こんにちは。宇多田ヒカルを一枚も聞いたことないのに、椎名林檎の歌う宇多田ヒカルには興味津々のまさりんです。
なんだろうね、AUTMATICが発売になった頃、千葉県民御用達、BAYFMの夜の番組にコメントを宇多田ヒカルが出しててね。それが妙に小生意気、ワッツアップ、ワッツアップ、的な、ヒップホップ的なフレンドリーさでコメントしててね。それを聞いてから、どうも好きになれないのよ。代表的な曲はさすがに聴いていると思う。AUTMATICとTRAVELLINGは良い曲だと思うんだけどね。みんな曲とか歌詞が気に入るんだと思うけど、宇多田ヒカルの一番の良さは声だと思うね。だから、歳を取って、活動が停滞気味になるのはよく分かる。
余談が過ぎた。今日は「第七回 短編小説の集い」の感想を書きたいと思います。数日に分けて書きますよ。
5月10日分
上記の小説は推敲後の作品、下記のリンクは推敲前の作品です。
佐藤という謎の女性がやって来るという話。推敲前の長いバージョンだと、途中でそういうことか、と女性がどこからやってくるのかが分かるのですが、推敲後でそれを想像するのは難しいと思います。
長くなってしまったという感想が書いてありました。「一番書きたい場面を一番最初に書いておくと、そこから短くしていくといいよ」と書こうと思ったのですが、この長い方から、この場面を中心にする、と決めるのは至難の業だと確かに思います。推敲の困難さがよく分かります。
長い方でも、三人の関係は分からずじまい。親子かな、と勝手に推測しました。
今回の作品も読後にいろいろ想像してしまう作品です。
内容としては、震災当時のことを思い出してしまうような内容でした。なんだかんだと、街を逃げ出す金持ちや政治家のあたりです。なんだかんだと、右往左往していた当時の首相を思い出しました。人心はここまで荒廃していないと信じたいですが、ギリギリだったという話もちらほらマスコミから出てましたね。マスコミの書く内容ですから、噂話程度の信憑性ですが。
「絶望的にわずかな光明」をアキは見いだすのですが、この未来への感覚は現代的だなと思いました。きっと二人は展望が開ける土地まで旅を続けていくのだと思います。それに対し、土地や人々のしがらみにとらわれ、動けないという大人である父親の像がとてもリアリティがあると思いました。それこそ、資本主義の世の中、金のない一般市民は、しがらみを越えて移動するという手が取れないという悲しさ、ですね。変化を肯定的に取れるのも、若さですね。
未来はどうしたって理不尽だという暗示なのだと思います。
ずっと今夫が未来子に告白をしつづけるというシニカルな笑いが展開されます。たぶん周囲の反応も、五分前と同じですね。
九〇年代に村上龍が「五分後の世界」という作品を書きました。五分後のパラレルワールドにタイムスリップする主人公の話です。その世界では、戦後日本の統治計画が実際とは違い、日本は米ソで分割統治されています。それに納得いかない、旧日本軍のレジスタンスが長野の山中に籠もり、戦い続けているという設定でした。
この作品はさしずめ「五分前の世界」でしょうか。未来子さんも五分後に待ち受けている運命について知っている様子です。だから、今夫は必死にその損得も交えて口説きます。しかし、そもそも口説かないという選択はないのでしょうか。そこに気付くのは何度目の「五分前の世界」なんでしょうかね。
この主人公は確実に中学デビューをするでしょう。再婚の困難さがよく分かります。よく聞きますよね。再婚後、子どもが生まれて、なんとなく自分が邪魔者になっちゃって、居場所がなくなるなんて。特に中学入ったばかりなんですもんね。悪い想像しかできないよね。
親の都合ってものもあるのだし、そうそう無礙に責められないけど、どうして高校に入るまで、十分に時間を取るか、もっと小さな頃に再婚しないのか・・・・・・、言っていて空しいですね。そう都合良く行かないものですよね。
家庭が不安定だと、学校も勉強もクソもない、と自己の経験からも思います。こういうタイミングで出逢うのが、佐竹みたいなヤツというのも、弱り目に祟り目。泣きっ面に蜂ですね。好きな女の子だったりすると、顔見ただけで泣いちゃったりして。
まったく、学校の先生も酷なコトするなあ。だいたい、今二十八でしょう。一〇年前って、二〇〇五年はもう全員が夢一杯の将来なんて描けない年代です。こういうのやっちゃだめ。
