今日の十分日記

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原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

村上春樹さんブログ「論破する人」。でもそういう時代かもしれない。いやだけど。

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 今週はゆるゆるやらせてもらっているまさりんです。

 今回は村上春樹さんのブログから引用させてもらって書きたいと思います。

 

 

 村上氏のブログに以下のようなものがあった。

 

 

www.welluneednt.com

 

 「押しつけがましい人が苦手」ということなのだろう。

 読んでいてドキドキしてしまった。昨晩、家人と同じようなやりとりをしたからだ。もちろん、論破しているのが自分だ。一瞬「やっちまったか」と思った。しかし、冷静になったら、間違ってなかったのではないかと思った。

 家人はお人好し+押しに弱い、という傾向にある。さんざん本を読んできても、人の気持ちが上手に推し量れず、しかも強引に押されるとなんでも呑んでしまう。小説の人物の気持ちは上手に取れるのだが。

 周囲の協力もあり業務実績は悪くない。その組織のなかではトップレベルだ。だが、もともとの性向を鑑みれば、人を束ねるような人間ではない。それをトップが管理職に就けた。今月からそれが始まっているのだが、誰も彼もが家人を押し切って上手く自分の都合に合わさせようとする。全体のことなど考えないのだ。トップから「組織の状態は酷い」ということを聞いていたが、本当に酷かった。

 私が「論破」したのは、「全体のことを考えるようにクセをつけさせろ」ということと、「解決をしなければならない」ということだ。結局家人は逃げたいのだ。というより、「逃げたい」とはっきり言っていた。ふわっとした解説で分からないかもしれない。申し訳ない。

 もっとも、私にも反省しなければいけない点はある。鈍足な人間に、人並みに走れと言っているようなもの、PentiumⅡのCPUにPentiumⅣ並みのことをしろと言っているようなもの、つまり機械の特性を考えなかったということだ。人並みであっても、できないものはできないのだ。それを考えて、ゆるゆるとしたアドバイスをすべきだったのだ。ただ、拝命した以上はなんとかしなければならない。なんせ、通常以上のことを要求されているのではなく、常人並みでいいのだから。誰だって欠点はある。しかし、開始一〇日あまりで逃げることはない。(どうも、家人学生時代からそうやって逃げて生きてきたらしい)

 

 それに一般的に言ってもコミュニケーションを取らなければならない時代になってしまった。なぜなら、人々の前提となる設定がバラバラだからだ。階層社会しかり。学歴しかり。収入しかり。家族の状態しかり。非正規雇用しかり。学校から(大学から)卒業後に入った会社にずっといると特にそうだが、みんながみんな同じ状況で生きていると錯覚する。これを読んでいる人がどうかわからないが、新卒から一本できた、特にいまアラフォー以上の人はそういう傾向が強い。

 バラバラなのだから、お互いのことを鑑みながら、丁寧にコミュニケーションを取らなければいけないのだ。それには知っておかなければならないことがある。それは以下のエントリーがよく示してくれる。

 

 

orangestar.hatenadiary.jp

 

 どうだったろうか。上司や謎の人々は酷いと思う。それはそうだが、他人は自分の立場で自分の立場を優先して話すということは当たり前のことだ。本当はお互いがお互いの立場を尊重するのがいいのだが。まずそうはならない。

 この上司は実に弱い人間だ。一人目は詭弁を弄して、自己の失態を相手に押しつけようとしている。心根が弱く、とにかく今の状況から逃げたい。それを主人公は受け容れている。この主人公は心が弱いというより、今の社会の常識からすればふてぶてしい人間となってしまう。本当は違う。言いたいことが言えないだけだ、ということは十二分に理解している。著者も心根の弱い、そして優しい人間なのだ、という設定をしているつもりだろう。それは上司や他のキャラクターの絵の比較でよく分かる。ただ、同じような見た目であれば、彼女はきっとふてぶてしく写ってしまっても仕方がない。

 きっと周囲の人間はこう思うだろう。「明らかに間違っているんだから、言えば良いのにね」と。「ああいうヤツがいるからつけあがっていくんだよな」と。もちろん相手の上司が悪いのだ。でも。いつのまにか彼女が悪いことになってしまうのである。これが現実なのかもしれない。

 三人目も同じだ。自分で殺したと言いながら、相手を責めるのである。主人公は反論できない。だが、本当は反論、この人を糾弾せねばならない。そういう立場を主人公が取るのであれば、やはり責められるのは主人公だ。(マックの件はどうでもいい。だが、こういう人は多いと思う)

 もう一度言っておくが、こういう主人公だって存在して良いと思うし、無能だと思わないし、死ぬ必要はない。こういう世の中が間違っていると思う。ただ、コミュニケーションを取らなければならない時代においては、ややもすれば主人公の方が嫌悪されてしまうのである。

 要するに戦わなければならない時代なのだ。ため息が出るが、仕方ない。「勝て」とは思わないが「負けるな」とは思う。引き分けで良いのだ。本当は当意即妙な返しで笑わせれば、いいんだけど、たぶんできないよね。

 うちの家人もそういう時代だと割り切って対処しないと、無能の烙印を押されてしまうのである。いやな世の中だ。

 

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