倍首相が衆議院を解散し、その投票が次の日曜日(12月14日)になります。

 

 選挙には必ずと言っていいほど争点があります。といっても、公式に発表されるわけではなく、マスコミが勝手にそれを作るのですが。最近はマスコミの作り上げた争点に政治家が乗る場合もあるようです。

 解散に先立って「衆議院解散予告演説」的なものがあり、安倍首相自身が「アベノミクス」という言葉を使っていたのにはビックリしました。確か、首相自身は言っていないということになっていましたね。それにしてもマスコミ嫌いの人もマスコミがネーミングした語句を使用するのは好きですよね。アベノミクスもマスコミ発信ですし、「ロストジェネレーション」も朝日新聞が作った言葉です。

 

 マスコミの政治評論家や政治家は選挙が好きなんですね。テレビがちょっと浮ついているような気がします。まあ700億円かけたお祭りですしね。必ず意外なことが起こりますし。だいたい、昨日までいた衆議院議員の三分の一が失職するらしいですから。今回はあまり大きな変動はないというのでしょうか。

 

 

 

 

 今回の総選挙の争点は「アベノクスの是非」と「消費税増税」になりそうです。

 とうとう本日株価が一万八千円に届きました。すでにバブルっぽい臭いがしてきています。株価は景気の先行指数と言われます。将来動く何に今の株価が反応しているのか。これだけ、リアルタイムに株取引ができるのに、現状の取引が景気を先行していると言えるのか。

 アベノミクスがどうも先細りになっている気がするのは、今の株高と同じだったのではないでしょうか。要するに、円安になって輸出に有利に働いても、輸出して買ってもらえるような魅力的な商品が存在していないのです。

 

 なんにせよ、これから先の経済がどうなっていくのか読めなければ、選挙といっても選びようがありません。先の展開を読もうと思ったら、今の状況を正しく理解していなければなりません。ただ、今の状況に対して取った選択が正しかったのかどうかとは結果論です。10年後、30年後にその結果は出るのかもしれません。それ故に、結果が出る前の現状況ではよりよいであろうという選択しかできないのです。

 

 現状把握をするにあたって、読んでおいたら参考になると思う新書を紹介します。

 

 水野和夫著 「資本主義の終焉と歴史の危機」という本です。

 

 

資本主義の終焉と歴史の危機 (集英社新書)

資本主義の終焉と歴史の危機 (集英社新書)

 

 

 書名にあるとおり、この本では資本主義自体が終了のときを迎えているのではないか、ということを証明していくというのが内容です。

 

 特に世界史、日本史など歴史が好きな人は、学生時代に図表を眺めるのが楽しかったのではないでしょうか。私も高校時代には世界史の図表を暇なときに眺めるのが好きでした。大学時代、友人とこの手の話で盛り上がり、やはりこういう人間は多いのだと実感しました。

 図表では色々な地域の勢力図が載っています。特に中世から近代、現代にかけて、様々な国が勃興し、衰退していく様が、手に取るようにわかります。「ゲルマン民族大移動」などを図表で見て、「こいつら何がしたかったんだろう」と稚拙な想像力を働かせたこともあると思います。なぜか、そのときにはバチカン市国の勢力の移り変わりがおもしろいと思っていました。

 今の世界にも地図的な物の見方というのが通用します。世界史における「国家の盛衰」のように、あるテーマを用いて見ると地図がさらによく理解できます。現在の国際関係を見るときは「中心」と「周辺」という概念をはめるとよくわかります。

古典的ですけど、まだかろうじて通用しているようです。先進国を「中心」、途上国を「周辺」と取ると、そこに様々な役割が分担されているのです。一応書きますが、これが差別的な視点だと思った方は少々我慢です。

 「中心」は「周辺」に原材料と市場を求め、「周辺」が搾取されるだけなのが、植民地時代です。現代は政治や軍事ではなく、経済とりわけ国家というより国際的な企業がこの関係を作り上げています。

「中心」は先進国で、製品を設計、発明します。企画でもいいでしょう。それを「周辺」に持っていって、原材料、安価な人員、工場用地などを利用して安く製品を作る。そして、それを「中心」やときには「周辺」で販売し、上げた利益を使って再生産していく。労働力も現地で調達するので、やがて「周辺」も経済的に発展します。ただ、これには戦略的に動かないといけません。