それにしても、この主人公がブラック企業にはまってしまう、性格的な要因が手紙に出てますよね。今の受験って、「一応」将来の志望を固めてから逆算的に決めていくのが定石ですからね。「一応」を強調しておきました。こういう生徒の方が少ない。それに向けて、「一応」職業体験をするわけです。そこに上手に乗れない主人公の性格がブラックにはまる原因でしょうね。
結局、この企業、ブラックなのは上司の性格なんですね。出社時間が分からないので何とも言えませんが、午前様の仕事だってあります。ブラックかどうかって、死人が出てなくて、ワンオペなどの奇妙な業務形態を取っていない限り、相対評価なのです。ただ、結局同期が消えていくのだって、上司のやり方のせいでしょう。
辞めるのならば、小説のなかくらい、上司に一矢報いて欲しいと思ってしまいます。記録も取ってないんだろうな。なんてつらつら考えました。
主人公の言う「蔵」とは酒蔵でしょうか。味噌かな。醤油かな。
ならば、名を残すような仕事は可能です。良い商品を造れば良いのです。現に名古屋ならずっと生き残っている「蔵」も存在するでしょうね。
主人公は聞き分けが良いですね。やはり今どきの女性の話だと、「ついていく」という選択肢はないのですね。昔のトレンディドラマだと、ついていくべきか、とどまるべきか、という葛藤が描かれていくわけです。逆はないです。女性が出世コースに乗り、男についてこいというトレンディドラマはまずない。そう考えると、徐々に職業人として平等になってきたということなのですかね。それはいいことなのでしょう。だから、今の女性は葛藤などせずに、自分の仕事を当たり前のように取るのだろうか、と思いました。今をすごく感じる内容がとても興味深かったです。
ただ、恋は「業」ですから、傷ついてない、発展的解消だと思っても、しゃちほこの眉は動いていたでしょうね。(決まった!!)
競争のなくなった世界。
でも、人間の本能では競争したいという欲求はそんざいするわけです。だから、Arkはその欲求を満たすように、仮想空間で競争させることで、闘争本能を充足させるのです。だから、描写にあったように、それぞれがそれぞれのスタンスでゲームを遂行する。そうでないと、本能の充足は得られないのですね。
そう考えると、ゲームという装置が存在する意味があるわけです。オーストラリアの一部の地域では、子どもに暴力表現や性的な表現を見せないそうです。テレビからも徹底的に排除するのです。ディズニーかなんかの映画すら、「暴力的だ」と排除する始末。日本のアニメはほとんどだめでしょうね。
ゲームなんかもそういう方向に行きそうなのですが、それを効果的に存在させているのが面白いですね。
五月一一日
以下の分析は男目線なのかな。
きっと冬子は飛び上がりたいくらい、春彦と結婚できて嬉しいのに、なんか照れ隠しというか、夏海を慮って、ちょっとよそよそしい態度を取っているのかな、と思いました。「照れてるな、このやろう!」に、「いや違うから」と突っ込んでしまいました。わざわざたこ公園で結婚の報告をしているのもそう。ちょっと夏海の性格が面白いですよね。春彦の分析にしても、ちょっと間が抜けている。手紙にもそれが出ている。
ゴレンジャイごっこも、夏海が喜ぶから冬子はやっていたんだろうね。好きなんだよ。きっと結婚したって、子どもができたって、何者にもなりたくないという冬子の葛藤が読み取れる作品だと思いました。冬子の葛藤って、男女共通かね。
えこさんはどっちなんだろうか。「冬子:夏海=7:3」くらいかな。語り手の夏海の心情を表しているようで、メインは冬子の心情を描写している、という結構高等なテクニックを駆使しているように思えます。ざぶとん三枚。
現代のおとぎ話といった感じですね。
昔水木しげるの妖怪ものに、おばけ列車的なものがありました。内容は忘れましたけどね。たしか幽霊や妖怪を乗せる専用列車で、終電後に走るんじゃなかったかな。
広がりのあるお話です。今度柳井さんの長年の経験のなかから、特に印象に残るエピソードを聞かせてもらいたい、と思いました。そして田舎で幻想電車を走らす柳井さんの話もかけそうですね。短編集のように話を重ねられる設定だと思いました。
