こんにちは。まさりんです。
今日の一四:二八分頃、関東地方で地震がありました。私のところでは、ちょっと大きな地震というくらいでしたが、茨城では震度五弱を記録したようです。大丈夫でしたか? どうも箱根や鹿児島の桜島などの火山の様子を考えても、日本列島全体が活発になって来ているように感じるのです。まあ、東北の震災から五年しか経っていないことを考えれば、まだまだプレートなどが不安定なんだろうな、なんて素人ながら思ってしまいます。考えすぎですよね。
今日は「天智と天武日本書紀の真相」という本の感想を書く。作者は関裕二氏である。
大学入試を日本史でやったかたはご存じであろう。日本が歴史上、書物に登場するのは後漢書が初めてだと教わる。その後漢書にあるのは、「倭の奴国があった」程度の話であって、具体的な国家の話ではない。
この時代や古代がどんな時代であったかを把握するには、本来記紀の時代(古事記・日本書紀の時代)の読み解きが不可欠なのであろう。
だが、明治近代国家が終戦まで、その権威の依拠するところが同時にこの神話の時代であった。明治帝の権威の源泉が神話から続く血筋であった。反転して戦後は記紀、神話の時代は否定されることになった。科学的根拠のないもの、文学的なものとして歴史の証拠文献としては一段低く見られていたような感じがする。まるでおとぎ話扱いだ。左翼的な歴史観(自虐的歴史観)の時代はそうであった。
ただ、ここのところの流れとしては、この記紀の読み解きをするものが増えてきているように思う。もちろん、いつものように素人の実感だ。
今回のこの本も日本書紀の読み解きを目的としている。時代は、大化の改新の時期である。はたして天智天皇、中大兄皇子は本当に律令制を作り上げた英雄と言えるのか、というのを検証したものだ。
この時代から奈良時代を経て平安時代の初期までは、天智系の血筋と天武系の血筋の相克であったというのは聞いたことがあった。しかし、紛争は臣下にまで及んでいた。具体的にいってしまうと、大化の改新の時期は蘇我氏の閨閥と中臣氏の閨閥の争いでもあった。筆者は中臣氏はその後滅んでしまった百済の王子であったと予想する。その王子と中大兄皇子が組んで政権を掌握しようと暗躍したのが大化の改新であった。その後、蘇我氏の治世が最悪なものだと書かれてしまうのだが、筆者はこれにも疑義を呈する。今でもそうだが、政敵を屠るときに謀略を尽くして、暗殺などを多用すると、大体軽蔑される。
蘇我馬子と蝦夷を暗殺した中大兄皇子は天智天皇となり、最終的に蘇我倉山田石川麻呂という協力者まで暗殺して、四面楚歌になる。タイミング良く天智天皇は薨じてしまう。が、その恨み、軽蔑は子どもに引き継がれてしまう。そして、大海人皇子と天智天皇の子どもである大友皇子が壬申の乱で激突するのだが、人心は大海人皇子に味方した。
結局これは皇族内の内部抗争である。このせいで平安時代に藤原氏に権勢を握られてしまったのだろう。内部抗争とは組織を疲弊させるのである。だから、一番良いのは内部抗争を止めることだ。それができなければ、素早く徹底的に政敵を葬ることだ。あらゆる手を尽くして。ただ、その後軽蔑されるのは覚悟して、恐怖政治をするしかなくなるけどね。
これらのことなどを、様々な文献などを用いて検証していくというのが本書の内容だ。もし興味があればどうぞ。
新史論/書き替えられた古代史 4 天智と天武 日本書紀の真相 (小学館新書)
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