 日本も中国も、ヴェトナムもかつては「周辺」の位置にいました。世界の工場として「中心」のために製品を作りました。中国やヴェトナムは今がまさにそうです。この過程を踏んで、富を蓄積し、やがて「中心」つまり先進国の仲間になっていくのです。戦略的に「周辺」から「中心」に移行するやり方を、中国などは取ってきたと思われますが、それについては書く機会があればそのうち。

 今、東アジアと東南アジアが、世界の工場の位置にあります。これが「中心」になっていくでしょう。次にこのような位置に行くと言われているのが、アフリカ大陸です。だからか、中国はアフリカでのインフラ整備で存在感を強めているそうです。ユーラシア大陸の内陸部や南米も同様に開発が行われていくとなると、いずれ世界で開発する地域がなくなっていきます。と、書いていて、結構まだまだ未開発の地域があるではないか、と思ってしまいました。

 図表のように眺めていくと、「周辺」がやがて消滅すると言うことに気づきます。物理的にこれ以上拡大しようのないという限界点がいずれ来る。それも、百年は持たないでしょう。中国が高度経済成長を始めたのが、90年代後期です。それが、2014年現在、少々失速しているように感じます。日本の成長が朝鮮戦争当たりから1970年くらいまで、その余波が80年代後半のバブル終了までと長めに取れば、日本の成長期は40年くらい、それに比べれば少々短くなってきています。高度成長から衰退までのピッチは加速するかもしれないと、筆者は予測しています。それにアフリカよりあとは仮定していないような感じも受けます。それには筆者なりの根拠があるのです。資本主義の終焉を示す指標です。

 

 その指標の一つに利子率があります。

 利子率=利潤率(利子率は国債の利回りのことだと思ってください)

 です。つまり、この利子率が異様に低い状態というのは、投資をしても利潤が回収できないという状態です。すべての社会制度がこの利潤があるというのを前提としているわけですから、利潤がないというのは社会が維持できないということです。

 

 利子自体は13世紀に不当に得た利子であるウスラと区別する形で事実上黙認されました。もちろんヨーロッパの話です。日本では普通に課されていたらしいです。キリスト教の聖書の思想に、金利を自由に取らないことが影響されています。というものの、実際には30%あたりを上限にとっていたようですが。その密かに取っていた利子を公認するようになるのが、1500年代前半なわけです。

 さて、それから超低金利になった時期というのがあります。それは1600年代初頭のジェノヴァです。11年間に渡り低金利になりました。これを1997年から更新したのが日本です。実はこの利子率2%というのが利潤を得る最低限の値なのだそうです。日本はそれが20年近く続いています。

 ジェノヴァの低金利状態を「長い16世紀」と呼ばれますが、それにならって「長い20世紀」と著者は呼んでいます。「長い16世紀」を経て、欧州は近代になっていきます。近代の条件というのは難しいのですが、水野さんがそうだと言っているのだからそうなのです。(ちょっと面倒になって来た)

 

 この利潤率の低下の原因には交易条件の悪化というのもあります。

 交易条件は輸出物価指数を輸入物価指数で割った比率で求められるものです。輸出品一単位で何単位の輸入品が買えるかを表す指数です。

 日本を例に単純化して説明してみましょう。ある年に自動車一台の輸出で一単位の原油輸入が対応しているとして(交易条件指数=100)、翌年に原油の輸入価格が二倍に上昇し自動車の輸出価格が不変であれば、交易条件指数は50へと半減します。この場合、自動車一台で原油は0,5単位しか輸入できなくなって、日本の交易条件は悪化したことになります。

 

 

 説明するのが面倒なので無意味に引用してみました。

 要するにこういうことが起こったのだと思ってください。大体1970年代のオイルショックから交易条件が悪くなりました。しかし、日本は頑張ったのです。アメリカの要求による省エネ技術の開発と合理化で80年代を乗り切ったのです。しかし、99年以降、資源価格が高騰したことで再度悪化しました。99年からの交易条件の悪化の背後にはBRICSなどの新興国の台頭があるので、交易条件はそれだけ長期化することになります。それに加えて、00年代後半にオイルの価格がめちゃくちゃに上がったことも憶えている人も多いでしょう。どちらにせよ、原油の価格が高騰することによって、輸出があっても、利益が少ない状態になってしまったのです。