想像電車ではなくて幻想電車というネーミングが素晴らしい。乗客からのイメージですよね。乗客からすれば、実態のない幻想のような電車ですから。その幻想電車が経年劣化するというのも面白い。ただ、いずれ実際の電車に乗ったことのある人がいなくなりますよね。そのときはどうするんだろう。
たまたまなのでしょうか。今日読ませていただいた作品はみな希望に溢れる作品ですね。この作品もそうです。一歩踏み出す勇気ときに葛藤がなくてすすめて良かったと思います。高校入学のときです。入学試験に受かったとしても、一歩踏み出せるかどうかは別ですからね。お母さんと同じ学校だという安心感がそれをさせているのかもしれません。
自分を救うのは「自分」だけだという暗示でしょうかね。そう考えると、この優しい小説が厳しい小説に変化し、その厳しさをミクは勝ち抜いてきたという強さが出てきます。それも自分の力で。
同級生は学校に行かずに進学校に行ったミクに対しどのような感情を抱いているのだろう。きっとなかにはやっかんだ人間もいるでしょう。そう考えると、不幸にもいじめを受けた人間がこの小説を読めば、爽快な話になるかもしれません。
シンプルな話なのですが、読んだ人間によって顔が違う話になるのかもしれませんね。この話に悪感情を抱いた人間とは友だちになりたくないなあ。
先日活動休止を宣言された満蔵さんの作品です!
なるほど。大体感想を書くまでに一週間の時間を空けているのです。それは自分と他の読者が作品を咀嚼する時間を置くためというのが主な理由です。それくらい時間をかけてゆっくり味わって欲しい文章です。超純文学です。美しい。さすが、「美の特攻隊」。
秋の中頃かな、台風が来ているのですから。その時期に見た、越冬蛹(一応註:えっとうさなぎ)から、春(チョウチョ)や夏(蛾)を想像しているというのが作品の骨子だと、私は思いました。つまり未来を見ている、と。それを完璧な一人称の描写だけで書かれている。これは私も書きたい。けど、家人に見せると、大体「わかりにくい」と却下されてしまうのです。むぅ。嫉妬します。でも今回はそのギリギリのラインを狙った作品を書きました。
と考えて、コメントを見ると、やはりそうですね。季節の移ろいを書いた、と。最後の草むらの褪色や朱を発見し(冬の訪れ)てからの、腕についてが一番難しいのです。これはあえて意味がない、と解釈したい。本当にそういう出来事があったのだ、と。ボールを取ったのか、何を取ったのかは不明です。見えなかったということは小さなものでしょう。「秋を盗んだ」というのはなんかいやな解釈です。やはり、ここは事実だけでいいのでしょう。
ブログ、小説だけは続けられたらいかがですか。詩人の小説という感じで、とてもいいです。長編を読んでみます。大好きなテイストです。
完璧な世界から始まる、という構図は神話のようです。ただ、必ずそこには破滅のための装置が用意されていて、いつしか無謀にもそれを使用してしまうというのは人間の性です。今回のお話では、三種類の魔法でした。人間の永遠の夢は「不老長寿」、「金銀財宝」の二つです。「時間を操る魔法」は「不老長寿」に繋がると思ったのですが、そうではないようですね。これに加えて、「空間を操る魔法」だというのが面白い。一体どのように使われたのかは語られていません。温泉を掘ろうとでもしたのか・・・・・・。下らないですね。
「時をあやつる魔法」を守る少女もいずれ、封印がとけて旅に出るわけですが、やはり魔法がどう使われたのかは分かりません。もしかして平和なときまで、時間を戻すのかなと予想しましたが、そうではなかったようです。ただ、封印が解けたところから三ヶ月が経過したことはわかり、三ヶ月後には平和が戻ってきているようです。
いったい、三ヶ月の間になにが起こったのか、続篇があれば読んでみたいですね。ここで終わらすのがもったいないです。
この小説、一番の謎はタイトルが「いたずら」なんですよね。誰のどういういたずらなのか。結論から考えれば、二人は結婚するわけです。ということは、事故にあっても必ず復帰して、二人は結ばれる。もちろん、彼女の言っていることはハッタリである可能性もあるわけです。ここはハッタリではないとしましょう。
考えてしまうのは、これはすべて彼女のいたずらであるということ。いたずらで事故にあったのか。だとすれば、すごいいたずらです。
いや彼女のいたずらではない可能性もあります。というのは、未来が見えると言いながら、自分が事故に遭う未来は見えなかった。彼女が見える未来は些細なものが多かった。その割に人生の重要な決断である結婚は見えた。ちぐはぐなところがあります。言ってしまえば、「かみさまのいたずら」なのかなあ。言ったり言わなかったりというのが、彼女のいたずらなのかもしれませんが。
拙作について。
あまり語らないようにして。実は、これは空港の話が一番最初に作ったメインの話であるというイメージで、田植えのシーンはあとから加えようと思いました。田植えは今はやっていませんが、大学生のときまで毎年のように手伝っていました。そのときに見た風景をできるだけ丁寧に思い出して、書きました。家族に見せると、「ちょっと冗長だ」という意見があり、リズムが出るように書き直しました。
田植えができあがってから、田植え=過去、モノレール=現在、羽田=未来、という流れが浮かびました。とってつけたように見えたのは、「羽田=未来」の描写の拙さでしょう。なんとなく何年経っても、誰に向けて作ったのか分からない装飾の空港を作っている感じがして。羽田の江戸のディスプレイは本当に外国からきたお客様のためでしょうか。
おそろしく登場人物の名前が錯綜していますが、9で柿崎と元子ともーちゃんが同一人物だということが分かります。(再度メモを取りながら読んでしまいました)巷ではブラックバイトという用語がついに出てきました。ブラック企業やブラックバイトが出てきた背景には、若者の厭世観があるのだと思います。もちろん、ブラックな状況を推奨したいわけではありません。しかし、どこか九〇年代後半や00年代初頭くらいは、まだまだそれが企業の将来、自分の将来、社会の発展に繋がっていくような幻想があったように思います。今の若者はそれをまったく信じていない。それはおっさん、おばさんの目からは、厭世的に映るでしょう。その感覚が正しいのかは分かりません。
だからか、自分のためというより、他人のために元子は頑張る。そういう元子の像がリアルなのかも知れないなと読みながら考えました。自分もブラックバイトの経験がありますが、やっぱり理由は居心地の良さでした。身体もぶっ壊れました。「だまされてはいけない」。それほど後悔もしてないんだけどね。
あと、柿崎と上司が話しているシーンで揺れているピンクのカーテンはどこのカーテンなんだろうか。病室はベッドを囲むカーテン。もーちゃんの場合、部屋のカーテン。そこのカーテンだけ分かりませんでした。
これは・・・・・・。考えなければならないのは、不妊の原因は大将にあったわけですね。故にこのような決断になるのか。この二人のそれぞれの決断が、正しいのか。ただ、男と女なので、ましてや人間なので、常に正しい決断をするとも限りませんよね。
読みながら自分ならどうするのか、ということを考えていました。最終的にはその場にいないとわからないと思いました。秘密を二人で抱えて生きるというのは別にかまわないと思うのです。ただ、二人の人間関係がどう変化するのか。不妊の原因が大将であったので、お互いがお互いに後ろめたい気持ちを抱えていきます。これに耐えられるのか、というのがテーマになるのかなと思いました。
分からないのであるから、好きな者同士がずっといるのも「あり」なのかもしれません。
これは「だめよ~、ダメダメ!!」ですか。読んでいて、彼女たちの顔が浮かんできました。ただ、「ダメダメ!」とは言わないのですね。最後の電話もあちらのネタと逆ですね。
この小説、タイトルは僕と「僕」。愛香は明らかに女性の名前。だとすると、「僕」はおネエさんなのかな。おネエさんではないという確証がない以上、この愛香は派遣型おネエさんだという風に解釈します。
訂正:みどりの小野さんの感想を書いていて気付きました。「僕」とは下僕の僕なんですね。
BLファンが喜んでしまうかも知れませんが、結構男同士って、こういうノリがありますよね。これはちょっと距離が近すぎますが。男惚れってこともありますし。
でも、こういうのって教師に相談できるんですね。思春期だからこそ、先生に相談するというのはハードルが高いです。よほど良い先生だったのでしょう。
ただ、三〇代半ばの先生が定年の年齢なんですから、中学生のころから二十五年は経過しているわけです。思いが強すぎますね。たぶん、次の恋に行くでしょう。お互いそこに留まり続けるのですから、結ばれるのは必然でしょうね。