 筆者曰く、80年代までに「中心」と「周辺」でできあがっているシンプルな世界の構図は限界を迎えます。では、アメリカを中心とした欧米諸国は(日本ももうプレイヤーでしょうね。筆者は区別していますが、被害者面はない)、どのような延命策を取ったかというと、発達したIT通信技術+グローバリズムを使って、架空の金融世界を構築することです。「中心」と「周辺」の世界の上位にこれを創造したというのが、筆者のイメージです。x軸とy軸だけだった世界にZ軸を加えたような。

 ただ、この延命策も、やり過ぎて崩壊します。2009年のリーマンショックです。金融工学を駆使したリスクの細分化が、やがて世界中の至る所に時限爆弾を埋め込んだ形になり、それが爆発したのです。筆者は、これと2011年の東日本大震災における原子力発電所の制御不能の状態を合わせて、現段階における最先端技術の限界だとしています。

 

 なんにせよ、原材料費が高騰すると当然商品の値段が高騰します。価格を抑えるためには・・・・・・、人件費を抑制すればいいのです。すると、所得が減少するのですから、人々の購買力が低下、商品が売れなくなってさらに価格を落とすために、人件費を抑制・・・・・・。というようにデフレスパイラルに陥っていくわけです。気づきました? 原材料より人件費削ってやんの。

 とにかく、日本の現状を見ていると、人件費を削りやすいように、削りやすいように、法律など制度整備をしています。派遣の人々が正社員になりにくくなるという噂もちらほら。政治家は派遣社員の増加を持って、「雇用が増加した」と詭弁を弄すありさま。

人々の意識も、他人に職を奪われたくないからというのが本音でしょうが、フリーターニート、派遣、これらの就業状態の人々に、同じ仕事をしても同一賃金を認めない。つまり、差別を基に正社員の地位が安定しています。歴史が終焉するときの姿です。死屍累々の上に築き上げられた利益にどれほどの価値があるのか。こうして、先進国各国で中産階級が壊滅していきます。国民の購買力を期待した経済システムが無効になります。

 

 なんやかやで、利益が得られなくなったので資本主義が終わるということです。問題は次の時代はどんな時代になるかということですが、筆者にはそれがどんな時代になるのかはわからないようです。ここで無責任なことは言えないでしょう。

 

おそらく、近代資本主義の出発である「市場」にしても、それは新しく創造されたというより、もともと存在していたものを発見したのだと思います。需要と供給というのを販売者は意識して価格などを設定していたのだと思います。そして市場の場合、それが原理的に価格や利益を産出していたので、市場に対する理解が必須だということになっていったのでしょう。そして、それ以前に利益を生み出していた植民地主義が末期になっていたということも、市場至上主義への移行に背中を押したと言われます。つまりは本書の筆者の分析は正しいのかもしれません。

もしかするといまもう出現している何かが、市場に取って代わるのか、貨幣の役割にが何かに代わるのか。とにかく資本主義が終わるまでに何かが始まっているはずです。

次の時代に備えるために、国家がどのような状態になっているべきか。筆者はその状態を「定常状態」と読んでいます。「定常状態」とは、ゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレの状態です。「定常状態」とは、わかりやすく言えば、フットワークのいい状態のことだと思えばいいです。三つの要件の内、ゼロ成長とゼロインフレ

 

 江戸末期なら武士という最上階級の最底辺層(わかりづらい)が危機意識から立ち上がりました。もちろん、そこに欲得がなかったとはいえません。だから、薩長だって同盟を組めなかった。でも、今回の時代の節目には本来立ち上がるべき人々は立ち上がらないでしょうね。そんな義憤を感じている人は少ないでしょうし、外国が攻めてくると感じている人は、少数の特殊な人々。

 もっとも、鬱屈している人々。今度の主役はそのような人々なのかもしれません。もうすでに正社員すら既得権益層です。書いていて哀しいけど。

 

 ただ、そのような人々に必要なのは、武器ではなく、先に書いた「地図的な物の見方」つまり、広い視野です。今、経済にさほど興味が無い人にこそ、この本は読んでほしいと思います。

 

 

 

 

資本主義の終焉と歴史の危機 集英社新書

資本主義の終焉と歴史の危機 集英社新書