リサに一言いってあげるとすれば、「これが理想的な亡くなり方なんだよ。苦しまずに、ポックリ逝くのが理想なんだよ。きっとお祖父ちゃんは天国に行くってことさ」でしょうね。
とても素直な展開の小説だと思いました。
子どもの「未来なんて見えない。だけど走りたいから、遠くへ向かって走るのだ」という強いメッセージのある作品です。描写だけでそれを体感させるのは素晴らしいと思いました。そしていつだって、スニーカーと一緒におじいちゃんがついている、荒野かもしれないし、沃野かも知れない未来に向かって走るのに、リサにとってはこれほど強い味方もいないのです。未来なんて分からないよね。
昔はサラリーマンをしていた――山田は記憶を失っているのではないでしょうか。ボーン・アイデンティティのようなストーリーの出だしです。きっと二人のエージェントに連れ去られた山田の戦いがこれから始まっていくのです。
だってそうでしょう。「アンコ・サツマイモ・サンド」。そんな甘すぎるものがこの世に存在するわけがないのです。小倉マーガリンくらい奇襲的な組み合わせです。しかし、我々は騙されてはいけない。「あん・さつ」。そうです。山田の言うとおりです。
往々にして常識を持っていると考えている人間は、大多数に過ぎません。でも、大多数が同時に間違えることもあるのです。山田がこれから真実を暴いていきます。無くした記憶を求めて。このお話を読む私たちは世界がひっくり返る様を見ていくのです。
「イソハヤミ」とはなんなのか。そこから考え始めました。どうやら人物名で良いようです。彼が塔から落ちたところから物語は始まります。塔の外は空気が汚い世界です。基本的に塔の外に出ないようです。この物語の舞台自体が未来の世界のようです。
労働は中央集権的にコントロールされているようです。医療も自己回復力を利用した治療をしています。なんとなく、全体的にファンタジーの要素とオーウェルの「1984」のような匂いのする小説だと思いました。
描写がとても精緻で、丁寧に読んでいくと光景が頭に浮かびます。とても上手だと思いました。続篇があるといいですね。
TRICKに同じようなエピソードがありました。占い師が宗教的な展開をしていて、AさんがBさんの悩みを解決するように人為的に誘導するという話です。それで金を儲け、不動産をせしめます。目的があるのです。
このアプリを開発した女性は、なにを目的としてアプリを開発していたのか。それが語られないことが一層不気味です。やろうとすれば、日本くらいなら統一できるのかもしれません。
人間文脈に沿って生きているのだと感じることがあります。もしかすると、誰かに操られているのかもしれませんね。さされるは文字通り刃物で刺されるのではなくて、裏切られるということでした。
「アルジャーノンに花束を」のような物語は受けが良いのですがどうしてでしょう。頭の良さと幸福は同時に満たされるとは限らないからでしょうか。なんとなく、世の中には生きるのに最適なラインみたいなものがあって、それ以上でもそれ以下でも最適な幸福状態になれないように見えます。
サトルはこのラインから逸脱しようとしているように、妹からは見えたのでしょう。でも、担任に相談してしまうのですね。下手をすれば学校じゅうに広まる可能性があるのに。危ない話であればあるほど、教員にはそうだんできませんよね。
一番最初の一文が、貴志祐介の「青の炎」の出だしのシーンを思い起こさせました。確か、主人公が海沿いを高級な自転車で疾走するシーンから始まりましたね。
地の文が面白いですね。普段のゼロスケさんの語り口のようです。つまり、ゼロスケさん視点で物語が語られているように感じます。いつもゼロスケさんのブログを読んでいると、この面白さが伝わるでしょう。
ケビンが途中から見ているのは、最期に人生を振り替える、走馬燈なのではないでしょうか。きっと走馬燈を見ている時間は、実際には数秒くらいの間でしょう。一瞬です。でも、その人間が送ってきた豊かな人生の全てが見られるのです。それが最悪の人生だったら、最悪の走馬燈が流れる。これが閻魔大王の裁きなのかもしれません。
未来に、過去を見る。なんか面白い話です。個人的には、ガンダムUCのサイアム・ビストの顔が終始浮かんでしまいました。
今回はちょっと難しいお題でしたが、みなさん工夫されていて、面白かったと思いました。次回も楽しみましょう。